世の中には実に様々な分野の「評論家」なる人々が存在し、多くのメディアで活躍しておられます

然し、彼等の中には、何処に立脚点を持ち、何を評論しようとしているのか、傍から見ていて理解し難い方々が存在するのも事実です
今日は、その事について書かせて頂きたいと思います
先ず最初に判らないのが「芸能評論家」として露出している方々です。
最近は殆ど芸能リポーターに取って代わられていますが、時々はテレビにも出て来ますし、活字媒体に於いては相変わらず活躍している様です
然し、私が根本的に疑問に思うのは、「評論」する対象としての「芸能」という分野は、あまりに漠然とし過ぎているのではないか、という事です
芸能には実に多種多様な分野が存在しますから、一人の人間だけでそれを全て網羅するのは到底不可能なのです
また、言うまでもない事ですが「評論」という行為に携わる者には、対象となる分野に於いて、彼自身が相応の実績を上げている事が要求されます
そうでなければ彼の言葉は何の説得力も持たないからです
所が所謂「芸能評論家」と称される方々の中には、そういう方が全く見当たらないのです
それもそのはず、他の世界と違って芸能という分野には引退や定年がありませんから、己の世界の「評論」が出来る程の資格と実績を持つ方は、現役として第一線でバリバリ働いておられるからです
功成り名を遂げた一流の映画監督やプロデューサー、俳優やミュージシャンは、コメンテーターとして出演する事はあっても、「芸能評論家」として発言したりは致しませんし、制作サイドや視聴者もそんな事は求めていません
皆さんもお気づきでしょうが「芸能評論家」と称する方々の話は、その内容の殆どが芸能人の私生活、特に男女の醜聞に関する事だけです
肝心の「芸能」の事についてなど、喋った試しがありません
おそらく彼等自身、芸能という分野についての系統立った知識など持ち合わせていないのでしょう
つまり彼等は「芸能評論家」ではなく「芸能人私生活トップ屋」でしかありません
寧ろ芸能リポーターの方が、政治経済等も含めて余程勉強しております
だからこそ、今ではどんどん淘汰されてしまっているんでしょうね

不思議な事に、評論という分野は、対象とは別に存在意義が認知されています。
「評論芸術」という言葉に代表される様に、優れた評論は、それ自体が独立した芸術として評価されているのです
これは主に、文芸評論家の方々の功績に依るものでしょう
確かに数々の文芸評論家の作品は素晴らしいものばかりです
皆さんの中にも、読んだ本それ自体よりも解説の方が面白かったという経験をした方は多いのではないでしょうか
それは彼等自身が、評論ばかりでなく、自分でオリジナルの小説等の作品を書けるからです
事実、ペンネームを使い分けて、作家と評論家の二足の草鞋を履いている方は大勢おられます
かくの如く、実力と実績が伴ってこそ、評論は認められ、光を放つのです
所が「映画評論家」という方々はどうでしょう
先程述べた「芸能評論家」の話と被ってしまいますが、「映画評論家」の中には、映画の世界で実績を残した方は全くおりません。
その殆どが映画誌や演劇誌から流れて来た、文学青年上がりです
一度たりとも自分でカメラを回した事もなければ、助手として監督や俳優にドツキ回された事も無く、製作費に頭を悩ませながら算盤勘定をした経験も無い方々が、何故恥ずかし気もなく堂々と「映画評論家」と名乗れるのか、また世間がそれを許すのか、私には不思議でなりません
例えて言えば、野球の経験が無い者が、プロ野球の解説をしている様なものです
悪質なジョークとしか思えませんね
皆さんもよくよく思い出してみて下さい。
映画評論家の方々が、貴方が観た映画について、御自身が抱いた感想とは次元の違う指摘や度肝を抜かれる様な裏読みをしていたという経験が、一度でもありますか
殆ど無い筈です。
少なくとも私自身や周りの方々には、全くそういう経験がありません
という事は、彼等はレベルとしては、素人である我々と五十歩百歩であり、その道のプロとして当然要求される突き抜けた別次元の段階には到達していないのです
であるならば、彼等は何の為に存在しているのでしょうか
映画に限らず芸術というものは、自然科学と違って絶対的な評価の対象とはなり得ません。
飽くまで相対的な評価しか受けられないのです
であれば尚の事、その評論に携わるには、素人とは比較にならぬ知識と現場経験、洞察力が要求されるのは当然なのです
然し、彼等はその任を果たしているでしょうか
その任に相応しいのでしょうか
私には、どうもそうは思えないのですが
今日日盛んなグルメブームを反映した、料理評論家という方々にも、私は違和感を覚えます
彼等も殆どが自分で料理などしていない、評論の対象への実務に不足している方々ばかりです。
然し、それらの点については先程までに十分述べましたので、もう触れないでおきましょう
前々から思っている事ですが、食の安全について述べる事は有意義な事です
美味い物を美味いという事は極く自然な感想であり、素直な賞賛の表れでもあるでしょう



然し、それを離れて必要以上に食い物の味を云々するのは、下品な仕儀に思えてならないのです
何故なら、物を食らうという行為は排泄と同じく、極度に動物的且つ個人的なものだからです
それを人間的な行為に進化させる為に、先人達は食の作法を創り上げて来たのです
それにも拘わらず、食い物の味の事だけをあれこれ言うのは、自分が関係を持った異性との秘め事をべらべら喋るのと同じく、品位に欠ける行動だと思われてなりません
これらに関しては昨年11月7日記事「さあ皆、並ぼうぜ!!」に判り易く書かせて頂いておりますので、併せて御覧頂ければ幸いです
それらに比べると、スポーツ界はスッキリしています
結果が数字で表れますから優勝劣敗の比較が容易で、選手時代や指導者時代の序列に情け容赦はありません
前述の、実務を経験した事が無い様な者はお呼びではないのです
一軍に上がれなかった方や幕内に昇進出来なかった方が解説をしたり評論する事など有り得ません
だからこそ彼等の言葉は説得力を持つのですが、中には例外もある様です
例えば名球会会長の金田正一氏は世界的に有名な偉大なる大投手であり、有能な監督でしたが、彼を解説者に起用するメディアは、今や一社もありません
異常に熱しやすく、興奮すると放送禁止用語を大声で連呼するという、中々楽しい癖を持っておられるからです

私も昔、ラジオで聴いた事がありますが、凄かったですね
解説よりもプレイや采配に対する罵倒の方が遥かに多く、寧ろそちらがメインでした
後で物の本を見た所によると、彼の解説者時代には、担当した放送がまともに進行した事は殆どなかったそうです
苦情電話の殺到で回線がパンクする事は日常茶飯事、更迭されたスポーツ担当局長は10人を下らないという話でした
ここまで来るともう一種の芸ですね
もう一度、彼の破天荒な解説を聴きたいものです

最近評論家絡みで一番笑ったのが、先日週刊文春を読んだ時の事です
その号に女子アナに関する特集記事があったのですが、その中に
「女子アナ評論家の肥留間氏によると」
という記述があったのです

はああぁぁぁ








何やその「女子アナ評論家」とかいう肩書は








もう何でもアリか


そんなものが肩書として通用するんなら、私だって「葉山エレーヌちゃんの脚評論家」を名乗れますよ


今度名刺に刷り込んでやろうかな
相手の反応が楽しみです

さて、連休中日の今日を、皆さん如何お過ごしですか
梅雨も明け、いよいよ本格的な暑さの到来です
熱中症には十分御気をつけられます様に
では良い日曜日を


それじゃ、また明日







然し、彼等の中には、何処に立脚点を持ち、何を評論しようとしているのか、傍から見ていて理解し難い方々が存在するのも事実です

今日は、その事について書かせて頂きたいと思います

先ず最初に判らないのが「芸能評論家」として露出している方々です。
最近は殆ど芸能リポーターに取って代わられていますが、時々はテレビにも出て来ますし、活字媒体に於いては相変わらず活躍している様です

然し、私が根本的に疑問に思うのは、「評論」する対象としての「芸能」という分野は、あまりに漠然とし過ぎているのではないか、という事です

芸能には実に多種多様な分野が存在しますから、一人の人間だけでそれを全て網羅するのは到底不可能なのです

また、言うまでもない事ですが「評論」という行為に携わる者には、対象となる分野に於いて、彼自身が相応の実績を上げている事が要求されます

そうでなければ彼の言葉は何の説得力も持たないからです

所が所謂「芸能評論家」と称される方々の中には、そういう方が全く見当たらないのです

それもそのはず、他の世界と違って芸能という分野には引退や定年がありませんから、己の世界の「評論」が出来る程の資格と実績を持つ方は、現役として第一線でバリバリ働いておられるからです

功成り名を遂げた一流の映画監督やプロデューサー、俳優やミュージシャンは、コメンテーターとして出演する事はあっても、「芸能評論家」として発言したりは致しませんし、制作サイドや視聴者もそんな事は求めていません

皆さんもお気づきでしょうが「芸能評論家」と称する方々の話は、その内容の殆どが芸能人の私生活、特に男女の醜聞に関する事だけです

肝心の「芸能」の事についてなど、喋った試しがありません

おそらく彼等自身、芸能という分野についての系統立った知識など持ち合わせていないのでしょう

つまり彼等は「芸能評論家」ではなく「芸能人私生活トップ屋」でしかありません

寧ろ芸能リポーターの方が、政治経済等も含めて余程勉強しております

だからこそ、今ではどんどん淘汰されてしまっているんでしょうね


不思議な事に、評論という分野は、対象とは別に存在意義が認知されています。
「評論芸術」という言葉に代表される様に、優れた評論は、それ自体が独立した芸術として評価されているのです

これは主に、文芸評論家の方々の功績に依るものでしょう

確かに数々の文芸評論家の作品は素晴らしいものばかりです

皆さんの中にも、読んだ本それ自体よりも解説の方が面白かったという経験をした方は多いのではないでしょうか

それは彼等自身が、評論ばかりでなく、自分でオリジナルの小説等の作品を書けるからです

事実、ペンネームを使い分けて、作家と評論家の二足の草鞋を履いている方は大勢おられます

かくの如く、実力と実績が伴ってこそ、評論は認められ、光を放つのです

所が「映画評論家」という方々はどうでしょう

先程述べた「芸能評論家」の話と被ってしまいますが、「映画評論家」の中には、映画の世界で実績を残した方は全くおりません。
その殆どが映画誌や演劇誌から流れて来た、文学青年上がりです

一度たりとも自分でカメラを回した事もなければ、助手として監督や俳優にドツキ回された事も無く、製作費に頭を悩ませながら算盤勘定をした経験も無い方々が、何故恥ずかし気もなく堂々と「映画評論家」と名乗れるのか、また世間がそれを許すのか、私には不思議でなりません

例えて言えば、野球の経験が無い者が、プロ野球の解説をしている様なものです

悪質なジョークとしか思えませんね

皆さんもよくよく思い出してみて下さい。
映画評論家の方々が、貴方が観た映画について、御自身が抱いた感想とは次元の違う指摘や度肝を抜かれる様な裏読みをしていたという経験が、一度でもありますか

殆ど無い筈です。
少なくとも私自身や周りの方々には、全くそういう経験がありません

という事は、彼等はレベルとしては、素人である我々と五十歩百歩であり、その道のプロとして当然要求される突き抜けた別次元の段階には到達していないのです

であるならば、彼等は何の為に存在しているのでしょうか

映画に限らず芸術というものは、自然科学と違って絶対的な評価の対象とはなり得ません。
飽くまで相対的な評価しか受けられないのです

であれば尚の事、その評論に携わるには、素人とは比較にならぬ知識と現場経験、洞察力が要求されるのは当然なのです

然し、彼等はその任を果たしているでしょうか

その任に相応しいのでしょうか

私には、どうもそうは思えないのですが

今日日盛んなグルメブームを反映した、料理評論家という方々にも、私は違和感を覚えます

彼等も殆どが自分で料理などしていない、評論の対象への実務に不足している方々ばかりです。
然し、それらの点については先程までに十分述べましたので、もう触れないでおきましょう

前々から思っている事ですが、食の安全について述べる事は有意義な事です

美味い物を美味いという事は極く自然な感想であり、素直な賞賛の表れでもあるでしょう




然し、それを離れて必要以上に食い物の味を云々するのは、下品な仕儀に思えてならないのです

何故なら、物を食らうという行為は排泄と同じく、極度に動物的且つ個人的なものだからです

それを人間的な行為に進化させる為に、先人達は食の作法を創り上げて来たのです

それにも拘わらず、食い物の味の事だけをあれこれ言うのは、自分が関係を持った異性との秘め事をべらべら喋るのと同じく、品位に欠ける行動だと思われてなりません

これらに関しては昨年11月7日記事「さあ皆、並ぼうぜ!!」に判り易く書かせて頂いておりますので、併せて御覧頂ければ幸いです

それらに比べると、スポーツ界はスッキリしています

結果が数字で表れますから優勝劣敗の比較が容易で、選手時代や指導者時代の序列に情け容赦はありません

前述の、実務を経験した事が無い様な者はお呼びではないのです

一軍に上がれなかった方や幕内に昇進出来なかった方が解説をしたり評論する事など有り得ません

だからこそ彼等の言葉は説得力を持つのですが、中には例外もある様です

例えば名球会会長の金田正一氏は世界的に有名な偉大なる大投手であり、有能な監督でしたが、彼を解説者に起用するメディアは、今や一社もありません

異常に熱しやすく、興奮すると放送禁止用語を大声で連呼するという、中々楽しい癖を持っておられるからです


私も昔、ラジオで聴いた事がありますが、凄かったですね

解説よりもプレイや采配に対する罵倒の方が遥かに多く、寧ろそちらがメインでした

後で物の本を見た所によると、彼の解説者時代には、担当した放送がまともに進行した事は殆どなかったそうです

苦情電話の殺到で回線がパンクする事は日常茶飯事、更迭されたスポーツ担当局長は10人を下らないという話でした

ここまで来るともう一種の芸ですね

もう一度、彼の破天荒な解説を聴きたいものです


最近評論家絡みで一番笑ったのが、先日週刊文春を読んだ時の事です

その号に女子アナに関する特集記事があったのですが、その中に
「女子アナ評論家の肥留間氏によると」
という記述があったのです


はああぁぁぁ









何やその「女子アナ評論家」とかいう肩書は









もう何でもアリか



そんなものが肩書として通用するんなら、私だって「葉山エレーヌちゃんの脚評論家」を名乗れますよ



今度名刺に刷り込んでやろうかな

相手の反応が楽しみです


さて、連休中日の今日を、皆さん如何お過ごしですか

梅雨も明け、いよいよ本格的な暑さの到来です

熱中症には十分御気をつけられます様に

では良い日曜日を



それじゃ、また明日





