地元の高校を出て就職し1年目の夜勤で暗がりに隠れて見廻りの上司を驚かせ、泣かせてしまった事もあった。他愛もない悪ふざけだったが、よく可愛いがってくれた仲の良かったその上司は、彼が号泣したその日から余り口をきいてくれなくなった‥‥
 喧嘩は自分から売ることは無いが売られれば買わないと相手に失礼だと思い、喧嘩も良くした。隣の県まで行ってクルマ中、血だらけでやっとのことで朝方帰って来たことも‥‥未だに怖い大阪の親戚の叔父でさえ俺がそのまま自動的にそのコースを辿ると思っていたらしい‥‥それにとても活字で書けない事も沢山有るがそれは今はヤメておこう‥‥。今にして想えばだが‥‥
 自分は高校時代の一年の時、ある火事での人命救助で表彰された事がある。でその事がこの後の生きてく上での万能の|免《﹅》|罪《﹅》|符《﹅》を手にしたとどうも思ってた節がある。だから、余計に派手な生き方にもなった。前述の叔父から北陸営業所を創るからそれをやらないか?と誘われたが人の造ったレールには絶対に疾走りたくはなかった。あくまでも自分が主体で何事もしたかった。だから自分でビル建材の会社を起業し従業員も雇い必死に働いた。特許も幾つも申請した。兎にも角にも全てが自分のやりたいように生きて来て、その時その場での少しだけ背伸びした高級車にも乗り、家二軒にあちこちの千坪の土地と最後に乗ったクラウンにしてもキャシュで購入したのだが‥‥魔が悪く創業から四半世紀を経過して突然に世界中に蔓延した長引くコロナで仕事は急速に枯渇した‥‥