そして1940年のNYタイムズ・スクエアの古本屋で二巻セット49セントでの運命の本、『The Tale of Genji』英国の東洋学者アーサー・ウェイリーによる英訳本と偶然に出逢い手にする‥‥日本名『源氏物語』紫式部/作。これがこの|後《のち》に18歳の青年の羅針盤を極東へと決定づけ導いて行った。
 ‥‥そこに至るまで、自分は素晴らしい教育を受けて来たという自負は有りましたが、その教育はあくまでも昔ながらの西洋の教育で、東洋や他の世界については必ずしも学んだわけではなかったのです。従って『源氏物語』の存在も知りませんでした。買おうと思った直接の理由は、分厚い二冊本セットなのに僅か49セントと値段が安かったからです‥‥インタビューより
 これは色んな資料を集めて読んだ結果判った事だが、手にした「源氏物語」がもしもアーサー・ウェイリーの翻訳で無かったら‥‥多分彼は「源氏物語」を評価してないし、最後まで読み切ったかさえも疑問で有ると思うのだ。ウェイリーの翻訳はそれほど日本の平安時代に凄く精通した素晴しい出来栄えになっていた。
 ‥‥私はそれまで、日本という国は脅威的な軍事国家だとばかり思っていました。広重(浮世絵の歌川広重)に魅せられたことはあっても、日本は私にとって美の国ではなく中国の侵略者だった。李(中国人の学友)は、手厳しい反日派だった。(中略) 李と李の祖国に同情はしたものの、だからといって私が『源氏物語』を楽しむのを止めた訳ではなかった‥‥自叙伝より
 実際に平安時代のこの物語は千年の時を経ても決して色褪せること無く、世界最古の一大長編小説(文字数は100万字以上)として未だに世界中32カ国以上で翻訳され続け読み継がれているのである。そしてそれを産み出した我が日本では今まさにNHK大河ドラマとして‥‥
   ※※※※※ 生涯の恩師との出逢い ※※※※※
  
 当時中国大陸に侵攻していた『軍国主義』の日本の国に『文学』なるものが在ることさえ知らなかった。ヨーロッパではナチスヒトラーが台頭しノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、フランスを次々占領し秋からロンドンの空爆も始まった。そのヨーロッパ戦線からの矢継ぎ早の戦況を伝える新聞記事を読む事がとても憂鬱で怖かった。父ジョセフ譲りの完璧な平和主義者だった青年は眼の前に有る現実に次はアメリカだ‥‥と。
 では『源氏物語』の何がこの青年のこころの琴線に触れたのであろうか?危険な戦争の香りが漂う眼前の今のこの醜い生活の中、ただ煌めく美しい別世界が紙面から目の前に現われ読むことが救いになっただけなのか?