前回何書いたっけ?
と、前回、前々回、前々前回と記事、遡ってきました。
そういえば、卒業のこと、書いてなかったですね。
専門学校は無事に卒業することができました。
あの課題は全部やりきることはできなかった。
けど、やった分を提出しました。
ただ、それだけじゃやっぱり足りなくて、追加の課題を出されました。
その場でできる文章課題。
・・・何書いたっけ?
確か、先生が書いてほしいことをいくつか言ってたんですよ。
んで、僕はそれをもとにレポート用紙3枚・・・4枚ほど、つらつらと書き綴ったんですよ。
嘘無く真面目に本音を全て。
そしたらね、先生。そのレポートを見てこう言ったんですよ。
「先生の書いてほしいと思っていたことが全部書かれている」
「クライアントの意思を汲み取っている」と。
僕には最初、何を言ってるのかわからなかったんだけど、これは褒められてるのかなって。
文章を書くとどこかに嘘が混じる僕だけど、その時ばかりは嘘っぽい嘘を書く余裕がなかったと思う。
いつもね、その場その場で言葉を書いてるんだよ、僕。今も、そう。
今考えると、「嘘」って何だろうって思うかもしれない。
僕にとって「嘘」って「身を繕う何か」じゃなくて、「大げさにする」とか「興味を持ってもらいたい何か」なんだと思う。
今、普通に考えてたけど。「」の中。
誰が見ているかわからないこんな文章でも、意外と真面目に書けてるのはそういうことなんじゃないかな。
僕はね、いつからか声優になりたいって言ってたんだよ。
けどね、今は「ストーリーテラー」になりたいって言ってるんだよ。
文を書かなきゃ意味がないの。
でも「ストーリーテラー」って「語り部」の意味を持つから、とりあえずは今のままかな。
書きたい物語を書いて、pixivやブログに物語をupして、どこかの誰かがそれを読んで。
何を思うかはその人次第だけど、心動かしてくれたらなって思う。
「思う」だけじゃ何もできないけどね。
声優になりたかった時も、ストーリーテラーになりたい今でも、実は一貫してることがある。
それは「誰かの心を動かすこと」。「自分の描く物語で感動してくれること」。
怒ろうと、笑おうと、泣こうと、嘆こうとも、全ての元が自分の物語であればいいなって。
リクエストを貰って、書き上げて投稿して、「ありがとうございます!楽しかったです!」なんて言われるけれども。
僕は嬉しさ半分ですべて読んでる。
なんでって、それが「くそつまらなくてコメントに迷った」お世辞かもしれないから。
リクエストした人の描く物語と、僕の描く物語が180度違う場合だってある。
そういう時って、「こういうのを書いてほしかったんじゃない」って思う人が居るわけでしょ?
「そういう世界観もあるのか」って感想なら、僕も嬉しいで満足なわけですよ。
けどね、必ずしも「自分の見てる思い描く世界」と、「リクエストする人の見てる思い描く世界」は違うわけだから、全てを真に受けるなんてできっこないんです。
こんなこと言ってるけど、この文章でも人の意見なんて山ほどあるわけよね。
専門学校上がりのニートが戯言言ってるだけだって軽く思ってくれればいいですよ。
ただの親のすねかじり人間の言葉なんて、聞く耳持つ人居ないから。
自虐に自虐を重ねる僕は底辺のクズだから。
さてと、ここから這い上がる準備をしなくては。
それはいったい何十年かかるんでしょうか。