昨日3月14日は何の日であったか。
ホワイトデー。
私も一応の「義理」を果たしたのであるが。
「義理」といえばあれを忘れてはいないか。
そう、忠臣蔵の刃傷事件。
赤穂浪士の討ち入りのきっかけとなった事件である。
12月14日は討ち入りの日としてよく知られているが。
 
時は元禄14年3月14日。春弥生。
ところは江戸城松の廊下。
播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩は吉良上野介義央に向け「この間の遺恨覚えたるか」と叫び、脇差を振り下ろした。
幕府の裁定により浅野は即日切腹、吉良はお咎めなし。
ここから大石内蔵助を先頭に赤穂の四十七士の復讐劇が始まり、翌元禄15年12月14日吉良邸への討ち入りでクライマックスを迎えるのである。
 
さて、今日ラジオ番組「久米宏のラジオなんですけど」を聴いていたらゲストのコーナーで、新橋の老舗和菓子店社長が出演されていた。
この社長の店が「新正堂」、そこの名物が「切腹最中」。浅野の切腹をモチーフにした最中である。
「新正堂」が浅野が切腹した田村邸の屋敷跡にあったことから、この「切腹最中」を考案したとのことである。
 
ラジオを聴き終えると、いざ、新橋へと向かった。
田村邸の屋敷跡は現在の新橋四丁目一帯にあたる。
現在ちょうどそのあたりは、環状道路の工事が進められている。
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工事のため移転した「新正堂」があった。
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看板には創業大正元年とある。100年を超える老舗である。
現在の店主は三代目。
店内は赤穂浪士にちなんだ装飾で、その商品が並ぶ。
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何はともあれ、「切腹最中」を購入。あと「義士ようかん」「忠臣蔵陣太鼓 どら焼き」を買った。
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パリパリの最中の間にたっぷりの粒餡。最中を切腹させたのである。
 
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箱に四十七士が描かれた「義士ようかん」。
大石内蔵助(左)と俵星玄蕃に出てくる杉野十平次(右)を買った。
 
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討ち入りの合図にもよく出てくる陣太鼓を模したどら焼き
 
「切腹最中」は今日初めて知ったのであるが、刺激的なネーミングである。
今の店主が考案したが、当初は周りから猛反対されたそうである。反対を押し切って販売に踏み切ったのが平成2年。発売されるとその名前が先頭を切って一人歩きしたそうである。
今やスウィーツとして有名になっているそうだ。また東京のお土産としても常に上位にある。
お詫びの品としても重宝されるとか。上司に失敗を詫びるのに「切腹最中」を持参すると上司の見方も変わるかも。
原料も製法にもこだわりのある逸品である。
 
さて、浅野はこの一帯にあった屋敷の庭先で切腹した。
日比谷通りに面したところに「浅野内匠頭終焉之地」の碑があった。
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浅野は辞世の句を次のように詠んだ。
「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」
 
さぞかし無念であったろう。
その浅野の無念を大石内蔵助は討ち入りによって果たす。
そして内蔵助は浅野の墓前で次の句を詠む
「あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
念願を果たした大石に悔いはない。
 
「切腹最中」はそんな名歌も味わえ、忠臣蔵を味わえる銘菓である。