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ちょこっと仏門、想い、徒然と...

原田 幹
禅僧•コンサルタント業ですが、最近主きを感じるのはモチベーションスピーカーです。かつては少林寺拳法の先生、今は自由に生きています。お仕事は食べていけるだけで充分。

ー職域—
企業のコンサル/戦略プロデュースを行っています。

最後に


 紙面の都合でインターネットを通じて配信 した全文は本論文に掲載できないが現在、四十二号まで配信を続けてきた。
 このホームページレポートは現在も進行中で今後も可能な限り、続けて行きたいと思う。

最後になったが「拳禅一如」「力愛不二」「剛柔一体」等、開祖の残した数々の相反する言葉、また半ばは他人を思いやる基本理念、すべては「偏った人間になるなよ」。

それは私たち拳士への「バランス感覚の良い人間になれよ!」というメッセージであったのである。

武道、護身のお術としての技の習得(拳)は必須ではあるが同時に人として忘れてはならない心(禅)の大切さを私たち拳士は忘れてはいけないのである。

 巻末となったが、これまで私が少林寺拳法を続けられたのは影となり私を支えてくれた家族達の協力のお陰である。

ここに改めて感謝するとともに不祥の私にお付き合いいただいた拳士諸兄へ改めて感謝いたします。


参考文献等 
 少林寺拳法教範  宗道臣 著
 総裁講話より   宗由貴講話
 仏教語大辞典   東京書籍刊
 大辞林第二版   三省堂出版
 般若心経入門   松原泰道著
 釈迦の読み方   増原義彦著



この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。


 少林寺拳法の素晴らしい思想を少林寺の内部だけに留まらず、どう社会に伝えていくか。
それは我々指導者が真剣に考え、実践していかなければならない問題である。

道院で行う法話だけでは、その場に参座している仲間内だけの話しになってしまう。
縁あって少林寺に関わる人々にもなんとか伝えることはできないかと考えていた。
幸い私はコンピュータ関連の仕事をしており、ひとつの試みとしてインターネットのホームページと携帯電話のメールシステムの活用を模索した。
携帯電話であれば、拳士も父母も殆どの方々は利用できる。

このメディアを通し少林寺の考え方や仏教の考え方を解りやすく拳士や後援会の皆様等へ伝えるこの試みは平成十三年十一月から試行し、現在でも週一回の配信を行っている。
ここでは、それらの一部を抜粋したいと思う。
抜粋
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#ちょこっと仏門



この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。


第二項 柔

重心の制御

 我の重心を安定させること。
 そして相手の重心を自在にコントロールすること。

 それにはその時点の相手の重心の位置を知ることが重要である。

 相手の重心の位置を常に意識し、自分でわからなければ相手に教えてもらいながらでも良い、これはすべての柔法に言えることである。

無論私自身すべてが出来るわけではないが、相手を痛めつけるだけではなく、「我の思うままに相手を制御する」を共通の目的とし、修練する必要があるのではないだろうか。

原理の明確化

 柔法のひとつの法形においても、その手法は千差万別である。「前方向に崩す」「斜方向へ崩す」「後方向へ崩す」「潰す」「痛める」また、それらの複合されたものなど多種多彩に渡る。

修練においては「今、どのような原理で相手を制しようとしているのか」を明確にしないといけないと考える。どの方法もそれなりの利点があり、どれが正しいとはいうことはできないのである。

自分自身の得手・不得手、好き嫌いも存在するが全てを否定することなく、時間をかけて習得していくことが重要な事ではないだろうか。



この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。



 柔法においても前記した「運歩」「一点集中」「軸」は同様に重要である。
突き詰めて考えれば、「剛柔一体」は「別々のものではなく、双方を重んじる」という考え方だけではなく、相手を制するという共通の目的を有するが、その手段(相手との接触時間)が異なることである。
力学的にみれば身体の使い方は剛柔共に共通点は多いのではないだろうか。

抜きの接点
 柔法において相手を制するための接点(掛手、鈎手など)は非常に重要である。
大きくわけて二種類の接点の作り方が存在すると考えられる。
持たれた相手の手と我の接触面には多くの点が存在する。
そして接触面の中に存在するポイント、すなわち接点について考えてみる。
「三点から一点へ」三点とは「面」を意味し二点は「線」、一点とは文字通り「点」である。
全ての抜き技は相手に持たれた時点の「面」から「線」「点」へと変化させ一点を支点として各種の理法を用い抜くのである。

投げ・固めの接点
「三点を大切に」投げ・固めの接点作りは「抜き」とは反対に相手に持たれた「面」と我の掛手の接触面(三点)を維持し固定させること、そしてどこに力を集中させるか、どの方向に力を向けるかが重要であると考える。
また更に重要なことは相手との接点を大切にし、相手と繋がり一体になること。

他武道では「気を通す」「気を合わせる」という表現を用いるが少林寺の柔法においてもそのイメージは重要であり、相手との接点を大切にしなければ有効な技とはならないと考える。


この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。


運歩
 剛法において重要なことは「運歩による間合い」の取り方である。
法形や運用法、演武すべてにおいて「かわす」「突き・蹴り」の土台となる部分である。その各場面での最良の間合いへの運歩を体現できるようにするには法形の修練だけでは中々身につけることは難しい。
法形の修練と共に初期段階の習得法として演武また速度を落とした運用法など連続した動きの中でのみ習得できるものであると考える。

一点集中
 次に拳など攻撃用器へどれだけ、自己の体重を乗せられるかが重要であり、少林寺の特徴としてある「女性や子供など非力なものでも相手を制することができる」を達成するには「一点にどれだけ力を集中できるか」が重要であると考える。


 前記の「運歩」「一点集中」を達成するには軸の意識を持つことが重要である。
「正中」をどこに置くか、縦軸(足腰頭)・水平軸(腰肩頭)また場合によっては軸の傾斜を利用するなど、重心の軸・回転の軸を意識し有効な運歩・間合い・受・突・蹴は達成できないと考える。

法形
 前記の通り、法形は数々の場面を想定し実際にその場にあった運歩、体捌き、突き、蹴りができるようにするための修練法なのである。

「この法形はこうだ!」と巧みにこなすだけではなく、法形の修練をすることによってその経験から何を身につけようとしているのかを考えなければいけないのではないだろか。


この記事は1999年〜2002年頃に執筆したもののリライトです。当時はブログそのものがなく自作のホームページにHTMLで直接書いていました。終活(笑)記録用にリライトしています。