自分の中にオトコの自分と、オンナの自分が両方居る事に気づいて、女装をはじめてもうすぐ3年になります。
オトコの自分も、オンナの自分も、一つの体を共有していますが、明らかにいえるのは、全く違う人物です。
その違いは本当に陰と陽のエネルギーのように、大局の性質をもっています。
オトコの肉体に生まれた私に宿る2つの魂。
出会う人によっては『化粧してもオトコの時のまんまだね』とか、『化粧している○○君やん』という人もいますが、まるで違う人物のように感じられるという人もいます。
それは、外見的な男装、女装という状態と、内面的なオトコとオンナという心理的状態がいつも一致しているわけではないのも原因にあります。
つまりモードとしては、
①男装×内面(オトコ)
②男装×内面(オンナ)
③女装×内面(オトコ)
④女装×内面(オンナ)
の4つのモードがあって、無意識的に対峙する相手やシュチエーションで使い分けをしているわけです。
仕事、遊び、恋愛、結婚、人生の色んな場面によって色んな自分を楽しめる事が本当に豊かなだと感じます。
女装して1年目は、オンナを開放する事に許可を出した1年
女装して2年目は、オンナに人生を100%委ねた1年
女装して3年目は、オンナとオトコを統合させた1年
まだ今年は3か月残ってますが、不思議と自分が歩むべき道に、自分達の導きによって進んでいます。
オトコとオンナがなぜすれ違うのか?
オトコとオンナは生物学的にも、脳科学的にも、心理学的にも、全く違う生き物です。
今日は細かい部分に触れませんが、この【違う】という事を、どう取り扱っていけるのかどうかが、
オトコとオンナがすれ違うのか?、オトコとオンナが共存するのか?という事の鍵になっていくと感じます。
アタシの中での【違い】についての取り扱いのビリーフを言語化しておきます
・違う性質のオトコとオンナが、違いを認め合う
・違う性質のオトコとオンナが、共通の目的を共有する
・違う性質のオトコとオンナが、そのプロセスこそが豊かな体験であると気づく
昨日のブログにも書いたアタシの中でのオトコとしての自分とオンナとしての自分がそれぞれに違う
アイデンティティーとして存在する事に対する合意は、この3つのビリーフに対する合意だったわけです。
アタシの中では、アタシたちの内面の世界でのオトコとオンナのすれ違いはこの3つのビリーフが盲点になっている時に起こっているなと感じます。
オトコのボクと、オンナのアタシの二人三脚で、実現したいビジョン、二人三脚じゃないと実現できないビジョンが沢山見つかりました。