今日、里田まいブログのアメンバー限定記事を読んで、その中のセクスィー写真をにやけながら眺めていた中年オヤジがいたそうです
一体、どこのどいつなんでしょうか

世の中、物騒な事件が頻発している中だというのに、全く不謹慎な野郎です
それはともかく、昨日の続きを書かせて頂きたいと思います
私が高校一年生の時の話です。
当時私は空手道部に所属しておりました
空手道部という特性もあってか、我が部室のドアには大きめの日の丸のシールが貼ってあったのですが、かなり古くなっていて、今にも剥げ落ちそうになっていたのです
部の看板とも言える日の丸は、代々非常な敬意をもって扱われて来ました
我々は勿論、OBの方や師範までもが、部室への入退室時には必ず、その日の丸に一礼する事が規則となっていたのです
そういう訳ですから、我々一年生は、すぐに同じ物を入手して来る様に、との先輩の厳命を受け、それぞれが色々な所を探し廻りました
然し全く見つからないのです
文房具店やスポーツ用品店、書店から、当時珍しかったファンシーショップに行ってみたり、市内のデパートを虱潰しに当たってみても、どこにもかすりもしないのです
OBの方が指導に来て下さった時に聞いたのですが、そのシールが今の物に貼り替えられたのは7~8年も前の事で、彼もそのシールが何処から入手された物なのかは知らない様でした
諸先輩方に尋ねても、誰一人知っている方はいませんでした
つまり、手掛かりが全く無くなってしまったのです
何日間経ってもシールを見つけられない事に業を煮やした主将は、遂に一年生全員に鉄拳制裁を加え、我々を怒鳴り付けました

「簡単な事だろうが、あぁん!?
シール屋で買え、シール屋で!!」
えっ






シール屋って何



そんな店あるのか



それは何処にある


つの出せやり出せ目玉出せ~~~


という心境になりましたが、そんな事を言える筈もなく、我々は再びシール探しの旅に出る羽目になってしまいました


結局シール屋などという業態の店が見つからなかった事は言うまでもありません

仕方がないので工業高校まで業務用接着剤を借りに行き、それで急場をしのぐしかありませんでした
今ならば、その種のシールは少し探せばあるでしょうが、何しろ30年前の話です
あの時は本当に苦労しました

この項目の最後は、私が自衛官だった時の話です。
念の為に申し上げておきますが、以下の文に出て来る「戦死・被害・捕虜・戦果」等の言葉は、飽くまで演習状況下において、一定条件を満たした者あるいは当てはまった者に対して、仮称として用いられるものであって、実際に死傷者等出ていない事を御承知しておいて下さい。
ある演習が実施された時の事です。
何日も続く状況に、我々は心身共に疲れ果てておりました
当時初級幹部だった私は、常に隊本部との連絡と調整に追われ、日に2~3時間程の睡眠しかとれない有様でした
疲労は溜まる一方なのに、満足に睡眠がとれないというのは、本当に辛いものです
経験した方がおられるかどうか判りませんが、人間はその様な状況下におかれると、立っている時は勿論、歩いている時でさえ、歩きながら眠ってしまうのです
その状態で夢を見る事もあります
話しかけられても、まともな受け答えが出来なくなりますし、思考力が著しく低下して来ます
徹夜しなければならない状況もあり、私はカフェイン錠を貪り食って何とかしのいでいました
その日の状況が終了し、久しぶりにゆっくり眠れる事になって熟睡していたのも束の間、二時間も経たない内に、新たな状況が始まりました
敵ゲリラの夜襲という事です
飛び起きた私は、部下を率いて陣頭指揮を執り、疲れた彼等を叱咤しながら何とか任務を果たしました
朝方になって状況が一段落した時、私は自分の隊の現況を把握して隊本部に報告する必要があった為、部下である班長達にそれぞれ報告を命じました
自班の戦死者、その他の被害、逆に捕えて捕虜にした敵兵数や戦死させた敵兵数等の戦果を、項目別に報告させたのです
所がその中の一人が、明らかに様子がおかしいのです。
立っていられないくらいフラフラで、目を開いているのに何処にも焦点が合っていないのです
「おいD!D班長!
班の現状を報告せんか!」
と私が命じても、意味不明の言葉を呟くだけで全く要領を得ません
これは意識が飛んでいる、立って目を開けたまま眠っていると判断した私は
「しっかりせんか!」
と彼の頬を打ちました
すると彼は我に返り、慌てた様に
「は、はい!
然し自分は今から漬物を温めて参ります!!」
と答えたのです

はあぁぁ




何じゃそれ




誰もそんな事きいてねえんだよ





一拍おいて我々は大爆笑に包まれました

その笑い声でD班長も今度こそ正気に返り、てきぱきと報告してくれました
その夜考えたのですが、あの場面で彼が提供した笑いというものは、確かに我々全員にプラスの効果をもたらしました。
心身共に疲労の極限にあり、ピリピリを通り越してギスギスしていた全体の雰囲気を和らげるには、笑いというものが一番なのです
そしてD班長は、どういう形にせよ、それを我々に与えてくれたのです
実際、それから部隊の士気は目に見えて上がり、演習全状況を想定以上の成果を上げて終了する事が出来ました
厳しい状況の時こそ、適度な笑いと心のゆとりを持つ事が必要なのだと痛感致しました
この事は除隊した今に至るも、教訓となっております
最後に
意味なき言葉を発する者よ
口に出す前に、己でそれを吟味せよ
意味の通じない言葉は言葉ではない
それは単なる鳴き声でしかない事を知っておけ



一体、どこのどいつなんでしょうか


世の中、物騒な事件が頻発している中だというのに、全く不謹慎な野郎です

それはともかく、昨日の続きを書かせて頂きたいと思います

私が高校一年生の時の話です。
当時私は空手道部に所属しておりました

空手道部という特性もあってか、我が部室のドアには大きめの日の丸のシールが貼ってあったのですが、かなり古くなっていて、今にも剥げ落ちそうになっていたのです

部の看板とも言える日の丸は、代々非常な敬意をもって扱われて来ました

我々は勿論、OBの方や師範までもが、部室への入退室時には必ず、その日の丸に一礼する事が規則となっていたのです

そういう訳ですから、我々一年生は、すぐに同じ物を入手して来る様に、との先輩の厳命を受け、それぞれが色々な所を探し廻りました

然し全く見つからないのです

文房具店やスポーツ用品店、書店から、当時珍しかったファンシーショップに行ってみたり、市内のデパートを虱潰しに当たってみても、どこにもかすりもしないのです

OBの方が指導に来て下さった時に聞いたのですが、そのシールが今の物に貼り替えられたのは7~8年も前の事で、彼もそのシールが何処から入手された物なのかは知らない様でした

諸先輩方に尋ねても、誰一人知っている方はいませんでした

つまり、手掛かりが全く無くなってしまったのです

何日間経ってもシールを見つけられない事に業を煮やした主将は、遂に一年生全員に鉄拳制裁を加え、我々を怒鳴り付けました


「簡単な事だろうが、あぁん!?
シール屋で買え、シール屋で!!」
えっ







シール屋って何




そんな店あるのか




それは何処にある



つの出せやり出せ目玉出せ~~~



という心境になりましたが、そんな事を言える筈もなく、我々は再びシール探しの旅に出る羽目になってしまいました



結局シール屋などという業態の店が見つからなかった事は言うまでもありません


仕方がないので工業高校まで業務用接着剤を借りに行き、それで急場をしのぐしかありませんでした

今ならば、その種のシールは少し探せばあるでしょうが、何しろ30年前の話です

あの時は本当に苦労しました


この項目の最後は、私が自衛官だった時の話です。
念の為に申し上げておきますが、以下の文に出て来る「戦死・被害・捕虜・戦果」等の言葉は、飽くまで演習状況下において、一定条件を満たした者あるいは当てはまった者に対して、仮称として用いられるものであって、実際に死傷者等出ていない事を御承知しておいて下さい。
ある演習が実施された時の事です。
何日も続く状況に、我々は心身共に疲れ果てておりました

当時初級幹部だった私は、常に隊本部との連絡と調整に追われ、日に2~3時間程の睡眠しかとれない有様でした

疲労は溜まる一方なのに、満足に睡眠がとれないというのは、本当に辛いものです

経験した方がおられるかどうか判りませんが、人間はその様な状況下におかれると、立っている時は勿論、歩いている時でさえ、歩きながら眠ってしまうのです

その状態で夢を見る事もあります

話しかけられても、まともな受け答えが出来なくなりますし、思考力が著しく低下して来ます

徹夜しなければならない状況もあり、私はカフェイン錠を貪り食って何とかしのいでいました

その日の状況が終了し、久しぶりにゆっくり眠れる事になって熟睡していたのも束の間、二時間も経たない内に、新たな状況が始まりました

敵ゲリラの夜襲という事です

飛び起きた私は、部下を率いて陣頭指揮を執り、疲れた彼等を叱咤しながら何とか任務を果たしました

朝方になって状況が一段落した時、私は自分の隊の現況を把握して隊本部に報告する必要があった為、部下である班長達にそれぞれ報告を命じました

自班の戦死者、その他の被害、逆に捕えて捕虜にした敵兵数や戦死させた敵兵数等の戦果を、項目別に報告させたのです

所がその中の一人が、明らかに様子がおかしいのです。
立っていられないくらいフラフラで、目を開いているのに何処にも焦点が合っていないのです

「おいD!D班長!
班の現状を報告せんか!」
と私が命じても、意味不明の言葉を呟くだけで全く要領を得ません

これは意識が飛んでいる、立って目を開けたまま眠っていると判断した私は
「しっかりせんか!」
と彼の頬を打ちました

すると彼は我に返り、慌てた様に
「は、はい!
然し自分は今から漬物を温めて参ります!!」
と答えたのです


はあぁぁ





何じゃそれ





誰もそんな事きいてねえんだよ






一拍おいて我々は大爆笑に包まれました


その笑い声でD班長も今度こそ正気に返り、てきぱきと報告してくれました

その夜考えたのですが、あの場面で彼が提供した笑いというものは、確かに我々全員にプラスの効果をもたらしました。
心身共に疲労の極限にあり、ピリピリを通り越してギスギスしていた全体の雰囲気を和らげるには、笑いというものが一番なのです

そしてD班長は、どういう形にせよ、それを我々に与えてくれたのです

実際、それから部隊の士気は目に見えて上がり、演習全状況を想定以上の成果を上げて終了する事が出来ました

厳しい状況の時こそ、適度な笑いと心のゆとりを持つ事が必要なのだと痛感致しました

この事は除隊した今に至るも、教訓となっております

最後に
意味なき言葉を発する者よ

口に出す前に、己でそれを吟味せよ

意味の通じない言葉は言葉ではない

それは単なる鳴き声でしかない事を知っておけ


