街の古本屋に立ち寄った。
棚を見渡し、ふと目に止まった本。
「佐藤春夫詩集」
その場で手に取ってパラパラとめくる。
秋刀魚の歌という詩が現れた。

「さんま苦いかしょっぱいか」という言葉はよく耳にする。
これは何かのことわざの一節のように思っていた。
しかしこれは佐藤春夫の秋刀魚の歌の詩にある一節であった。

佐藤春夫は日本を代表する詩人。
その名に特別な思いがあるのは、私の卒業した高校と大学の校歌の作詩者であったことである。
なんとも不思議な巡り合わせであるとの思いがあったのである。

古本屋で偶然見つけたその詩集を150円で購入した。
そしてその本を持って、すぐ近くにある焼き魚専門の食堂に入った。
勿論注文したのは「新秋刀魚定食」。
出来上がるまでの間、秋刀魚の歌の詩を読んだ。
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秋刀魚の歌

あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
ーー男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸(はし)をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそ見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非(あら)ずと。

あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児(をさなご)とに伝へてよ
ーー男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩(しょ)つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
(「佐藤春夫詩集」島田謹二編 新潮文庫より)

なんとも切ない詩であった。
佐藤春夫は当時谷崎潤一郎の妻に恋をして、様々な問題や悩みを抱えいてのであった。

そうこうしているうちに、さんまが焼きあがった。
さんまは今が旬の食べ物。
落語にも登場する。
当時は殿様が食べるようなものではなかった。
しかし、「秋刀魚が出ると按摩が引っ込む」と言うことわざがあるように、さんまは
安価で大衆的な魚で栄養価は高いのである。

我 今日の夕餉に ひとり さんまを食らいて 思いにふける。

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