7月12日(水)、シネ・ヌーヴォ (大阪・九条) にて、小林正樹監督の『日本の青春』(1968) を初めて鑑賞した。


『日本の青春』は、何故か今もソフト化されていないので、今回の「小林正樹映画祭」で漸く見ることが出来て満足。

実は、7月11日(火) と 12日(水) は、『人間の條件』の上映に合わせて、主演の仲代達矢氏がシネ・ヌーヴォに緊急来場して舞台挨拶もして下さった。

この日も、『人間の條件・完結篇』(1961) の上映後に、劇場のロビーで待つ私達も、仲代氏の舞台挨拶を聴く僥倖に恵まれた。

実際に仲代氏の姿を目にするのは、3年前の無名塾『ロミオとジュリエット』の公演以来だ。

伝説的名優は、84歳の今も矍鑠としていて改めて驚かされる。

『人間の條件・完結篇』のラストの撮影のため、6日間もの徹夜・絶食を小林監督に命じられたことや、凍死寸前までいったことなど過酷な撮影の裏話が聞けた。(仲代氏は、キャメラの宮島義勇を「みやじま・ぎゆう」と発音していた)

戦争映画についての話でもあるので、戦後70年以上経った今も世界で戦争が絶えないことや日本の右傾化に対する懸念も仲代氏は抱いていた。

更に、現在公開中の映画『海辺のリア』や、10月に能登演劇堂にて公演予定の『肝っ玉おっ母と子供たち』に込めた反戦の思いも熱く語っていた。

帰りの新幹線の時間が迫っていたので、仲代氏は、満員の観客からの拍手を浴びながら退場。タクシーに乗って去るのを観客とスタッフの皆で見送った。

再び近くで仲代氏を見ることが出来て感無量。


その後、シネ・ヌーヴォに再入場。約10分遅れで『日本の青春』の上映開始。


『日本の青春』は、平凡な中年男の悲喜劇とは言うものの、そこは小林正樹、いきなり冒頭から凄い映像を見せてくる。

通勤電車の左右から蟻のようにワラワラと水中に墨汁が広がるように乗客が出てくる場面だけで圧倒された。(しかも、電車は小刻みに揺られているし)

小林監督は、この映画を遠藤周作の原作と同じ題名にしたかったので、会社によって付けられた『人間の青春』という題名には不満があったそうだ。

主人公の向坂善作(藤田まこと)が特許事務所のデスクに座るのに合わせて『どっこいショ』と大きくタイトルが出て、スタッフとキャストが一通り出終わった後、付け足すかのように学徒出陣の映像に『日本の青春』のタイトルが出るところに監督のこだわりを感じる。

日本の街が汚らしいという理由もあってカラー映画を撮ろうとしなかった小林監督だが、『日本の青春』の白黒映像で見る約半世紀前の日本人の生活は色々と細部が興味深い。

5千円札がまだ聖徳太子で、屋台の中華そばが一杯70円だったりする。


「戦争から23年」と劇中で何度も言われる『日本の青春』から更に半世紀近く経った今も、小林監督は戦争と個人の関係を問いかけてくるように思えた。

「戦争と個人」でもあるが、召集を受けた大野(田中邦衛)が「俺達をこんなに惨めにする国家って一体何なんだ」と言っていたように「国家と個人」でもあり、芳子(新珠三千代)が「現実が私達を何度も踏みにじる」と言っていたように「現実と個人」でもあるのかもしれない。

又、出演者がダブるせいか『日本の青春』は、同じ小林正樹の『人間の條件』の後日談みたいにも見えるときがある。

もっとも、藤田まことの向坂は仲代達矢の梶より気弱だし、新珠三千代の芳子も美千子より打算的という人物造形がより現実的で悲哀を感じさせる。田中邦衛はまたもや戦争で落命する役だが、この頃になるとさすがに学生役は苦しい(苦笑)

そして、佐藤慶が向坂の戦時中の元上官という悪役なのは知っていたが、実際に見ると、やはり最凶に不快な悪役だった。聴力を失うほど向坂を殴打しておきながら、戦後は経済力にものを言わせて向坂を平然と蔑む極悪人。被害者はいつまでも苦しんでいるというのに、加害者は自分の悪事をケロリと忘れてのうのうと生きているという現実の縮図だ。

『日本の青春』で憎まれ役を演じた佐藤慶は、小林監督の次作『いのち・ぼうにふろう』(1971) では正反対に「生き仏」の異名を持つ善人を演じるのだが、あの眼と声だと…(汗) いや、佐藤慶は名優だし、人を見かけで判断してはいけないのだが、やはり大島渚の映画のような極悪人のイメージが強すぎて…

(これは、三船敏郎が『酔いどれ天使』のヤクザの後に『静かなる決闘』の医師を、山崎努が『天国と地獄』の誘拐犯の後に『赤ひげ』の善人を演じたものの、前者より印象が薄いようなものかも。三船も、山崎も、佐藤慶も、そして仲代達矢もアクが強いので善人よりは一癖あるキャラが似合うのかも)

因みに、佐藤慶は、後に小林監督の『東京裁判』(1983) でナレーションを担当し、フォンテックのCD『日本国憲法 全文 朗読』でも格調高い朗読を披露している。


閑話休題。

『日本の青春』が公開された1968年当時は、ベトナム戦争の真っ最中だった。個人の発明が兵器として戦争で悪用されるという劇中の展開を見ると、産業と防衛庁(防衛省)との結び付きなどで戦争に再び向かいそうなのは半世紀経った現代も変わっていないのではと考えさせられる。

戦中派の主人公・向坂は悩みながらも、戦後派の息子(黒沢年雄)とその恋人(酒井和歌子)に希望を託すような形で映画は締めくくられる。

音楽は、『からみ合い』(1962) 以来、小林映画には欠かせない武満徹。純音楽の前衛的な響きとは正反対に情緒溢れる優しい響きのメロディーが印象的。思ったよりメインテーマが多用されていたが、エンディングでは心に染み渡るように響いてきたのは流石だと思った。


小林監督の作品の中では比較的小品なせいか監督の生誕100年だった去年も東宝は『日本の青春』をソフト化しなかった。辛うじて初DVD化したのは『いのち・ぼうにふろう』だけだなんて、東宝もケチだなぁ。

小林正樹監督の戦中派としての反戦の願いと、藤田まことをはじめとした出演者たちの名演技に満ちた『日本の青春』もソフト化され、多くの人達に見てほしいと思う。

劇場を出た後、暑さだけでなく、冷めやらぬ感動と興奮で汗だくになりながら、向坂のように夕陽を背に私は帰路についた。 


【オマケ】

「生誕101年 小林正樹映画祭 反骨の美学」を開催中のシネ・ヌーヴォのロビーでは、小林正樹の映画のポスターやスチルが多数展示されていた。





↑『切腹』の英語版ポスター

↑『人間の條件』と『怪談』のクライテリオン版ポスター

↑そして、小林正樹監督の遺作『食卓のない家』!マル●ンさん、早く封印を解いてくれぇ!


※今回の記事は、2017年7月12日(水) の私の連続ツイートに大幅に加筆修正を加えたものです。