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ちょこっと仏門、想い、徒然と...

原田 幹
禅僧•コンサルタント業ですが、最近主きを感じるのはモチベーションスピーカーです。かつては少林寺拳法の先生、今は自由に生きています。お仕事は食べていけるだけで充分。

ー職域—
企業のコンサル/戦略プロデュースを行っています。

一章 第二節  師事して会得の事

 教範にある通り「当身の五要素」「各種の理法」は要素として大切なことである。
しかし武専を卒業するにあたり単にそれだけで良いのであろうか。

私たちは開祖が教範に表現なさらなかった「師事して会得の事」の部分についても考える必要があるのではないだろうか。

武専を通し学んだことは、剛柔を問わず、それらを達成するための要素に何かが必要であるということである。

以下に私的判断ではあるがそれらを述べて行きたいと思う。


この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。

第一章 拳
第一節 法形について


武専十一年間で考えさせられたこと。
まず少林寺に入門し最初に考えることは「法形」をどうしたら上手にできるか、ではないだろうか。

私も、先輩の動きを見たり実際に手を取り、何度となく技を繰り返した。

その段階で「この技はこうした方がいい」と自然と「法形」をどうこなすか、特に柔法においては、どうしたら「効くか(痛いか)」を研究したものである。

しかし我々が目指すのは「法形の巧さではない」。

開祖は我々の「法形」を残した。しかし、その目的はどこにあったのであろうか。

技術のみを捉えたとき開祖は終局的には「わしのように強くなるにはこういう練習をしなさい」と「法形」を残したのである。

つまり、法形は通過点でありゴールではないのである。
「法形」は様々なシチュレーションに応じた対処法をまとめたものである。

したがって、「法形を巧くこなす」ではなく「法形で何を学ぶか」が重要なのである。



この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。

当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。




 「拳禅一如」、これは言うまでも無く少林寺における基本思想である。本論文を執筆するにあたり、技術としての拳、また少林寺で学んだ禅を実生活へどう活かすか?私自身が試行してきたことを論じていきたいと思う。

まず一章として拳を論じる。
これは私が今までの修行の中で感じ得た技術的な部分でありそれらが必ずしも確定したものではない。
しかしそれらは良き師、良き仲間たちから学んだ現在までのひとつの答えであり、今後も更なる探求を続けたいと考えている。

また二章では、禅の試行としてここ一年、拳士達および少林寺拳法へ関わる人々へ少林寺の思想を何とか伝えようと行った試みの軌跡である。
ここでは少林寺に入門していない後援会の皆様も対象としているため技術論は一切展開していない。

また私個人の主観が多く学術的には、お叱りを受ける部分もあるかもしれないが私の個人的見解とご容赦いただきたい。



この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。

当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。





54.(怒りの理由)


随分前に先輩道院長より聞いた話です。
言われて見れば「なるほど..」と思える話は良くありますがいざ、自分に当てはめて見ると反省することが多いものですね。

この話も最近やたら目に付くので、ついつい思い出していました。

「憤慨」
簡単に言えば腹を立てることですが、問題はその腹を立てる理由なのです。

「私憤」とは文字通り私事で腹を立てること。
人はプライドを傷つけられたり自分の物差しから外れた事をされると憤りを感じます。
そしてその相手が自分より弱いものであれば、怒りとしてぶつけてしまうことが往々にして起きてしまいます。

また相手が自分より強い相手であれば、陰口や悪口といった愚痴がこぼれてしまうこともあります。
「私憤」はその人の格を落とします。

また「公憤」とは不正など公のことに対し怒り立ち上がることをいいます。
開祖がよくおっしゃられた
「悪いものは悪い。良いものは良いとはっきりいえるような人になれ」
とは「公憤」ことをさしているのです。

自分自身を省みるとどうでしょう。

ついつい子供や部下に「私憤」で怒ってしまうことはありませんか。

「私憤」は必要最小限、場合によっては自分が責められるようなシーンであっても耳を傾け、本当に自分が正しいのだろうかと自問自答することも必要なことなのかもしれません。

「正直者が馬鹿を見ない世の中を作ろう」と言う開祖の想いが少林寺創設の目的のひとつなのです。



この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。

当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。


53.温かさ..

ホームページの更新がかなり、遅れてしまいました。まずはお詫び申し上げます。

先日、拳士の結婚祝いが道院で行われました。
また、その中で私の昇段祝いも開催していただきました。

今回の会は拳士や後援会の皆様が企画し、開催されたものですがその会はまさに手作り..

会場には結婚式当日のビデオが流れ、
子供たちの歌、お母さん様方のハンドベル、拳士たちの合唱、新郎新婦のダンスなどなど、何か学生時代の学芸会といった感じでそれは楽しい祝賀会でした。

開催にあたり、少年部の練習を早めに切り上げて歌の練習..

お母様たちは初めてのハンドベルへの挑戦。

また飾り付けのテープや造花を何日もかけてみなさんが手分けしてつくりました。

料亭や高級なホテルでの立食パーティもそれはそれで雰囲気はありますが、内輪で行う手作りの祝賀会は人の温かさでいっぱい!。

結婚した喜びや昇段の喜びももちろんありますが、何より仲間たちが心から祝ってくれる感動でいっぱいでした。

少林寺拳法は護身の技術ではありますが開祖は人としてのつながりを何より大切しました。

小さな子供や壮年までいろいろな年代の人が集うのが少林寺の道院です。

大人も子供もそれぞれに学び会うことができる。

開祖が示したこういった環境を何とか継続していければ..
人の温かさ..
殺伐としたニュースが連日流れる今日ですが、すべては人の質、互いに良い係わり合いを持っていきたいと思います。



この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。

当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。