少々手抜きになってしまいますが、今回は昨年10月19日に書いた記事を再録させて頂きたいと思います
約半年前のものです
この頃と今とでは読んで下さっている方がかなり入れ代わっておりますし、何より私の記事の中では些か異質な趣のものですので、御覧頂ければ幸いです
では、お目汚しをば一席
本日は私の体験した不気味な事柄を書かせて頂きたいと思います
とは言っても、稲川淳二氏型の身に迫る恐怖感といったものではないので、あまり期待せずに、適当に読んで下されば幸いです
私の両親の実家は、自然豊かな山の中にあり、子供の頃は夏休みになると必ず帰省したものでした
日頃触れ合う機会のない山の中の大自然での新たな発見の数々は、優しい祖父母との再会や語らいと同じく、温かな記憶として今も脳裏に焼き付いています
只、それと同じ程の比重を占めて、私の中に鮮烈に残っている記憶もあります

私の叔父は、私と妹が生まれるずっと前から神官をしておりましたが、今思うとその神道は決して一般的なものではなかった様です

現在主流として伝わっている日本古来の古神道を源流とするものではなく、中国の道教や仏教の中の密教をも取り入れて、一部で発展してきた「土御門神道」というものでした。
映画「安倍晴明」を覚えておられる方も多いと思いますが、まさに安倍晴明師を祖として成立したものです。
ある決まった時間になると、神棚を奉った広い神藏と呼ばれる部屋から叔父の唱える祝詞と真言が聞こえてくるのですが、我々子供達は勿論、一家一族の長老たる祖父母も、決してその部屋へ立ち入る事は許されませんでした。
その時ばかりは我々子供も、厳粛な気持になり、誰に強制された訳でもないのに叔父が唱える神への詠唱に耳を傾けたものです
叔父は我々兄妹を大変可愛がってくれました
当時その地方では、殆ど誰も持っていなかったクラウンに我々を乗せて、実に色々な所へ遊びに連れて行ってくれたのを覚えています
然し、一番印象に残っているのは、社会見学の一環として無理矢理頼み込んで連れて行ってもらった、高知県物部村への訪問です。 大人達の会話の中から、叔父が今度物部村での大祭に参加する事を聞きつけた私と妹は、叔父に、絵日記の題材にしたいから、どうしても連れて行ってほしい、とお願いしました。
所が当初叔父は
「子供の見るもんじゃない!」
と我々を激しく叱り付け、「絶対に駄目だ!」
と拒否したのです

その姿は、いつも我々を可愛がってくれる彼からは想像もつかない程、厳しく断固としたものでした
叔父の豹変ぶりと、周りの大人達の刺す様な視線に恐れをなした私は、すぐ諦めて叔父に謝りましたが、妹が
「叔父ちゃん怖い、叔父ちゃん嫌い」
と泣き出したので、その場の空気が少し変わりました。
叔父夫婦や祖父母のみならず、親戚一同から最も可愛がられていた妹の無邪気な声が、皆の心を和らげた様です
結果、我々は物部村に連れて行ってもらえる事になりました
大祭の当日、我々兄妹は勇躍叔父のクラウンに飛び乗って期待に胸を踊らせていました
幼い我々にとって「大祭」とは、縁日夜店の立ち並ぶ遊園地空間としてのイメージしかなかったからです

所が、その大祭は、それまで見た事もなかったし、それ以降現在に至るまで私も見た事もない、実に異質なものでした
先ず、子供達の楽しみである出店等一つもありません。
昼なお暗い奥深い山中の祭壇には、苔むした岩の土台の上に、無数のさかやきがあるだけです
祭の筈なのに、賑やかな声など、全く聞こえてきません
後に、ここ高知県物部村は土御門神道を最も先鋭化した「いざなぎ流」の発祥地である事を知りましたが、当時の我々には唯々不気味なばかりです
その異常な雰囲気に耐えられなくなった妹は、叔父に泣きついて車に戻っていきました
好奇心の勝った私は、列席している叔父のずっと後方で祭事を見学していました。
その場で、一般的には神官と言われる「太夫」の披露が行われ、師匠から弟子への様々な免状が手渡されていきました。
そして今でも忘れられないのが、新たな太夫に対して、師匠が、呪殺の奥義を伝授していた事です
強い訛りの中から何とか聞き取って、朧げながらも覚えている意味では
「お前は、これから私が教える術を決して使ってはならない。
然し、世には呪いに苦しんでいる者も多いから、彼等を救う時、この術の事を思い出して参考にしなさい」
と口上を述べました。
それからすぐに祭壇は屏風に囲まれ、それぞれの師匠が弟子に奥義を授けておりました。 それは、子供であった私の精神的許容量を余りにも越えた光景でした

全く勝手な言い分ですが、帰りの車の中で、私は叔父を責め続けました。
「あんなのお祭りじゃない」
「叔父ちゃんも、呪いで人を殺すの?」
「何であんな所に、僕たちを連れていったの?」
等々、実にひどい事を言って叔父を困らせましたが、彼は
「ごめんな、悪かったね」
と言うだけで、私の甚だ身勝手な物言いに何一つ怒らなかった事を覚えています。
子供時代の事とはいえ、今でも思い出すと恥ずかしくなります

さて、叔父さんには、その四年後に長男が誕生したのですが、話の本番はここからです。
表題から想像して下さったであろう不気味な話は、明日書かせて頂く事にします

それと、重要な点ですが、土御門神道や、いざなぎ流は、決して邪教ではありません
今日でも多数の信者を持ち、人々の心の支えとなっている立派な宗教です
呪殺法の事も、飽くまで敵の手の内を知る事が目的であって、彼等がその様な邪法を行う事は絶対にありませんので、誤解なき様に

前段 最後に
日テレのスタイリストよ
葉山エレーヌに黒ストッキングを履かせるな
俺は彼女の脚を見る為だけにスッキリを観てるんだ
今度彼女が黒を履いているのを見たら、お前らが使うコーヒー用の砂糖を、全部塩とすり替えてやるからな


以上、本文と全く関係がないではないかと言う抗議へのお答えは、商品の発送をもって発表に替えさせて頂きます(笑)







約半年前のものです

この頃と今とでは読んで下さっている方がかなり入れ代わっておりますし、何より私の記事の中では些か異質な趣のものですので、御覧頂ければ幸いです

では、お目汚しをば一席

本日は私の体験した不気味な事柄を書かせて頂きたいと思います

とは言っても、稲川淳二氏型の身に迫る恐怖感といったものではないので、あまり期待せずに、適当に読んで下されば幸いです

私の両親の実家は、自然豊かな山の中にあり、子供の頃は夏休みになると必ず帰省したものでした

日頃触れ合う機会のない山の中の大自然での新たな発見の数々は、優しい祖父母との再会や語らいと同じく、温かな記憶として今も脳裏に焼き付いています

只、それと同じ程の比重を占めて、私の中に鮮烈に残っている記憶もあります


私の叔父は、私と妹が生まれるずっと前から神官をしておりましたが、今思うとその神道は決して一般的なものではなかった様です


現在主流として伝わっている日本古来の古神道を源流とするものではなく、中国の道教や仏教の中の密教をも取り入れて、一部で発展してきた「土御門神道」というものでした。
映画「安倍晴明」を覚えておられる方も多いと思いますが、まさに安倍晴明師を祖として成立したものです。
ある決まった時間になると、神棚を奉った広い神藏と呼ばれる部屋から叔父の唱える祝詞と真言が聞こえてくるのですが、我々子供達は勿論、一家一族の長老たる祖父母も、決してその部屋へ立ち入る事は許されませんでした。
その時ばかりは我々子供も、厳粛な気持になり、誰に強制された訳でもないのに叔父が唱える神への詠唱に耳を傾けたものです

叔父は我々兄妹を大変可愛がってくれました

当時その地方では、殆ど誰も持っていなかったクラウンに我々を乗せて、実に色々な所へ遊びに連れて行ってくれたのを覚えています

然し、一番印象に残っているのは、社会見学の一環として無理矢理頼み込んで連れて行ってもらった、高知県物部村への訪問です。 大人達の会話の中から、叔父が今度物部村での大祭に参加する事を聞きつけた私と妹は、叔父に、絵日記の題材にしたいから、どうしても連れて行ってほしい、とお願いしました。
所が当初叔父は
「子供の見るもんじゃない!」
と我々を激しく叱り付け、「絶対に駄目だ!」
と拒否したのです


その姿は、いつも我々を可愛がってくれる彼からは想像もつかない程、厳しく断固としたものでした

叔父の豹変ぶりと、周りの大人達の刺す様な視線に恐れをなした私は、すぐ諦めて叔父に謝りましたが、妹が
「叔父ちゃん怖い、叔父ちゃん嫌い」
と泣き出したので、その場の空気が少し変わりました。
叔父夫婦や祖父母のみならず、親戚一同から最も可愛がられていた妹の無邪気な声が、皆の心を和らげた様です

結果、我々は物部村に連れて行ってもらえる事になりました

大祭の当日、我々兄妹は勇躍叔父のクラウンに飛び乗って期待に胸を踊らせていました

幼い我々にとって「大祭」とは、縁日夜店の立ち並ぶ遊園地空間としてのイメージしかなかったからです


所が、その大祭は、それまで見た事もなかったし、それ以降現在に至るまで私も見た事もない、実に異質なものでした

先ず、子供達の楽しみである出店等一つもありません。
昼なお暗い奥深い山中の祭壇には、苔むした岩の土台の上に、無数のさかやきがあるだけです

祭の筈なのに、賑やかな声など、全く聞こえてきません

後に、ここ高知県物部村は土御門神道を最も先鋭化した「いざなぎ流」の発祥地である事を知りましたが、当時の我々には唯々不気味なばかりです

その異常な雰囲気に耐えられなくなった妹は、叔父に泣きついて車に戻っていきました

好奇心の勝った私は、列席している叔父のずっと後方で祭事を見学していました。
その場で、一般的には神官と言われる「太夫」の披露が行われ、師匠から弟子への様々な免状が手渡されていきました。
そして今でも忘れられないのが、新たな太夫に対して、師匠が、呪殺の奥義を伝授していた事です

強い訛りの中から何とか聞き取って、朧げながらも覚えている意味では
「お前は、これから私が教える術を決して使ってはならない。
然し、世には呪いに苦しんでいる者も多いから、彼等を救う時、この術の事を思い出して参考にしなさい」
と口上を述べました。
それからすぐに祭壇は屏風に囲まれ、それぞれの師匠が弟子に奥義を授けておりました。 それは、子供であった私の精神的許容量を余りにも越えた光景でした


全く勝手な言い分ですが、帰りの車の中で、私は叔父を責め続けました。
「あんなのお祭りじゃない」
「叔父ちゃんも、呪いで人を殺すの?」
「何であんな所に、僕たちを連れていったの?」
等々、実にひどい事を言って叔父を困らせましたが、彼は
「ごめんな、悪かったね」
と言うだけで、私の甚だ身勝手な物言いに何一つ怒らなかった事を覚えています。
子供時代の事とはいえ、今でも思い出すと恥ずかしくなります


さて、叔父さんには、その四年後に長男が誕生したのですが、話の本番はここからです。
表題から想像して下さったであろう不気味な話は、明日書かせて頂く事にします


それと、重要な点ですが、土御門神道や、いざなぎ流は、決して邪教ではありません

今日でも多数の信者を持ち、人々の心の支えとなっている立派な宗教です

呪殺法の事も、飽くまで敵の手の内を知る事が目的であって、彼等がその様な邪法を行う事は絶対にありませんので、誤解なき様に


前段 最後に
日テレのスタイリストよ
葉山エレーヌに黒ストッキングを履かせるな
俺は彼女の脚を見る為だけにスッキリを観てるんだ

今度彼女が黒を履いているのを見たら、お前らが使うコーヒー用の砂糖を、全部塩とすり替えてやるからな



以上、本文と全く関係がないではないかと言う抗議へのお答えは、商品の発送をもって発表に替えさせて頂きます(笑)






