こんにちは
もしかして今日をお休みにして4連休なんて方も多いのかな?
私はとーーーってもスペシャルな週末を過ごしました
このブログを見て名古屋からはるばる高野原接骨院に来てくれたAちゃんが仙台に来てくれました
Aちゃんと私は同じ日に出産をしました。
つまりは源祷とAちゃんの息子ちゃんの誠也くんは誕生日が一緒
※Aちゃんとの対面時の記事はコチラです↓
ブログには何でも書いてOKだよと快く承諾してくれたので、色々綴らせていただこうかと思います
Aちゃんから
「色々と気持ちも落ち着いたから、メモリアルボードをお願いしたいのだけど」
と連絡をくれました
送り先を聞くと、
「仙台に取りに行こうかと思う」
とのこと
すごっ。
Aちゃんのフットワークの軽さすごい。
もちろん大喜びで首を長~くして、この日を待ちわびていました
今回が3回目の対面。
しかも前回はちょこっと挨拶した程度。
でも、なんだろう、いつもの友達に会うようなそんなテンションで待ち合わせ
カフェの前でAちゃんを待つ私
足早に通り過ぎていった女性が3m先くらいで足を止めて二度見してる(笑)
私と目が合うも、お互い、無言のアイコンタクト
あれ、なんか自信ない(笑)
しかも待ち合わせ場所をさっそうと通り過ぎて行ったし(笑)
おそるおそる近寄る2人
「…あれ・・・・え・・・・ん?」
マスクを外すAちゃん。
「わ~!あははは~よかった!マスクで分かんなかったよ~」
という何ともコントのような再会から始まり
お互いの近況などを語らって、夜の部へ移動
Aちゃんが来てくれることを私と同じく待っていた接骨院の先生と3人で
施術外の時間で先生とお話をさせてもらうなんて、なんだか申し訳ないけど誘っていいのかな~?と、Aちゃんと相談しながら。
先生は二つ返事で来てくれました
もう、濃い時間すぎて、天使ママの皆さんと共有したいお話がありすぎて書ききれないので、今日から少しずつ思い出したことをお伝えしたいと思っています
まずいち早くお知らせしたいことは、「天使ママ選ばれしもの説は間違えない」ということ
ご存知の通り、接骨院の先生は特殊能力の持ち主なのですが、基本的には先生の方からアクセスしてメッセージを受け取るということが多いそうです。
楽しくて、お酒も進んでしばらくたったころ、誠也君の話をしていると
先生
「・・・・なんかきそうだな・・・」
きゃ~~~~!先生通信してる~!
ここから度々、誠也君は登場して色々なメッセージをくれました。
アクセスしていないのに、向こうからメッセージが降りてくることは珍しいそうです
(酔っ払い中の出来事で、細かいニュアンスに自信がないのですが、私の記憶の中のお話をさせていただきます)
誠也君は、源と同様に上から目線でママにアドバイスをくれました。
Aちゃんと私
「やっぱ師匠だね!」
先生
「うん、魂のレベルはすごく高いところにいるからね」
私
「ってことは、やっぱり、そんな誠也君に選ばれるほどのAちゃんだってことですよね!」
先生
「あ~もうそれは大前提!やっぱり、この経験を糧にしてくれるお母さんだっていうことは前提だよ。」
私
「やっぱり天使ママ選ばれしもの説は本当ですね!?」
先生
「そうだよ~やっぱり、障害や病気を持っていたり、2人みたいな経験をしたり、そういうお父さんとお母さんは特別なんだよ。これは間違えない。俺みたいな普通の人間のところには来ないの~」
(先生、お気づきじゃないですか?全然普通じゃないですよ~笑)
たくさんの赤ちゃんやママを施術し、赤ちゃんの魂と実際に胎話をしている先生から断言してもらうと、説得力が違いますね
選ばれた~!
わたしは特別~!
って、喜んでどうするって思う方もいるかもしれないけど、元気な子を産めなかった母として劣等感を感じている私たちにとっては大きな意味があるのです。
元気な子を産んでいるお母さんより、自分は人間として劣っている。
という気持ちは超勘違いです。
その幻想は誰も喜ばないし、何よりも赤ちゃんが困るんですよね
自分を責めるというのは、実は一番楽です。
何とも向き合わなくていいんだもん。
ただ、私が悪い、私のせいだと言っていれば、何とも向き合わず、しかも「そんなことないよ」って優しい声をかけてもらえる。
でも、流産死産を経験されたママなら誰もが思うことで、必ず通る道なんですよね。
混乱のなかで味わう感情の一つ。
責めたくなったら、ひととおりとことん自分を責めて、戻れない過去をいっぱい悔やんで、そうしている自分を許してあげる。
一通りやりきったら、おしまいにする。
どうしても自分を責める気持ちから抜けられないときは、ママの人生の為に、命をくれた子供の存在をもう一度考えたいですね
起こる出来事には全て意味がある。
っていうよりは、
起こる出来事の意味は自分で決められる。
だと私は思っています。
だから、その意味をママの人生にとってより良い方向に意味づけられる人にしか、この出来事は起こらないと思うのです。
そういう意味で、「選ばれたママ」なんじゃないかなと。
悲しみや苦しみが大きいほど、それに比例してその後に開ける世界は素晴らしいと言います。
本来いるべき世界に気が付かず、生い立ちや日々の生活の中で沢山のいらない垢をつけてきてしまったママ。
「ママ!ママはそんなところでくすぶってる場合じゃないんだよ!気づいて!ママが見る景色はこっちだよ!僕が手伝ってあげるからね」
幸せな人生への切符を、子供たちが持ってきてくれたのです。
この切符を持ってこれる子は魂レベルの高い限られた子。
自分の命・人生を思い出して輝きを取り戻し、世のため人のために何らかの役割を持っているママがその切符を受け取れる
大きなことをしなくてもいい。
ただ自分の命を大切に、人生を楽しみ、幸せでいること。
自分が幸せでいることで、ただそれだけでもう世のため人のためになってます
妻が幸せなら、夫も幸せ。
ママの笑顔がお空の子供にとっても何よりのプレゼント
かわいいかわいい我が子が自分をママに選んでくれた。
自分を否定することは、子供に失礼だよね。
さ、自分の命をはってママの為に持ってきてくれた切符
活かすも捨てるもママ次第
「今、この時間を楽しんで」
誠也くんからママへのメッセージでした。
これは源も私に言ってくれた言葉。
どんなときも
「今を楽しむ」
ことが幸せへの大きなヒントなんですね
ちなみに、楽しんでるママをみた誠也くんは満面の笑みでした
メモリアルボードをお披露目したときの誠也君の様子はまた次の記事で