2018.52     「ソロモンの夢―主の御心に適ういのりとは?」

第一列王記3:515 、第二歴代誌1:712

 

本日は、ソロモンの夢から学ばせて頂きたいと思います。

人は日ごろ考えていることを夢見ます。或いは、私のように学校での試験にプレッシャーを感じていた者は未だに学校の試験に追い込まれる夢を見ます。私にとってそれは悪夢です。しかし、明るい夢を見るときもあります。それは、若い時、誰かのことが好きになった時がそうです。皆さんと一緒に読みました第一列王記33節を見ますと、ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたとあります。ここで主とは神様のことです。ソロモンは神様を愛し、それだけではなく、父ダビデのおきてに従っていました。ソロモンの母バテ・シェバは嘗てダビデの部下ウリヤの元妻でした。そのバテ・シェバから生まれたソロモンはダビデの他の子どもたちよりも神様を愛し、また神様に愛されていました。

 日ごろソロモンは父ダビデの訓戒に従い、父が信頼している神様を愛したのです。

ある日の夜、神様が夢の中でソロモンに現れ、このように言われました。「あなたに何を与えようか。願いさない。」

その時、ソロモンは第一列王記37節にありますように、夢の中でこのように言います。「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子供で、出入りするすべを知りません。」

ソロモンは、自分のことを小さな子供であり、どのようにこの町から出ればいいか或いは入ればいいかも知りませんと夢の中で神様と会話をします。そしてソロモンの時代には、王様が民衆を裁く権威を持っていまして、王様の正しい判断力が必要だったのです。そこで、ソロモンは9節で夢の中でこのように神様に言います。「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」すなわち、ソロモンは自分が王になることを喜ぶよりも緊張していました。本当に自分が、数えることも調べることも出来ないほど、こんなにおびただしい民をちゃんと治めることが出来るかという疑問の中で、自分の弱さと知恵の足りなさ、そして判断力の無さに気づいていたのです。つまり、ソロモンは日ごろ、自分の内面世界における弱さをちゃんと分析していたことが分かります。

10節には、ソロモンのそのような願い事が主の御心にかなったとあります。

そして、神様は11節から15節において、彼に言われました。「あなたがこのことを求め、自分のための長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵の命を求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心を与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたの後に、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きている限り、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もないであろう。また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」ソロモンが目をさますと、なんと、それは夢であった。とあります。

私たちは今年の初めから毎週水曜日、創世記からいろいろ学ばせて頂きました。その中で、やはり「夢の話」がたくさん出ました。例えば、ヤコブの夢の話やヨセフの夢の話などがそれです。ソロモンが夢の中で神様に求めた知恵は、英語でWisdomと言いまして、経験を通して得るようなものではありません。また、洞察力や判断力を意味するdiscerningも経験や修行を通して与えられるものではありません。

更に、先ほど読みました、9節で「善悪を判断してあなたの民を裁くために聞き分ける心をしもべに与えてください」と言ったソロモンの願い、ここで、「聞き分ける心」とは、英語で[understanding mind]と英語の聖書では訳されていました。即ち、ソロモンに与えられた多くのイスラエルの民を治めるのには、経験を通してではない「理解する心」が必要であったのです。これらをひっくるめて「知恵」と言えるでしょう。つまり、洞察力、判断力、理解力などがそれです。

相手の話を理解しないかぎり、正しく判断することはできません。

ですから、私たちには、このような知恵が今日必要ではないかと思います。誰しも、知恵は欠けていると思います。ソロモンも生まれ持った知恵が足りなかったので、日ごろ内面的自己分析が必要だったと思うし、それができた上で、夢の中で神様に問われた時、今の自分に何が必要かちゃんと答えることができたのではないかと考えられます。

 「I have a dream」で有名なアメリカ人のキング牧師はこのように言いました。

「知識と言うのは、人間が努力すれば成就できるものであるけれども、知恵は、神様からのギープト即ちプレゼントである」と言いました。ごく当たり前な言葉かもしれませんが、人は当たり前な言葉から感動するのではないかと思います。

即ち、一所懸命に努力して経験することだけがすべてではなく、努力しても与えられないことがあると。それが知恵であると。この知恵は、ソロモンのように神様に願い求めるほかはないことを私たちに教えてくれるのではないでしょうか。

くどいようですが、もう一度伝えたいと思います。良いことも悪いことも経験して初めて気づくことがあります。しかし、知恵は人間が頑張って得られるものではありません。知恵は神様からのプレゼントです。

では、主の御心に適う祈りとは何でしょうか?それは、正しい判断力と理解力を与えてくださいと神様に求めることではないでしょうか。

 910節をもう一度読んで終りたいと思います。

9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

 10 この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。

 (1Ki 3:9-10 RSV)