人間社会においては、そのコミュニティーに所属する全員が知っている事であっても、決して触れてはならない禁忌というものが存在します
それは「タブー」と呼ばれる事もあり、常識ある社会人ならば、常にそれに敬意を払い一定の距離を保って生活しております
表現というものが根幹を成す各種芸術活動や、国民の知る権利に直結する報道又は政治に介入して来ない限り、我々はその「タブー」と共存していく事は可能ですし、事実大多数の方が例え無意識にせよ、この問題と上手く折り合いを付けて暮らしているのです
触れてはならない事を「タブー」として分類するのは確かに安易な行為であり、厄介な一面もありますが、それを当該コミュニティーに所属する者に周知させる事によって、その円滑な活動を妨げる恐れのある事象の出現を排除する事が可能になるという側面があるのも事実です
皆さんにも思い当たる事があるのではないでしょうか
この「タブー」というものと共存していく為には、当然それが形成された経緯を知悉しておく必要があり、それに接する際の作法を心掛けておかなければなりません。
それが不十分であった場合には、不測の事態を招く事になりかねないからです
本日は、その事について述懐させて頂きたいと思います
時は20年程前、私の自衛官時代に遡ります
当時私の所属していた部隊の事務所に頻繁に出入りしている幹部がおりました。
この方は防衛大出身で戦闘機パイロットというエリートだったのですが、ある時部下が空中戦闘訓練中に操縦不能に陥ってしまい、機から緊急脱出した事故の責任を負わされて地上勤務を命じられてしまったのです
海上の訓練空域での事故だった事も幸いし、誰一人死傷者も出なかったのですが、一機百億の国有財産を唯の鉄屑にしてしまったのですから、上層部としても何らかの処分を下さざるを得なかったのでしょう
航空自衛隊においては、その数年前にも小牧基地所属のC1輸送機が墜落事故を起こしておりましたし、日本航空のジャンボ旅客機が御巣鷹山に墜落して五百名近い犠牲者が出てしまった悲劇も未だ人々の記憶に生々しく残っている時期だったという事も重なって、従来よりも重い処分になってしまった様でした
彼は総務部門の部署に廻され、二佐(中佐)であるにも拘わらず一人の部下もいない閑職に就けられておりました
実質的に仕事等無きに等しく、連日一人無聊を囲っていたのです
所が彼は豪放磊落な楽天家で
「これで仕事もしないで給料が貰える身分になった。
昔の殿様より良い身分だ」
と全く気に病む様子もなく、宛がわれた部屋を脱け出しては他の部署に遊びに行って時間を潰しておりました
今にして思えば、彼は逆に我々に気を遣って下さっていたのでしょう。
輝かしい隊歴が事実上終わってしまったのですから、本心では絶望と悲しみに暮れていたに違いないのです
そんな様子を微塵も見せなかった彼は、軍人としてだけでなく、一人の男としても実に立派でした
その彼が部署違いの我々の事務所に頻繁に来訪していたのは、彼にとっては我が部隊の副長が、防衛大以来の親友であったからです
二人は同期の間柄で、家族ぐるみの付き合いがありました
そんな事もあって、彼は一日の大半の時間を我々の事務所で過ごす様になったのです
本来なら許される事ではないのですが、良い時代だったのでしょう、基地司令にさえ大目に見られておりました
勿論彼は遊びに来ていただけでなく、業務に加わって様々な助言や手助けをして下さったので、我々にとっても大助かりでしたし、本来の職制を弁えてか、決して我々に指示命令を下す事はなく、それがまた司令初め基地上層部にいたく気に入られて、実質的に我が隊の総合顧問的役割を果たしていたのです
皆に好かれ慕われ頼りにされている彼は実に輝いていましたし、彼を迎えた我々は意気軒高にして士気旺盛でした
只、そんな彼には、別の意味で光り輝く所があったのです
もうお分かりでしょう
彼の頭部を鳥瞰して見ますと、毛髪が生えている面積が極めて少なかったのです
耳元から後頭部にかけての極く限られた地域にしか生息していなかったのであります

まるで絶滅危惧種か天然記念物の分布図の様でした
然し、彼はそんな事など全く気にしていない様で、自ら進んで頭の事をネタにして笑いを取っておりました
一番笑ったのが
「俺は禿げているのではない!
額が広いだけだ!」
と仰られた時です

いくら何でも広過ぎるでしょう

真後ろから見える額など、聞いた事がありません

我々は腹を抱えたものでした

こんな調子でしたから、我々は全員、彼は頭の事など気にしていないのだと思い込んでいました
所がある日、全くそうではなかった事に気付かされたのです
月曜日だった事だけははっきり覚えていますが、朝いつも通りに事務所に来訪した彼は、まるで別人になっていたのです

見慣れた光り輝く頭は、何故か七三分けの豊かな毛髪に覆われていたのです

つまりカツラを着けて来た訳です
確かに当時は今と違って段階的増毛カツラ等さほど一般的ではありませんでしたが、それにしても変化が大き過ぎました
我々は全員笑いを押し殺す為にトマトの如く真っ赤になり、呼吸を止めて全身を震わせているしかなかったのです

呼吸をしたり身体を動かしたが最後、止まる事ない爆笑の発作に見舞われるのは判りきっておりましたから、挨拶や敬礼も忘れて全員下を向いておりました
企業研修等で激しい運動をさせ
「皆はこの苦しみに耐えたのだから、この事を思えば何でも出来る」
等というパターンがありますが、あんなものは大嘘です
笑いを堪える事の苦しさというものは筆舌に尽くし難いこの世の地獄であり、企業研修等とは比べものになりません

本当に社員を鍛えたいのなら、人事部門の方は笑いの方向からアプローチする研修に切り替えるべきです
脱線してしまいましたね。
元に戻しましょう。
彼の様子を見ると、全く普段通りなのです
いつもの彼ならば
「どうだ!?
これ似合うだろう!
高かったんだぞ!」
等と言う所なのに、そんな様子は気ぶりも見せません
つまり、彼は
「カツラの事には触れるなよ」
と無言のメッセージを発していた訳です
そういう事なら我々もそれに合わせなければなりませんから、無理矢理捩じ伏せた笑いの発作が治まりつつあった事も味方して、何とか平常通り彼に接しておりました
所がそこに一人だけ、場の空気を全く読めない大馬鹿者が闖入して来たのです

こやつはその年の春に採用されたばかりの二士(二等兵)で、少し可愛いだけが取り柄の問題児婦人自衛官でした
ここでは仮にAと呼ぶ事にしましょう。
Aは他の部署に書類を届けに出されていたのですが、用事を済ませて帰って来たのです
今と違って当時は婦人自衛官の絶対数が少なかったので、甘やかされちやほやされて勘違いしている者が多く、我々は彼女等の教育に大変苦労しました
Aも例外ではなく、二等兵の分際で、当時下士官であった私を君付けで呼んだ事があり、その場で直立不動の姿勢をとらせて泣くまで怒鳴り付けた事がありました
男だったら間違いなく殴っていたでしょう
何をやらせても駄目な三流隊員で、叱り付けるとすぐ泣くので、我々は最早彼女を教育するのを諦め、小間使いや使い走りに使っておりました
この馬鹿女が件の二佐を見つけるや否や、敬礼も挨拶もせず、いきなり
「あらぁ〇二佐、随分速く髪が伸びましたねえ!
アハハハハ!」
と笑いやがったのです


その場の空気が一瞬で凍り付きました
いつもは気さくな件の二佐も、明らかに不愉快そうな表情を浮かべて彼女を睨みつけております
それでもAは何も気付かないらしく
「ええ~~何~~?
皆どうしたんですか~?」
と笑い続けているのです

全くこやつの馬鹿さ加減は救いようがねえ

てめえは何の権利があってこの世に生まれて来やがったんだ

我々は本当にAの両親と婦人自衛官教育隊を恨んだものでした
やがて堪りかねた先任が
「控えんかA!
敬礼は!?挨拶は!?
お前は廊下の掃除でもしてろ!」
と一喝したので、漸くAも事情が飲み込めたと見え、大慌てで退散して行きました
件の二佐は持ち前の優秀な指揮能力を惜しまれていたのでしょう、一年そこそこで晴れて原隊復帰して行きました
寂しい事ですが喜ばしい事でもあり、我々は実に複雑な気持ちで彼を見送ったものです

Aはと言うと全く進歩する事なく、一任期三年で除隊して行きました。
厄介祓いが出来て真に喜ばしい事であり、我々は心から神仏に感謝しながら彼女を見送ったものです

二佐の時とはエラい違いでしたね

皆さんの周りにも、うっかりタブーに触れてしまった方はおられませんか
その時にはどの様な状況になり、如何にして収拾したのでしょうか
是非教えて頂きたいのです

宜しくお願い致します



それは「タブー」と呼ばれる事もあり、常識ある社会人ならば、常にそれに敬意を払い一定の距離を保って生活しております

表現というものが根幹を成す各種芸術活動や、国民の知る権利に直結する報道又は政治に介入して来ない限り、我々はその「タブー」と共存していく事は可能ですし、事実大多数の方が例え無意識にせよ、この問題と上手く折り合いを付けて暮らしているのです

触れてはならない事を「タブー」として分類するのは確かに安易な行為であり、厄介な一面もありますが、それを当該コミュニティーに所属する者に周知させる事によって、その円滑な活動を妨げる恐れのある事象の出現を排除する事が可能になるという側面があるのも事実です

皆さんにも思い当たる事があるのではないでしょうか

この「タブー」というものと共存していく為には、当然それが形成された経緯を知悉しておく必要があり、それに接する際の作法を心掛けておかなければなりません。
それが不十分であった場合には、不測の事態を招く事になりかねないからです

本日は、その事について述懐させて頂きたいと思います

時は20年程前、私の自衛官時代に遡ります

当時私の所属していた部隊の事務所に頻繁に出入りしている幹部がおりました。
この方は防衛大出身で戦闘機パイロットというエリートだったのですが、ある時部下が空中戦闘訓練中に操縦不能に陥ってしまい、機から緊急脱出した事故の責任を負わされて地上勤務を命じられてしまったのです

海上の訓練空域での事故だった事も幸いし、誰一人死傷者も出なかったのですが、一機百億の国有財産を唯の鉄屑にしてしまったのですから、上層部としても何らかの処分を下さざるを得なかったのでしょう

航空自衛隊においては、その数年前にも小牧基地所属のC1輸送機が墜落事故を起こしておりましたし、日本航空のジャンボ旅客機が御巣鷹山に墜落して五百名近い犠牲者が出てしまった悲劇も未だ人々の記憶に生々しく残っている時期だったという事も重なって、従来よりも重い処分になってしまった様でした

彼は総務部門の部署に廻され、二佐(中佐)であるにも拘わらず一人の部下もいない閑職に就けられておりました

実質的に仕事等無きに等しく、連日一人無聊を囲っていたのです

所が彼は豪放磊落な楽天家で
「これで仕事もしないで給料が貰える身分になった。
昔の殿様より良い身分だ」
と全く気に病む様子もなく、宛がわれた部屋を脱け出しては他の部署に遊びに行って時間を潰しておりました

今にして思えば、彼は逆に我々に気を遣って下さっていたのでしょう。
輝かしい隊歴が事実上終わってしまったのですから、本心では絶望と悲しみに暮れていたに違いないのです

そんな様子を微塵も見せなかった彼は、軍人としてだけでなく、一人の男としても実に立派でした

その彼が部署違いの我々の事務所に頻繁に来訪していたのは、彼にとっては我が部隊の副長が、防衛大以来の親友であったからです

二人は同期の間柄で、家族ぐるみの付き合いがありました

そんな事もあって、彼は一日の大半の時間を我々の事務所で過ごす様になったのです

本来なら許される事ではないのですが、良い時代だったのでしょう、基地司令にさえ大目に見られておりました

勿論彼は遊びに来ていただけでなく、業務に加わって様々な助言や手助けをして下さったので、我々にとっても大助かりでしたし、本来の職制を弁えてか、決して我々に指示命令を下す事はなく、それがまた司令初め基地上層部にいたく気に入られて、実質的に我が隊の総合顧問的役割を果たしていたのです

皆に好かれ慕われ頼りにされている彼は実に輝いていましたし、彼を迎えた我々は意気軒高にして士気旺盛でした

只、そんな彼には、別の意味で光り輝く所があったのです

もうお分かりでしょう

彼の頭部を鳥瞰して見ますと、毛髪が生えている面積が極めて少なかったのです

耳元から後頭部にかけての極く限られた地域にしか生息していなかったのであります


まるで絶滅危惧種か天然記念物の分布図の様でした

然し、彼はそんな事など全く気にしていない様で、自ら進んで頭の事をネタにして笑いを取っておりました

一番笑ったのが
「俺は禿げているのではない!
額が広いだけだ!」
と仰られた時です


いくら何でも広過ぎるでしょう


真後ろから見える額など、聞いた事がありません


我々は腹を抱えたものでした


こんな調子でしたから、我々は全員、彼は頭の事など気にしていないのだと思い込んでいました

所がある日、全くそうではなかった事に気付かされたのです

月曜日だった事だけははっきり覚えていますが、朝いつも通りに事務所に来訪した彼は、まるで別人になっていたのです


見慣れた光り輝く頭は、何故か七三分けの豊かな毛髪に覆われていたのです


つまりカツラを着けて来た訳です

確かに当時は今と違って段階的増毛カツラ等さほど一般的ではありませんでしたが、それにしても変化が大き過ぎました

我々は全員笑いを押し殺す為にトマトの如く真っ赤になり、呼吸を止めて全身を震わせているしかなかったのです


呼吸をしたり身体を動かしたが最後、止まる事ない爆笑の発作に見舞われるのは判りきっておりましたから、挨拶や敬礼も忘れて全員下を向いておりました

企業研修等で激しい運動をさせ
「皆はこの苦しみに耐えたのだから、この事を思えば何でも出来る」
等というパターンがありますが、あんなものは大嘘です

笑いを堪える事の苦しさというものは筆舌に尽くし難いこの世の地獄であり、企業研修等とは比べものになりません


本当に社員を鍛えたいのなら、人事部門の方は笑いの方向からアプローチする研修に切り替えるべきです

脱線してしまいましたね。
元に戻しましょう。
彼の様子を見ると、全く普段通りなのです

いつもの彼ならば
「どうだ!?
これ似合うだろう!
高かったんだぞ!」
等と言う所なのに、そんな様子は気ぶりも見せません

つまり、彼は
「カツラの事には触れるなよ」
と無言のメッセージを発していた訳です

そういう事なら我々もそれに合わせなければなりませんから、無理矢理捩じ伏せた笑いの発作が治まりつつあった事も味方して、何とか平常通り彼に接しておりました

所がそこに一人だけ、場の空気を全く読めない大馬鹿者が闖入して来たのです


こやつはその年の春に採用されたばかりの二士(二等兵)で、少し可愛いだけが取り柄の問題児婦人自衛官でした

ここでは仮にAと呼ぶ事にしましょう。
Aは他の部署に書類を届けに出されていたのですが、用事を済ませて帰って来たのです

今と違って当時は婦人自衛官の絶対数が少なかったので、甘やかされちやほやされて勘違いしている者が多く、我々は彼女等の教育に大変苦労しました

Aも例外ではなく、二等兵の分際で、当時下士官であった私を君付けで呼んだ事があり、その場で直立不動の姿勢をとらせて泣くまで怒鳴り付けた事がありました

男だったら間違いなく殴っていたでしょう

何をやらせても駄目な三流隊員で、叱り付けるとすぐ泣くので、我々は最早彼女を教育するのを諦め、小間使いや使い走りに使っておりました

この馬鹿女が件の二佐を見つけるや否や、敬礼も挨拶もせず、いきなり
「あらぁ〇二佐、随分速く髪が伸びましたねえ!
アハハハハ!」
と笑いやがったのです



その場の空気が一瞬で凍り付きました

いつもは気さくな件の二佐も、明らかに不愉快そうな表情を浮かべて彼女を睨みつけております

それでもAは何も気付かないらしく
「ええ~~何~~?
皆どうしたんですか~?」
と笑い続けているのです


全くこやつの馬鹿さ加減は救いようがねえ


てめえは何の権利があってこの世に生まれて来やがったんだ


我々は本当にAの両親と婦人自衛官教育隊を恨んだものでした

やがて堪りかねた先任が
「控えんかA!
敬礼は!?挨拶は!?
お前は廊下の掃除でもしてろ!」
と一喝したので、漸くAも事情が飲み込めたと見え、大慌てで退散して行きました

件の二佐は持ち前の優秀な指揮能力を惜しまれていたのでしょう、一年そこそこで晴れて原隊復帰して行きました

寂しい事ですが喜ばしい事でもあり、我々は実に複雑な気持ちで彼を見送ったものです


Aはと言うと全く進歩する事なく、一任期三年で除隊して行きました。
厄介祓いが出来て真に喜ばしい事であり、我々は心から神仏に感謝しながら彼女を見送ったものです


二佐の時とはエラい違いでしたね


皆さんの周りにも、うっかりタブーに触れてしまった方はおられませんか

その時にはどの様な状況になり、如何にして収拾したのでしょうか

是非教えて頂きたいのです


宜しくお願い致します


