7月15日(土)、シネ・ヌーヴォの「小林正樹映画祭」にて、小林正樹の『燃える秋』(1978) を初めて鑑賞した。

五木寛之の同名原作の映画化を企画したのは当時の三越社長・岡田茂。その後の三越事件のせいか、『燃える秋』は今もソフト化されていない。

「小林正樹映画祭」の一環としてフィルム上映される貴重な機会なので、再び日帰りで大阪まで見に行った。

うーむ、結論から言うと、イラン・ロケの映像や武満徹の音楽など良い点もあるのだが、映画そのものの出来と言うと複雑な心境だ。

『燃える秋』の内容は、主人公・桐生亜希(真野響子)が、親子ほど年の離れた愛人・影山良造(佐分利信)の呪縛から逃れようと足掻き、若く情熱的な岸田守(北大路欣也)との愛に揺れるというもの。(それにしても、マックス・エルンストの展覧会で初老の男が若い女性をナンパして愛人にするなんて、最近非難轟々だった某雑誌みたいだ)

正直言うと、前半は、昼ドラみたいな亜希の懊悩よりも、亜希の親友・揺子(小川真由美)とその恋人・裕(上条恒彦)の二人の描写の方が面白かった。

ヒロインの道ならぬ恋に気を揉みながらも支えてくれる親友カップルは、何だか矢沢あいの『NANA』の奈々の親友・淳子と京助みたいだ。

じれったい展開の前半から一転、亜希がイランに旅立つ後半から映画は少しずつ面白くなる。

亜希と岸田が一緒にシャワーを浴びるショットの最後がストップモーションになっていた。ふと思ったが、小林正樹はストップモーションを割と頻繁に使用しているのかも。私が覚えているだけでも、『からみ合い』のラスト、『怪談』の「黒髪」のラストと「茶碗の中」の殺陣、『上意打ち』で側室を折檻するお市、『いのち・ぼうにふろう』で密輸仲間が斬られる定七の回想、といった具合だ。

閑話休題。

影山の幻影から離れ、強引な岸田の求婚を受け入れる亜希だが、岸田がペルシャ絨毯のデザインをコピーして大量生産しようとすることを知り、幻滅して決別する。

この結末は、女性の自立のみならず、先住民の知的財産権を巡る問題も想起させる。

『燃える秋』は、小林正樹の映画としてはイマイチな感じだが、主人公の女性が男性への依存から脱却して自分自身の生き方を選択するという結末は良かったと思う。

21世紀の今も日本では未婚者への風当たりや偏見がまだあるのだから、当時(1978年)は「結婚しない女」というのは結構進んでいたのかも。


ところで、先日同じシネ・ヌーヴォで見た『日本の青春』(1968) の後で『燃える秋』を見ると、僅か10年で東京の街並みが随分と変わったのを感じる。

同時に、小林正樹が日本の街は汚らしいと言ってカラー映画を中々撮ろうとしなかったのも分かるような気がした。

白黒映像だと時代劇や現代劇でもスタイリッシュだったズームも、日本の街のカラー映像で多用されると普通のテレビ映画みたいに安っぽく見えてしまう。


『燃える秋』の音楽は、小林映画の常連・武満徹だが、いつもより音楽の量が多い印象。武満もこの映画の曲作りには苦労したそうで、不満もあったようだが、メインテーマのロマンチックな美しさは絶品。

ハイ・ファイ・セットが歌う『燃える秋』の主題歌は、原作者の五木寛之が作詞、武満徹が作曲という豪華仕様。歌自体はとても良いのだが、映画のエンディングで流れると流行歌的なアレンジのせいで途端にテレビの2時間ドラマっぽくなるような気がした。ここは、やはりテーマ曲を流した方が格調高く締めくくれたと思う。


まぁ、何だかんだ言っても、今もソフト化されていない『日本の青春』と『燃える秋』をフィルム上映で見ることが出来た上に、仲代達矢の舞台挨拶まで聴けたのだから、シネ・ヌーヴォには感謝の気持ちで一杯である。

そして、小林正樹の遺作『食卓のない家』の封印が解かれる日はいつ来るのだろうか? 

複雑な心境で劇場を出たので、ロビーに展示されていた本物のペルシャ絨毯を見逃したのは迂闊だった(涙)


※今回の記事は、2017年7月15日(土)の拙ツイートに大幅に加筆修正を加えたものです。