お母さんのお父さんガ、入院したのは11月10日。ずっと、血圧が高くて病院に掛かっていたんだけれど、あまりかんばしくないので、10日の日に意を決して、違う病院に行ってみた。そうしたらそこの病院で、紹介状を書くから、それを持ってすぐに、しっかりと検査設備が揃っている大きな病院を紹介された。紹介状を渡されたのが、10日のAM10:00ごろで、その足で紹介された病院に行くと、即、午後から入院ですと言われたらしい。お母さんは、お母さんのお父さんが一人暮らしになって、しばらくしてから毎朝モーニングコールって言うのをしていたから、病院を変えてみるというのは知っていたけど、入院ってことになるとは思っていなかった。お母さんのお父さんは、すぐに僕んちに電話を掛けてきた。第一声が「入院するから、すぐ来てくれ」、「頼むから、すぐ来てくれ」。お母さんのお父さんは、可なりパニック状態で、お母さんが一つ一つ順序だてて聞いていき、やっとどういう状況なのかが分かってきた。お母さんは、「今の状況では、自分が帰ってもしょうがないので帰れない」と、はっきり言った。病院からは、入院に必要なものを書いた用紙をもらってきたと言うから、それを用意していくこと。それに完全看護だから、何も心配はいらない。とか言っていたら、お父さんの妹、お母さんの叔母さんが来てくれて一安心。そしてその夜、お母さんは叔母さんと電話で、状況について話し合う。叔母さんからは、「今は来る必要がない」、「来てもしょうがない」、「来るなら、病状が分かってからでも良いんじゃないの」って言われる。お母さんも全く同じ意見だった。その夜、僕んちではお父さんとお母さんが、どうしたものか色々と話し合っていた。僕とリッちゃんは、何々って聞き耳を立てていたけど、二人ともよく解らなかった。翌朝、お母さんのお父さんから、電話電話があった。病院なので、お母さんからモーニングコールが出来ないので、お母さんのお父さんから逆コール。やっぱり、「いつ、来るのか」って、お母さんは「昨日、入院したばかりで、検査もこれからなんだから、今帰るよりはある程度、状況が解ってから必要な時に帰るから、帰らないというんじゃないから」って説明していた。お母さんのお父さんは、一人で心細かったんだと思う。改めて思うと、僕の病気のサイクルはとてもタイミング良かったんだ。この時、もし僕がひどい状態だったら、お母さんはきっと大変だったと思う。それが、この頃の僕は、順調に回復しつつあったから、お父さんが「元のことは、自分で大丈夫だから、安心して平気だ」って。それからも、何度かお母さんのお父さんから、「いつ、来る」電話が入った。結局、25日の僕の検査が終って、2日後の27日に帰ることになった。この時も、お母さんのお父さんが、本当は午後から担当の先生の話がると言うことだったのを、勝手に午前中ってことでお母さんに言ってきたので、お母さんはその日の朝一番の飛行機で帰ることになった。お母さんは、出かける時に僕とリッちゃんに「お父さんの言うことをちゃんと聞くように、元ちゃんはちゃんと薬を食べてね」って。お母さんが居なかった間、僕もリッちゃんもちゃんとお父さんの言うことを聞いていい子だった。砕いた薬の入ったご飯も、ちゃんと食べた。多分、お母さんがいて、ご飯に砕いた薬が入っていたら、僕は食べていなかったと思う。お母さんは、毎日電話で僕らのことを聞き、お父さんの病気をお父さんに話していた。お母さんのお父さんは、カテーテルの結果、問題はあるけれど、年齢も年齢だし、体力のことも考えて、手術はしないで薬でなんとかしましょうということになった。お母さんは、5泊6日で12月2日に帰ってきた。お父さんはお母さんに、僕もリッちゃんもすごく良い子だったと、そして僕は薬の入ったご飯をもりもりと食べていたと。僕とリッちゃんは、なんとなく偉そうにしていた。僕は12月血液検査がなかったんだ。病院にはリッちゃんにくっいて行ったけど、「どうだ、元気は調子はいいか」って体をちょっと触られた程度でOKだった。


                  続きはまたお月様