成長を遂げた、完全なクリスチャンとなるには?

「今の試練を喜んで受け入れること」


私たちはせっかくクリスチャンになっている以上、主に喜ばれる者になるためにがんばろうとします。

しかし、さまざまな誘惑や誘い、短気な自分を怒らせる人がいたり、或いは惑わしの霊によって私たちは以前の自分に戻り、又罪を犯してしまったりします。 その時、私たちは自分の弱さに気づいて神様に立ち返って、祈ってみたりはしませんか? もちろん、そうしますね。いや、ひどい場合はその犯した罪のせいで長い時間自己卑下に陥り、自分の心を神様に委ねるところか、サタンに委ねてしまう場合も少なくありません。

そういう時ほど、「どうせ、自分はだめな人間だ!」とか決め付けないでください。そして、弱い自分をあきらめないでください。

むしろ誘惑に陥りやすい自分を素直に認め、ありのままの自分を主に任せる必要があります。

聖書は、「主は弱い者のうちに働き、その人を強くしてくださる」と言っています。

ですから、私たちは試練、そのものを喜んで受け入れようではありませんか?


ヤコブの手紙123節には

2私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

3信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

私たちは日常茶飯事に信仰が試されたりしています。

ここの聖書箇所は今から2000年位前に国外に散っていたユダヤ人クリスチャンが試練にあっているのを励ますために書かれた手紙ですが、今の私たちにも適用できる御言葉だと思います。

つまり、さまざまな試練にあうときは、それをこの上もない喜びと思い、家族や友人から信仰が試されるときにはそれを耐え忍んで、忍耐を完全に働かせなければなりません。

私たちがいつも完全なクリスチャンになっていないのは忍耐に欠けていたからではないでしょうか?

4節を見ますと、「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」と書いてあります。


では、私たちが多くの試練に忍耐を持って打ち勝つには何が必要だと思いますか?

それは、知恵です。 知恵とは?人生に対する実際的な深い洞察力です。

世の試練に打ち勝つ知恵を神に願いましょう。

私たちが試練に打ち勝てる洞察力、知恵を神様に求めるときには、二心(ふたごころ)で疑いを持って祈ってはなりません。

68節には「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。

そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。


もし、愛している彼女、或いは彼氏から二心を持って頼まれたら、相手に対する信頼性もなくなるところか、その人に二度と会いたくない気持ちが生じるのは誰でも一緒だと思います。が、神様も私たちに言っておられます。「二心のある、疑う信仰で知恵を求める人は、主から何かをいただけると思ってはいけない。」と。