聖書ーヨシュア記1章5-9節

もみじキラキラ

えない世界を認め、受け入れる信仰が私たちには必要ではないかと思う。

その信仰は聖書の言葉からうまれる。

私たちには子供のような素直な信仰が必要。

たとえば、子供は素直であるから外国語に慣れやすい。ところで、大人は簡単なことでも複雑に考えてしまい、大人になってからの外国語の勉強はなかなか頭に入らないし、発音もままならない。

外国語もリスニングから始まるように、神を受け入れる信仰も聞くところから始まる。 神を信じる信仰は子供のような素直な心を持たないと成長はない。外国語と一緒である。

聖書の話を聞くときは複雑に考えず、素直に受け入れて神の言葉として確信し、どんな試練にあっても、聖書の言葉を思い起こし、その試練に立ち向かってほしい。

さて、私たちがついつい誘惑に負け、罪を犯すのは、聖書の言葉を守り行わず、そこからそれているからである。私たちの人生が祝福されるには、右にも左にもそれない信仰を持って、聖書から離れないことである。

「ヨシュア記1章7節」

おまけに、『ヨシュア記1章8節:この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちに記されているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるのからである。』

神様は私たちが滅ばず、栄えることを望んでおられる。 金銭的に豊かになること、知恵、希望、夢を持つこと、これらすべては聖書の言葉を昼も夜も口ずさむときに与えられる神様からの賜物である。 

                          アーメン。虹