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【ジジ通信】~gentleのブログ

北海道からアウトドア、ドライブ、乗馬、牧場、競馬、DIY、自家製ベーコンなどの話題

またまたご無沙汰しました。

もう一週間前の話になりますが、3連休でしたね。
初日は台風崩れの影響で天気もいまいちだったので大人しくしていたのだが、翌日は晴れそうな感じになったので、三男に「どっか行くか?」と提案してろくな準備もせずに昼過ぎから出かけたのだった。

彼はカヌーをやりたがっていたが、今回は僕にその気はない。目的は道東ドライブで1泊2日なので、ゆっくり向こうで遊ぶ時間などありはしないのだ。

一応、キャンプはする。しかしこれはホテル代節約以上の意味はないので、ワンタッチテント、タープなし、食材は現地調達という最小限の装備で。

ホーマックで炭と電池だけ買って給油し、高速に上がったのが13:10。もうこの頃から天気は晴れ上がっていい感じになってきた。

2時間で旭川北を通過、比布で小休止して丸瀬布についたのが16:30ころ。
ここからは下道だ。遠軽の生協で買い物。ランタンを持ってこなかったのに気づいて2000円位のLEDランタンを買う。ついでにローソクも。
美幌市街に入ったのが18:30ごろ。日没はもう30分後だ。なんとかギリギリそれまでに美幌峠には着きたい。この辺りはこういう連休中にはよくパトカーが居るものだが、幸いここまでは遭遇しなかった。もう日も暮れるし、通行のピークはとっくに過ぎているからなんとかなるだろう。

うちのナビ子(ソニー製ポータブルナビの初号機)はもう古いのでここに限ってはgooglemapにナビをさせていた。ここには新道のバイパスがある。これを使うと美幌の市街地を避ける事ができる。
インターを降りて少し南下し、左折して一旦334に入る。左手は木立で何かいてもわからない。緩い左カーブを終えて直線に入ったと思った瞬間に白黒の車体が見えた!「うっ」っと思ってアクセルを緩めたがその時にはもう敵を通過してしまっていた。。

来るかな?あ、やっぱり来た(^_^;)

こうなったら逃げてもしかたがないのですぐに路側に寄せて停車した。
「3点、18000円ですね」
「はい」
「どちらまで行かれるんですか?」
「日没までに美幌峠に行きたかったんですよ」
「すみませんね。5分で終わりますからね」
あくまで事務的に5分で事は済んだが、なんとも悔しい。こっちがいい大人で素直だと説教もしづらいのか。

美幌峠に着いたのは18:50だった。一応日没前だがもう色が落ちていてあまりよい写真は撮れなかった。残念。

慌ただしく峠を降りて和琴半島へ。
ここはハイシーズンはいつも混んでいるキャンプ場だ。この日も着いたのが19:20ごろとあってもう隙間のないくらいのテントが立っていた。でも今回はこっちの装備も大したことはないので、うまい具合に入口からそう遠くない木陰に陣取ることができた。

今後はもう家族で大掛かりなキャンプをする機会もない。装備は個人ごとになるべく小さなものにしようと思っている。でかいテーブルやタープは不要だし、その運搬と設営に時間と体力を取られるのは御免だ。

すっかり暗くなったが飯は美味く炊けたし、美幌で買ったジンギスカンも美味かった。
あたりはカエルの大合唱。無風で、湖面は鏡面のようだった。

翌朝、相変わらず風がない。

カヌーを持ってきたらかなり遊べただろうが、それはまた次の機会に。

カエルがうるさすぎて息子はあまり寝れなかったらしく、5時にはもう起きだして火を熾していた。コーヒーを飲んで少し陽が上がったのを見てもう一度美幌峠に行く。今度はまた違う写真が撮れるだろう。



もう少し時間が経てば良い色も出ただろうけど、もう今回はしょうがない。
キャンプ場に戻って朝食を食べ、他の家族連れが火を熾しているのを横目に8時過ぎには撤収を終えてそこを後にした。

次の目的地は摩周湖である。



第一展望台。相変わらず湖面が鏡。一片の霧もない。素晴らしい。

第三展望台を経由して硫黄山。



ここではまだ9:20くらいだ。天気は快晴。さて、ここからどうするかが問題。
もう一泊あるなら知床方面に回るのだがそうは行かない。
かと言ってこれだけで阿寒湖に回ってしまうのも勿体無いし大体阿寒横断道路は疲れる。

それで裏摩周に回って神の子池という選択をした。
川湯温泉から391を北上。野上峠を通って道道1115に入り再び南に下る。近道があればよいのだが、この辺りはそうは行かない。国立公園にそうそうトンネル掘るわけにも行かないからね。



神の子池へのルートは案内も少ないが、裏摩周に行くつもりで行けば道道からの分岐にはちゃんと看板がある。そこからダートを1kmくらい登ると神の子池だ。すでに数十人の観光客。
やっぱりここは周辺環境が良いので本当の秘境というべきだろう。美瑛の青い池なんかよりずっと良い。これは駐車場から池に至るまでの川。


ここを出たのが10:20くらい。
そして裏摩周展望台へ。綺麗に整備されているが、駐車場が狭い。おまけに盛夏とあって展望台からの見通しも木に隠れて良くなかった。残念。

このあと、養老牛温泉に入ろうと思って、道道505に入る。道道の風景がなかなか良い。

湯宿だいいちというところに着いたのが11:40。しかし、残念なことにこの時間では日帰り入浴はやっていなかった。13時まで待たなければならないらしい。残念。

仕方がないので温泉は釧路方面で入ることにして多和平に向かうことに。


ここは素晴らしかった。360℃の大パノラマ。展望台といえば開陽台がつとに有名だが、ここもなかなかのものだ。天気も最高だったのも幸いした。

ここを12:20に着いて滞在15分。磯分内から391を南下する。途中、塘路元村キャンプ場に立ち寄り。ここはいずれカヌーをしに来なければならない(笑)場所なので軽く下見した。14時にそこを発って釧路動物園の隣にある山花温泉リフレという温泉施設に着いたのが14:40。
ナトリウム泉で飲用不可だがかなりしょっぱい。外傷があるときには注意が必要。

1時間滞在して今回の弾丸ツアーのメニューは終了。あとは白糠ICから高速で帰るだけだ。
しかし、ここからの国道38は一気に濃霧に見舞われた。この時期のこれはどうしようもない。少し北に行けば快晴だというのに。

食事をする暇もないのでコンビニでサンドイッチなどを調達して392に入る。少し行くと嘘のように晴れ上がった。しかし、この道は狭い。おまけに高速建設の関係だろう、大型ダンプが前にいて思うようには進めない。前日に痛い目にも遭っているのでここは自重するしかない。

そして初めて通る白糠IC、、と思ったら浦幌までほとんどトンネルだった。車が少ないのが救いだがここも疲れる道だなあ。

浦幌から先は開けていて対面通行でも快適だ。しかし、だんだんと車は多くなる。
十勝平原SAで小休止したが、SAとは名ばかりでここには何の商業施設もない。前に来た時は屋台が出ていたのにこの日はそれすらなかった。なんか変だよ、ここ。

夕暮れにかかる頃に道東道の登りに入る。すっかり交通量も多くなり、あたりは暗くなり、道は狭くなり、トンネルばかりで対面通行。何度来てもやな道だよ、ここは。逃げ場がないからね。

そんな苦行を2時間ばかり我慢して夕張あたりまで出てきたのが19時半位か。恵庭JCTまで行けば道は広くなるが、もう嫌気が差して追分ICで下に降りてしまった。

そんなこんなで帰り着いたのが20:45くらい。あとで調べたら総走行距離は900kmに達していた。

さすがに疲れたけど、好天に恵まれて良い写真が撮れた弾丸ツアーでした。

※※※
(後日…)
やっぱりレーダーを買わなきゃだな~、と思いいろいろとネットを見ていた。
最近の「レーダー」というのはGPSが付いていて、パトカーの電波を受信する機能はあるけど(そんなものを拾った瞬間には敵にも見つかっているので)、やっていそうな場所やオービスなどのデータを常時更新しながら使うものらしい。なるほど、じゃあそういうGPSとダウンロードサービスが付いているものが良いのね、と思いながら更に調べていたら、はたと気づいた。

それって、カーナビにその機能がありさえすればいいってことじゃね?

そう思って更に調べたらやっぱりそうだった。それでこの方面の専門メーカーは3社くらいあるのだが、サービスが充実していそうなYupitelの製品を選択。うちのナビ子はめでたく引退と相成りました(笑)。これは昨日から運用中だがその話はまた後日。

銀ちゃんはこの6月末で満17歳になった。そしてうちに来てから4回目の車検だ。
足回りに何か出るかと思ったが特にそれはなく、プラグの交換とフルード交換ぐらいで済んでしまった(秋にやったドライブシャフトのブーツがまた切れたらしく、それも)。
しかしプラグ交換は非常に効果があったらしく、先日やったタイベル等交換と合わせてもう機関は新品同様のスムーズさなのである。


それで、次は懸案だった左後ろドアの交換だ。
これは以前にブログにも書いたが、車庫入れの時にシャッターのレールに擦ってしまったのだった。



これが問題の箇所。
メチャメチャなダメージではないものの、やはりこれはみっともないし、ドアパネルは歪んでいて単なる傷にはとどまらない。また、ドアノブも損傷してしまっているし、モールの端も切れている。

それで過日、中古部品を調達しておいたのだ。

部品と言ってもドアがまるまる一枚である。ところがこの部品、本当にドアだけで、内張りがないのは良いとして、窓ガラスもパワーウインドウのモーターもない。ご丁寧にスピーカーまで外してある。(その割にはオートロック機構は残っていた:笑)

単なる換装なら話が早いが、このガラスとパワーウインドウ機構の移植は初めてではけっこう大変だろうと思ってしばらく機を伺っていたのである。

で、昨日遂に意を決してやることにした。
まず内張りをはがす。





そしてこのビニールをひっぺがし、配線類を引っこ抜いてガラスを外し、パワーウインドウ機構も取り外した。
残骸になったドアを根本から外して買ってきたドアをつけた状態がこれ。



ここにパワーウインドウ機構を取り付けるのだが、元がどうなっていたかを正確に理解していなかったので三男とともに全く手探り状態で何とか取り付けた。

そこまでやればあとは楽で、出来上がりは

…おわかりだろうか。 ドアパネルは綺麗になったが、モールの色が違っていたのだ(^^ゞ これは、買うときにきちんと確認しなかった自分が悪い。実はこれは初代前期と言われる車体からの部品で、銀ちゃんは初代後期なのでサイズは一緒だがこういうことがある。他にもドアノブの色が違っていてこれはあらかじめ認識していたのだが、そこは丸々元から移植した。 モールについては後日そこだけ塗装せねばなるまい。。
ご無沙汰しました。
旅行記を書きかけで投稿が途絶えたのは、母の引っ越しがあったからであります。

21年来住んだアパートを昨日引き払って、いわゆるサ高住に転居しました。
父が遺した大量の本やら衣類やらを断捨離して3LDKを空に。

今までは札幌の南のはずれにいたのですが、同じ区内だけど街なかの築一年のサ高住に。
エレベーターなしの3階からの昇り降りから解放されたのが大きく、食事も3食出るのでお金はかかっても生活上の不安はほとんどなくなります。

ウサギを持ち込む許可ももらったので(これについてはまた後日)、狭くても寂しくはない状態に。もちろん、僕の家からも相当近くなりました。

部屋は最近の個室の病室を想定すればだいたい良く、特に車いすでも入れるサニタリーと風呂が広い。それとは別に小さな流しと電磁調理器があり、洗濯機も置ける。

サ高住は風呂が共同だったり、台所がないもののほうが多いのだが、いきなりそういうところは憚られたので多少高くてもこういうところが良かったのだ。

最近は出歩くとすぐに疲れてしまうようになったが、これで少しはラクになるだろうか。

話を出発日に巻き戻して…

GWで全てがお高いし人数も4人ということで、もうエアはLCCに決まっている。
千歳から成田にはPeachとJetStarが乗り入れているが、便数が多いのはやはりJetStarなので。

朝の便なので機内食をオーダーしておいた。魚肉ウインナーはご愛嬌だが、パンケーキとアップルパイは旨かったよ。「KISO」ってのは水です。


そういうものをオーダーしたからなのか、一人あたり500円分のバウチャーがついてきた。
僕は飲み物だけにしたが、余ったぶんで子供たちにはサンドイッチが当たった。

そして新築なった成田の第3ターミナル。ニュースで有名になったトラック的フロアサイン。

本当はこの日のうちに長男のところに行きたかったのだが日程が合わずにそれは翌日になったため、この足で行ったところは…


敵地、千葉マリンスタジアム~~!

まるで南国であります!

BBとポリーも参戦!

そしてゲームは…

西川のプレイボールホームランに始まり、中田の8号で締めるという歴史的大勝!

こんなスコアを生で見たのは初めてです(笑)

いきなりお腹いっぱいでこの日は川崎の宿に向かった我々でありました~(つづく)

予告通り、2日~5日の3泊4日で行って参りました。

感想は… GWに旅行(国内に限る)なんかするもんじゃない。ってことで(-_-;)

とにかく人波に揉まれた4日間だったような。


5/4の浅草であります。好天のせいもあってすごい人。




伝法院通りの「浅草メンチ」。ここのメンチカツは大人気。



うまっ(笑)

…つづく

ごーるでんうぃーくに、嫁っこと下の息子2人連れて東京さ行ぐごとにした。

上の息子の顔さ見に行ぐんだべ。
家族連れて旅行なんてもう9年ぶりだぁ。

宿さ取れねくて困ったけんど、なんとかなったべ。

飛行機はじぇっとすたーちゅうえるしーしーだぁ。大丈夫だべか?
3泊さするんだー。

どご行ぐか考え中だぁ。
少し間が開いてしまいました。相続の主要部分が終わったのと選挙モードのせいでそれどころではなかったんです。

相続については最後に残った郵便貯金は年度末ぎりぎりの3月31日に書類を会社の近くの郵便局に持ち込んで受理してもらいました。
今、小樽の貯金局でチェックしてもらっているはずです。
問題がなければそろそろ何か言ってくるはず。

というところまでステータスは進んだので、まだ少しの残務はありつつもこの項は一旦閉じることにします。

相続を仕切る方の何かの参考になれば幸甚。

次は選挙後に改めて。

被相続人と被代襲者については出生から死亡までの連続した戸籍が必要であることを前項で述べた。

ここまでで相続権者がわかるので、あとは相続人本人の戸籍があれば良い。これは連続性はなくてよく、現在のものがあれば良い。そこで証明されることはその人が現に生きていることだけだからだ。

今回の場合、そうやって集めた戸籍は実に23通になった。これらは銀行はコピーした後返してくれるので、複数用意する必要はない。


2.相続人が銀行に対して提出する書類

これは、預金払戻依頼書というタイトルになるはずである。(銀行によって異なる)
そして、その内容は、被相続人◯◯の預金は代表相続人某に対して全額をお支払いください、他の相続人はそれで異議を申し立てません、というものになる。

基本はこれが一枚の紙になっていて相続人全員が判を突くものだが、今回の場合は相続人が多すぎて書ききれないので委任状や特別な依頼書という形にしてもらった。

いずれにしてもここには相続人の自署捺印が必要である。そして、これは銀行ごと(正確には、支店ごと)に必要である。


3.相続人の印鑑証明書

先に押した印鑑が正当なものであることを証明するもの。これは銀行に提出するので、前項の依頼書と同じ数だけ必要になる。

また、住民票の住所と現在の本籍地が異なる場合には、本籍地の記載のある住民票も必要だ。(そうでないと、戸籍とその印鑑証明書が繋がらない)
これも、印鑑証明書と同じ数だけ必要である。


4.遺産分割協議書(写し)

1~3までで預金は動かせるはずだが、遺産分割協議書を作ったなら(それは相続人間のトラブルを避けるためには是非作るべきである)、それの写しを提出すると良い。そこまであれば銀行は安心してお金を動かしてくれるはずだから。


(まとめ)
相続も母ひとり子ひとりのような場合は戸籍も少なくて済むが、今回のように兄弟姉妹かつ代襲相続という面倒な場合は戸籍を集めるだけでも大変な苦労である。しかし、それは決して銀行が意地悪をしているわけではなく、むしろ銀行はさっさとお金をあるべきところに収めてしまいたいのだ。宙ぶらりんだとかえって困ったことになり、最終的には国庫に入れなければならないからその手続のほうが大変なのだ。

民法で相続の定めがあり、法定相続人が存在するなら早くそこにお金を移してしまいたい、というのが銀行側の偽らざるマインドなのである。以上に掲げた書類はすべてそのために必要最小限度のものなので、もしあなたが相続に関わったなら是非文句を言わずに揃えてもらいたいものだ。

ところで、銀行の相続手続について具体的なことをここにまとめておかないとタイトルに偽りがあるとの誹りを免れないので、本日はその話題。

銀行は預金者が亡くなったことを知った時からその名義の口座の一切を凍結する。これは出金も入金もできなくなる、という意味だ。

この状態を解消するには、そのお金の行き先を銀行にちゃんと示してやることが必要だ。つまり、相続人がいるなら誰が相続人で、そのお金はそのうちの誰に渡せばよいのか、ということを銀行に示すということだ。これが銀行預金における相続手続というものである。

法律的には銀行預金や現金など相続財産中の可分債権は相続が開始した時(つまり、被相続人が亡くなった時)からその瞬間に法定相続人に法定相続分で権利が移転するのだ。(むろん、遺言がある場合は別)

しかし、有体物や不動産などと同様に、実務的には相続人間で遺産分割協議を行って「分割」という手順を踏み、その結果を銀行に知らせる、ということになっている。それがわかりやすく、トラブルを避けるには一番良いからだ。

遺産分割協議書では可分債権のうち、いくらを誰に、ということを記載する。しかし、それを実際に分ける行為を銀行に依頼しようとしてもそれは断られる。銀行はとにかく相続人間のトラブルに巻き込まれたくない。だから、どの銀行も「代表相続人を決めてくれ」と言う。そして、全相続人から「代表相続人に預金全額をお支払いください、それで貴行には一切ご迷惑をお掛けしません」という趣旨の書類を取るのである。そのあとどう分けようがそれは相続人同士のことなので銀行は知りません、という話だ。

ここまでが基礎知識。あとはそれを実際にやるための必要書類だ。

1.戸籍謄本等
これには大きく2つの意味がある。
(1)被相続人が亡くなったこと(つまり、いつ誰について相続が開始したか)を証明する
(2)誰が相続人かを確定する

まず、(1)のためには被相続人本人の除籍簿があればよい。死亡届を出せば、これは電算戸籍の現在は直ちに戸籍に反映される。(以前は郵便で送付だったから数日から1週間くらいはタイムラグがあったものだ)
本人の亡くなった事実とその時日を確定させるだけならこの除籍簿は本人の抄本だけで良いことになりそうだが、(2)の理由があるのでこれは全部事項証明を取るべきである。

(2)のためにはまず、被相続人本人の出生から死亡までの連続した戸籍(除籍簿、改製原戸籍などすべて)を取り寄せる必要がある。それらの書類には、本人が誰から生まれて兄弟がどれだけいて、いつ誰と結婚して子供がいつ何人生まれたかが書いてあるはずだ。相続人を確定させるためにはこれらの情報が不可欠なのだ。

今回の場合、明治の終わりに作られた僕の母方の祖父を戸主とする港区の戸籍が必要だった。そこでは本人が3男5女の4女であることがわかるが、上の3人の姉が独身のうちに亡くなっていることはその後の改製原戸籍を見なければわからなかった。

また、戦後すぐに戸主であった祖父が室蘭で亡くなり、長男が家督相続していることが見えているので、今度はその長男(僕から見て伯父)が戸主の改製原戸籍を取り寄せなければならなかった。この戸籍は昭和33年に新戸籍法のもとで改製され、その時点でうちの母を含む2人の未婚の兄弟は単独戸籍が編成されている。これらも全部必要だった。

亡くなった伯母本人については結婚後の記録はシンプルだ。改製が一回あっただけで子供も養子もいないので亡くなったことが記載されている除籍簿がそれ以前と連続していればよかった。

しかし、親も子もいない(配偶者も)となると相続人は兄弟姉妹になる。そして、3人の男の兄弟も長生きはしたが全部亡くなっているのでうちの母以外は代襲相続になってしまった。

代襲相続は本来兄弟姉妹が受け取るべきものをその子が代わってもらうのである。だから、被代襲者(亡くなった男の兄弟3人)の相続と同じように被代襲者についても出生から死亡までの連続した戸籍が必要だったのだ。


(この項つづく)

土曜日、最後の室蘭行き。

この日は業者から部屋の引き渡しを受けるのだ。

before



after



before


after



証拠写真はまだまだあるが、故人の恥を晒すに忍びないのでこのくらいに。
むろんこれは業者に丸投げではなく、遺品整理はすべて自前でやってゴミを分別したあとの作業だけを依頼したのである。

お金を払って、施錠し、様々な思いを胸にそこを後にした。もう、ここに来ることはないのだ。およそ6ヶ月間の闘い。なんとか終えられてホッとした。

銀行に寄って(この日は休みだが)本人のキャッシュカードを投函し、郵便局に寄って死亡の届け(転居届に付記する)を出して、室蘭を出てきた。

来るときは吹雪模様だったが、いつしか天気は晴れていた。
36号線をゆっくり帰途についた。このまま帰るのもつまらないので新千歳空港の温泉に寄ることにした。



風呂はまあ普通だったが、リラクゼーションスペースが広くてデラックスだった。ささやかなご褒美でリフレッシュして帰ってきた。

予定通りなら、今日M信金のお金は母の口座に入るはずだ。今週中に緑の銀行に行って同じ手続きを経れば他の相続人への分配も完了できるだろう。

もう少し、あと少し。