作家・ジャーナリスト 岡野龍太郎

AIロボットの人間化が止まらない。同時に人間のロボット化も進んでいる。改めてロボットとは何なのかを問わなければならない。人間にとって労働を軽減化し効率化の便利な道具なのか。AIロボットは人間と共生できるのか。あるいは人間はロボットと共存・協働できるのか。新たなロボットの世紀の幕開けは、そのような未知の世界に我々は遭遇していることを予兆させている。

 

1949年に刊行されたイギリスの作家・ジョージ・オーウェルの近未来小説『1948年』は、全体主義国家により分割統治された近未来世界の監視国家の恐怖を描いているが、オーウェルの想像を超えて、今や世界は自らが生み出したAIロボットによる人間支配の監視社会の恐怖に直面している。

産業革命以来、科学技術の進歩は人類を豊かにし、大量生産、大量消費の資本主義が人間社会を席巻してきた。まさに西洋文明が物質至上主義の社会を創出し、東洋の思想を片隅に追いやり、キリスト教的な世界観が人類を支配してきたのだ。

その行き着く先がAIロッボトの急成長と進化にあるのかもしれない。物質文明が人類にもたらした恩恵は計り知れないが、一方で人間が人間であることの本質も変容してきているのだ。

 

ロボットの語源は、チェコの作家カレル・チャペックの戯曲「R.U.R.(ロッサム万能ロボット会社)」で人造人間に名づけられた呼び名である。チェコ語で「強制労働」や「苦役」を意味する「robata(ロボタ)」に由来する。

広辞苑(1991年・第4版)のでは、ロボットについて①複雑精巧な装置による人工の自動人形。人造人間。②一般に、目的とする操作・作業を自動的に行うことのできる機械又は装置。③他人に操作されて働く人。実力がなくて地位にいるだけの人。傀儡。―――と表記されている。広辞苑は、この時すでにロボットを“自動人形”“人造人間”と定義し、同時に人間のロボット化も喝破していたのだ。

 

それにしても中国のロッボトの進化はすさまじい。

今年の新年、中国のCCTV恒例の年越し春節特別番組で人型ロボットの一糸乱れぬ演武を披露した。その機敏性には度肝を抜かれた。武術の実演や格闘シーン、バック転など人間と同様、あるいはそれ以上の正確性、俊敏性を実現させ、中国のヒューマノイドロボットが世界最先端、最高レベルにあることを示すものであった。

とりわけ二足歩行の人型ロボット分野では、限定的ではあるが人間の能力を超えている。新年からわずか8カ月後、我々はヒューマノイドロボットの進化に度肝を抜かれた。この8月北京で開催された「世界人型ロボット運動会」で、走る人型ロボットは100メートル走で、ウサイン・ボルトの世界最速記録の9秒58を塗り替える8秒64の驚異的記録を叩き出した。 ハーフマラソンでも、今年4月の北京ハーフマラソン大会で、スマートフォンメーカー・Honorの「ライトニング」が21キロを50分26秒とこれまでの人間の記録を6分以上短縮する驚異的な記録で完走した。

 

この中国のロボット技術発展の背景には、電気自動車の目覚ましい普及によって培われたモーター、センサー、バッテリーなどのハードウェアの強固なサプライチェーンの存在がある。この基盤があるからこそ、頑健なボディの政策やフィジカルAIの進化が走行時の着地衝撃やバランス制御を可能にしたのである。実用面の進化がより高度の技術の進化をもたらしている。机上のプランではないのだ。この実学・実践重視の考えは、古来、中国の儒学の精神でもあるのだ。

 また、これらの中国の発展には、代表的企業・ファーウェイの経営理念に着目する必要がある。それは戦略の集中力―――「力は一つの穴から出し、利も一つの穴から出す」(力出一孔、利出一孔)である。要は「力を集中」は、人材・資本・技術・マネジメントの資源を核心となる戦略の方向へ注ぎ込み、目先の機会に飛びついて闇雲に多様化しない。「利の集中」は、利益の分配や価値の還元もまた、核心となる事業を軸に展開する。集中とは一種類の製品だけを作ることではなく、すべての事業が共通の核心的な能力の上に築かれていることだという。このような経営理念が、今の中国社会の根底にあるからこそ、電気自動車やロボットの進化をけん引しているのだろう。

 

日経ビジネスによれば、中国のロボット分野の規模は、去年6兆9000億円であるが、2028年には15兆9000億円にも達するという。人間が想像する夢が見事に実現し、想定以上の夢が拡大しているのだから全く未知の世界が出現する可能性を誰しも否定できないだろう。

さてロボットの現況は産業用ロボット、サービスロボット、ヒューマノイドロボットに大別されるが、その市場規模と構成要素は多岐にわたり無限である。経済産業省の産業用AIロボテイクス検討会では、「日本は産業用ロボット市場で世界の約七割のシェアを誇り圧倒的に優位であるが、サービスロボットとヒューマノイドの分野では米中欧が9割近くを占め、日本はわずか1割程度と遅れをとっている。AIロボテイクス開発が米中で進む中、ロボテイクス領域におけるハード・ソフト両面での技術革新や、人口エコシステムでも劣後する結果、日本は既存の産業用ロボット領域における産業競争力も喪失する恐れがある」と分析している。また、ヒューマノイドを含む多用途ロボット市場の規模は2030年頃を境に急拡大し、2040年までに約60兆円規模となるとの民間調査を紹介し、飛躍する中国が市場規模の半分以上を獲得すると想定している。

 

 労働力不足とAI進化が、ロボットの活用をもたらした製造業、農業、医療・介護、物流、サービスなどでは幅広い分野で導入が進んでいる。例えば、製造業ではロボットアームによる自動化と品質管理、農業では自動収穫機や品質管理、物流では倉庫内の運搬装置の自動化など。介護・医療分野では高齢社会の支援策で介護ロボット、公共施設やレストラン・コンビニでの清掃ロボット、ヒューマノイドロボットによる観光案内や警備・見回りロボット、ホテルでの受付業務と人間社会と共存し協働するロボットの進化は、人間自体の労働の質と効率化を上げると同時に、単純労働における労働者の排除すら招きかねない事態を招いている。果ては自動車運転、ドローン、無人航空機、自動運航船、自動建機、AIアバターロボットと可能性が拡大する。ドローンや無人飛行機、四つ足走行ロボットは人間にとって困難な作業を肩代わりするが、兵器への転用がもっとも危惧されている。

 このようなAIロボット社会の進化は100年後にどこまで行きつくのか。光量子コンピューターとAIが極限まで進化した時、それは人智を超えた神の領域に達し、「無の世界」に近づくのではないかと予測する。この「無の世界」は西洋哲学と東洋思想における人間の「最高善」であるのかもしれない。だからこそ人間の精神と調和したロボットの進化こそが“人間の再興”への期待を抱かせるものがあるのだろう。