もし誰かの夢に僕が現れたら、どんな気持ちでしょう。

昨日、Cさんから言われました。
僕の夢を見たと。しかし、その夢がどんな夢だったのかは覚えてないそうです。そして、
彼が僕の夢を見て後、目覚めたら、不思議にも僕からラインが入っていたそうです。めったにライン送りませんが。
昨日は、僕の存在が誰かに覚えられ、夢の中での主人公になった日でした。

確かに昨日は慌ただしい1日でした。が、色々試されてる中でも冷静になっている自分がいました。
もはや、何かに失敗しても慌てることなく、いつものことだと認めてしまう自分がいたのです。
これもあれも主なる神、アドナイ-エロヒムの御こころだと信じます。
アメブロは、10年以上の私の日記帳です。
すっかりアメブロから離れていました。
が、復活させたいと思います。
何卒宜しくお願い致します❗
昨日は、ユーチューブ生放送がうまく行かなくて申し訳ありませんでした。

さて、一人で教会でのユーチューブ生配信をしながら、不思議な気持ちになりました。
一つは、誰もいない教会で独り言を言いながら、誰か聞いてくれると信じて、賛美をさせて頂いたこと。
まるで、見えない神様に一人でお祈りを捧げる気持ちでした。
生放送の途中で、音声が途切れた時に、色んな方から連絡あった時には、逆に生配信を観てくれたんだと思い、安心しました。
不思議な気持ちでした。

私たちが目に見えない神様に祈ることって、もしかしたら、これと一緒かも知れません。
神様は私の祈りを聴いてくれないかもと思い、祈りを辞めて音声が途切れた時に、天の御使いたちがどうしたんだ?あなたの音声が聞こえないぞと、騒ぎ立ているかも知れません。
先ほどの教会でのハプニングのように、突然音声が途切れたり、カメラに問題があったり、まるで何かの妨害であるかのように感じましたが、寧ろ、私はその一連の出来事を通して、皆様と一緒に礼拝を捧げる尊さを感じさせて頂きました。
今週も主にあって、勝利して行きましょう!
ハレルヤ(!)

20192.13           「つぶやき」

16:415

 

*なぜ、出エジプトのとき、イスラエル人は、荒野で40年間さまようことになったのか?

そして、なぜ、20歳以上のイスラエルの大人たちはカナンの地に入ることができなかったのか?[ただし、ヨシュアとカレブを除いて]

正解:つぶやきと不従順と不信仰のため。

16:47イスラエル人を試みられる神。彼らのつぶやき

16:13ウズラの肉

16:2028不従順(命令と教えを守ろうとしない)

16:31マナについて、35:彼らは40年間マナを食べた。

17:6岩から水を出される神。

14:34 34 あなたがたが、かの地を探った日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間あなたがたは自分の咎を負わなければならない。こうしてわたしへの反抗が何かを思い知ろう。 (Num 14:34 JAS)

 

32:1113

11 『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはできない。彼らはわたしに従い通さなかった。

 12 ただ、ケナズ人エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らは主に従い通したからである。』

 13 主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がったのだ。それで主の目の前に悪を行ったその世代の者がみな死に絶えてしまうまで彼らを四十年の間、荒野にさまよわされた。

 

*出202にもあるように、エジプトの国、奴隷の家から連れ出した神。しかし、神につぶやき続けるイスラエル人たち。

私たちは聖霊を通して主イエス・キリストの死と復活を信じる信仰によって罪の奴隷から連れ出された。まるで霊的な死の海をわたる時、水による洗礼を受け、いよいよ私たちはイスラエル人のように荒野に送り出される。そして、人生の荒野で色んな試みを受けることになる。

確かに私たちの人生は荒野である。この荒野の中で、私たちは不平不満を言ったり、こうだああだとつぶやきます。

 神がイスラエル人を40年間さまよわせた理由は彼らの不従順さの故に彼らの信仰を試して、信仰を全うした人々のみ約束の地であるカナンに入らせるためであった。

イスラエル人の荒野でのつぶやきの中で、神は彼らをあわれみ続けられた。それは、夜は火の柱で彼らを危険から守り、昼は雲の柱で彼らを熱さから守られた。そして、朝には蜜の味がするパン粉、マナを降らせ、夕方にはウズラの肉を与えて彼らのお腹を満たしたのである。

本来、イスラエル人が40日で入るはずだったカナンの地を、彼らの不従順と不信仰、つぶやきの故に、一日が一年となり、40年間荒野でさまようことになったのである。

ここで、大事な教えは、主の命令と教えに従うことである。

 

*さてヨシュアとカレブは信仰を貫きとおして、カナンの地に入ることができた。そこは安息の地である。

へブル4:111JAS  Hebrews 4:1 こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

 2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。

 3 信じた私たちは安息に入るのです。 「わたしは、怒りをもって誓ったように、 決して彼らをわたしの安息に入らせない。」 と神が言われたとおりです。みわざは創世の初めから、もう終わっているのです。

 4 というのは、神は七日目について、ある個所で、「そして、神は、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた」と言われました。

 5 そして、ここでは、「決して彼らをわたしの安息に入らせない」と言われたのです。

 6 こういうわけで、その安息に入る人々がまだ残っており、前に福音を説き聞かされた人々は、不従順のゆえに入れなかったのですから、

 7 神は再びある日を「きょう」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、 「きょう、もし御声を聞くならば、 あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」 と語られたのです。

 8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。

 9 したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。

 10 神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。

 11 ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。 (Heb 4:1-11 JAS)

 

申命記8:26

2 あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。

 3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。

 4 この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。

 5 あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

 6 あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。

 (Deu 8:2-6 JAS)

 

申命記8:16

16 あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった-- (Deu 8:16 JAS)

 

2018.1010        ダニエル書2

2023節を読む。

 

バビロンの王ネブカデネザルは国を治めて2年目に夢を見ます。どうしてもその夢の解き明かしを聞きたくて国の知識人たちを集めさせます。

原文ではダニエル213節まではヘブライ語で書かれ、4節からはアラブ語で書かれているそうです。当時アラム語は今の英語と同じように、世界の共通語でした。ちなみに、主イエスもヘブライ語ではない、アラム語で話しをされていたそうです。

ダニエルの話は主イエスが生まれる500年前の話です。

今も昔も指導者が甘かったら、従っている者たちが指導者を軽く見ますね。

そのせいか分かりませんが、バビロンの王は、国の知識人たちにかなり厳しく言っているのが分かります。

それは、ネブカデネザル王は、幾つかの夢を見ますが、その夢を語ることなしに、自分の夢を当てて説き明かして見なさいと知識人たちにいうのです。かなり厳しい注文です。

もし夢の解き明かしが出来なかったら、知識人たちの家を滅ぼしてごみの山とさせると。しかし、もし夢と解き明かしとを知らせたら、贈り物と報酬と大きな光栄とを授けると。

知識人たちは王様に、その夢をお話しくださいと、そうでないとどうやってその夢を解き明かすことができますかと言います。しかし、王は答えます。「時間稼ぎをしているだけだ」と。

1013節。10 カルデヤ人たちは王の前に答えて言った。「この地上には、王の言われることを示すことのできる者はひとりもありません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデヤ人に尋ねたことはかつてありません。

 11 王のお尋ねになることは、むずかしいことです。肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできる者はいません。」

 12 王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた。

 13 この命令が発せられたので、知者たちは殺されることになった。また人々はダニエルとその同僚をも捜して殺そうとした。

 

ダニエル1章で、バビロン王ネブカデネザルは、捕虜として捕まえてきたユダヤ人たちを3年間教育させるのですが、バビロン王は、ユダヤ人から選ばれた少年たちを最初から当てにしたわけではありません。それは、王は自分の夢を解き明かすことをバビロンの知識人たちに求めていたからです。

12節「王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた。」ここから、バビロン王は、非常に短気で怒りっぽい性格であることが分かります。

かつて、今から2200年頃前の中国の秦の始皇帝もバビロンの王と同じ感じで、当時の知識人たちを皆殺ししていたとされています。

まあ、頭の良い人たちは偽りと欺きの言葉で時間稼ぎをしていることに腹が立ったのでしょうか。

さて、その時、ダニエルは、バビロンの知者たちを殺すために出てきた王の侍従長アルヨクに、知恵と思慮とをもって対応します。ダニエルは王の所に行き、その解き明かしをするためにしばらくの時を与えてくれるように願います。

それから、ダニエルは彼の同僚ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせます。彼らは、さっそく天の神様に祈り始めました。18節です。

18 彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った。

19節です。19 そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。

ここで、ダニエルの行動を見てみたいと思います。

ダニエルは初めに、知恵と思慮をもって対応しました。そして、同僚と相談します。彼らと一緒に神様に祈ります。そのとき、19節のように夜の幻のうちに隠されていた王の夢の秘密がダニエルに啓示されます。ダニエルは天の神様を賛美しました。

20 ダニエルはこう言った。 「神の御名は とこしえからとこしえまで ほむべきかな。 知恵と力は神のもの。

 21 神は季節と時を変え、 王を廃し、王を立て、 知者には知恵を、 理性のある者には知識を授けられる。

 22 神は、深くて測り知れないことも、 隠されていることもあらわし、 暗黒にあるものを知り、 ご自身に光を宿す。

 23 私の先祖の神。 私はあなたに感謝し、 あなたを賛美します。 あなたは私に知恵と力とを賜い、 今、私たちがあなたに請いねがったことを 私に知らせ、 王のことを私たちに知らせてくださいました。」

いよいよ、ダニエルは夢の解き明かしをもって王の前に立ちます。そして、ダニエルは異国の王の前で、夢の秘密を現してくれた神様を証することになります。

24-30節です。

24 それからダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすように命じておいたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に解き明かしを示します。」

 25 そこで、アルヨクは急いでダニエルを王の前に連れて行き、王にこう言った。「ユダからの捕虜の中に、王に解き明かしのできるひとりの男を見つけました。」

 26 それで王は、ベルテシャツァルという名のダニエルに言った。「あなたは私が見た夢と、その解き明かしを私に示すことができるのか。」

 27 ダニエルは王に答えて言った。「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。

 28 しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。あなたの夢と、寝床であなたの頭に浮かんだ幻はこれです。

 29 王さま。あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが、秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです。

 30 この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。

 

本日のポイントは、これです。ダニエルのように、知恵と思慮をもって対応することです。それは、具体的に、信仰のある同僚と相談し、一緒に祈ることです。そして、神からの答えを待つことです。

30節をもう一度読みます。30 この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。

主なる神様は、バビロン王の心の思いを知らせるために、即ち、王に不思議な夢を与えたのも神様であったし、それを解き明かすことが出来たのも神様であることにユダの少年ダニエルを通して気づかせています。

 そして、なによりも大事なことは、バビロンの王からバビロンの知識人たちの命を救ったのは、奴隷として捕まえてきた少年ダニエルによる王の夢の解き明かしであったこと。バビロンの知識人たちにとっての救い主はダニエルであったのです。今の私たちの救い主はイエス・キリスト。この神様の言葉を預かった預言者ダニエルは、主イエスの予型であると考えられます。

ダニエルが神の御心を求めたように、そして、主イエスが父なる神の御心を求めたように、たとえ死の谷が間近であっても、私たちも神の御心を求める大胆な信仰が与えられるように祈ったら嬉しいと思います。

 

 

2018.919         「神の人ダニエル」

 

ダニエル書1章全文

 昨日、電車を待ちながら、きれいな夕日に照らされている赤く染まった雲をふっと見上げました。その時、雲を見上げている私に平安が与えられました。そして、私は祈りました。「この偉大な宇宙と地球を造られた神様に、アバ父よと呼べる特権を与えてくださった主に感謝します。この偉大なる宇宙に比べれば、私の存在はまるでほこりのような存在です。」 このような感謝の祈りが私の口から自然に出ました。時には私がこの世に存在していることが不思議な気がします。

 

さて、旧約聖書の16の預言書があります。その中で四つの大預言書があります。それはイザヤ,エレミヤ,エゼキエル,ダニエルです。そして十二の小預言書はホセア,ヨエル,アモス,オバデヤ,ヨナ,ミカ,ナホム,ハバクク,ゼパニヤ,ハガイ,ゼカリヤ,マラキの書があり、大預言書と小預言書を含めて16の預言書があります。

今日から大預言書の一つであるダニエル書を見てみたいと思います。ダニエル書は今から2600年頃前の話です。正確に言えば、BC597年です。

2節、バビロン王ネブカデネザルはエルサレムに来て、神の宮の器具の一部を持ち帰り、自分の神の宝物蔵に納めます。しかし、2節の主語をよく見ますと、「主が」バビロン王のネブカデネザルの手にエルサレムを渡されたことが分かります。 主なる神様の許可なしには、バビロンは南ユダを攻めることも、戦利品として神の宮の器具を持ち出すことも許されてなかったことが分かります。

その国が亡びることも立てられることも神の御手の中にあることが分かります。勿論、私たちの人生もそうです。

 

36節、バビロン王ネブカデネザルは、なぜかイスラエル人の中から王族か貴族からの、身に何の欠陥もなく、容姿と知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、宮廷につかえるにふさわしい者として、更にバビロンの文学と言葉とを教えるにふさわしいイスラエル人の少年たちを選びました。

そして、3年間彼らを養育させ、バビロン王に仕えるようにしました。勿論、彼らは3年の間に外国語をもしっかり取得しなければなりません。

私はダニエル書1章を丁寧に読みながら、改めて気づいたことがあります。

3節に「イスラエル人の中から」、6節「彼らのうちには」、19節「みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった」とあります。

つまり、私はでっきり、この4人だけがバビロン王に選ばれたと思い込んでいました。ところが、もっと丁寧に読みなおしているうちに、イスラエル人の色んな部族から優秀な少年たちが選ばれ、そのうちに、ユダ部族のダニエルを含めた4人がいたことに気が付きました。私がダニエル書を読んで感動をうけたのは23年前のことです。今更ですが、私は聖書を思い込んで自己解釈し、読んでいたことに気が付いたのです。そこで一節一節を丁寧に読むことの大切さを改めて感じました。

さて、17節、その少年たちの中で、神は、この四人の少年に目を留められたのです。そして、ダニエルを含めた四人に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられたのです。さらに神は、ダニエルに、全ての幻と夢とを解く力を与えてくださったことが分かります。

では、なぜ、バビロン王であるネブカデネザルはわざわざ植民地としているイスラエル人の中から、宮廷に仕える少年たちを選んだのでしょうか。 たとえ3年間王様に仕える訓練を受けたとしても、この少年たちは自分たちはユダヤ人であって、自分の国を奪ったバビロン王の命を狙う可能性もあったにも拘わらずです。 ここで考えられますのは、バビロン王にその考えを与えたのは神様であり、当時、遠い国バビロンにまでイスラエルのソロモン王の噂が伝説みたいに広まっていたのではないかと考えられます。そこでバビロン王が色んな国を治める戦略の一つとしてわざわざ捕虜としているイスラエル人の少年から宮廷に仕える知識人たちを選んでいたのではないかと考えられます。

さて、ダニエルは、少年時代から神への信仰が格別でした。8節、ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願いました。少年ダニエルの大胆な信仰がうかがい知れます。9節、主語は「神」です。神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられました。

では、1116節を一緒に見てみたいと思います。

11 そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。

 12 「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。

 13 そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」

 14 世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。

 15 十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。

 16 そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。

17節、主語は「神」です。神は、この四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられました。ダニエルは、全ての幻と夢を解くことができました。彼らを召しいれるために王が命じておいた3年間の終わりになって、宦官の長は彼らをネブカデネザルの前につれて来ました。

20節、王が彼らに色んな質問をしてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らはバビロンの国中のどんな学者たちよりも10倍まさっていたことがわかりました。

いよいよ、一人のユダヤ少年ダニエルは、まるでエジプトに奴隷として売られ、後に総理大臣までになったヨセフのように、バビロンで神様の御業を示すことになります。

 

2018.919         「神の人ダニエル」

 

ダニエル書1章全文

 

今から2600年頃前の話です。正確に言えば、BC597年。

2節、バビロン王ネブカデネザルはエルサレムに来て、神の宮の器具の一部を持ち帰り、自分の神の宝物蔵に納めます。しかし、2節の主語をよく見ますと、「主が」バビロン王のネブカデネザルの手に渡されたことが分かります。 主なる神様の許可なしには、ユダを攻めることも、戦利品として神の宮の器具を持ち出すことは許されないことが分かります。

 

36節、今度は主語が「王は」となっています。この王とはバビロン王ネブカデネザルのことで、その王は、なぜかイスラエル人の中から王族か貴族からの、身に何の欠陥もなく、容姿と知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、宮廷につかえるにふさわしい者として、更にバビロンの文学と言葉とを教えるにふさわしいイスラエルの少年たちを選びました。

そして、3年間彼らを養育させ、バビロン王に仕えるようにしました。勿論、3年間外国語をも取得しなければなりません。その少年たちの中に、ダニエルがいました。

ユダヤ人は昔も今も知識人として知られていますが、当時も遠い国バビロンまでその噂は広まっていたから、バビロン王はわざわざ捕虜ユダヤ人から宮廷に仕える少年たちを選んでいたのではないかと考えられます。ダニエルは、少年時代から神への信仰が格別でした。8節、ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願いました。少年ダニエルの信仰による大胆さは学ぶところがあります。9節、主語は「神」です。神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられました。

1116節です。

11 そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。

 12 「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。

 13 そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」

 14 世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。

 15 十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。

 16 そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。

 

17節、主語は「神」です。神は、この四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられました。ダニエルは、全ての幻と夢を解くことができました。彼らを召しいれるために王が命じておいた3年間の終わりになって、宦官の長は彼らをネブカデネザルの前につれて来ました。

20節、王が彼らに色んな質問をしてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らはバビロンの国中のどんな学者たちよりも10倍まさっていたことがわかりました。ダニエルはバビロン王国を滅ぼしたペルシアのキュロス王の元年まで宮廷にいました。

 

2018.912         「アドナイ・ニシ」

出エジプト17章、「816」を中心に考える。

 

8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。

 9 モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」

 10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。

 11 モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。

 12 しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。

 13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。

 14 主はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」

 15 モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、

 16 「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる」と言った。

 

6節を見ましょう。

6 さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」そこでモーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりにした。

 主は私たちの岩です。岩なる主です。かつて神はモーセをとおして、岩を打ち、水を出してくださいました。 主なる神は、岩なる主イエスをとおして、私たちに永遠のいのちと永遠に乾くことのない命の水を与えてくださいました。 アーメン

さて、11-13節です。

先ず、執り成しをする者がいて、戦う者がいます。

執り成しをして祈る人は、モーセとアロンとフルです。そして、戦う者はヨシュアとイスラエルの軍人たちです。相手はアマレクです。

 

この前、久しぶりに時間を作って、京都へ行ってきました。

昔の思い出のあるところです。

特に、僕の日本での留学生活と活動のために、20年以上も祈ってくれた松本さんという方が住んでいた京都です。

今は、松本さんは天国にいまして会うことは出来ませんが、私が京都に行くたびに食事を誘い、家に泊まっていた思い出の深い街です。

20年以上も誰かが自分のために祈ってくれていたことは非常に心強いことです。

今も、私のために多くの方が祈ってくれています。多くの方の中には、もちろん皆さんも含まれています。 私たちが霊的な戦いの中にいる時でさえ、たとえ私たちがその戦いに夢中でなかなか祈れない時でさえ、誰かが手を上げて、執り成しをしてくださることを思うとどんなに心強いか分かりません。

 私たちは死んで終わりではありません。もし、死んで終わりなら、私たちは主イエスを信じる理由はありません。ヨハネ1125 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

であるなら、私は信じています。もしかしたら、松本さんはこの世にはいないけれども、イエス様のように天国で僕のために祈ってくれるのではないかと。

 

出エジプト17章の最後の場面もまさにそういうところです。

 

アドナイ・ニシ:The Lord is my banner. 主はわが旗

モーセのように戦いの中に置いて、両手を上げて祈ることは、主の勝利の旗を振ることと同じであります。ですから、私たちが賛美の中でも両手をあげて賛美するのも、主の勝利を確信しているからであり、ただ元気だから、調子がいいから両手を上げて賛美したり、両手を上げて祈ったりしているのではありません。アドナイ・ニシの神を賛美します。

アーメン

最後に、

ローマ8:

2627

26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

 27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

 

3137

31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

 32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

 33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。

 34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

 36 「あなたのために、私たちは一日中、 死に定められている。 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」 と書いてあるとおりです。

 37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

 

アドナイ・ニシ、私たちのために戦ってくださる神をほめたたえます。そして、今も私たちのために言いようもない深い呻きを持って執り成ししてくださる聖霊様と主イエス・キリストをほめたたえます。ですから、私たちは主にあって圧倒的な勝利者なのです。アーメン