長い長いトンネルに入ってしまったかのようにして、過ぎ去る時。
いつになったらこのトンネルから抜け出すことができるのだろう。
気づいたらその日から干支でいうと一回り。
12年。
東日本大震災から12年。
このトンネルはさらなる奥の奥に入ってしまったのだろうか。
世界情勢の混迷は深まり、日本国内の状況も節操のない振る舞いが、公人から一般人まで、それはそれは目を覆いたくなるような、悪ふざけのような茶番が起き続けている。
これでは今までこの日本を作ってきた亡き人たち、あえて言うと、魂たちに申し訳ないではすまされない体たらくである。
日本は金で全ておかしくなった、そう感じています。
大事なことを大事なこととして、金では買えない、わかりえないこととして、敬い、讃える。そういったことを蔑ろにし、育ててこなかったことが、今の状況を生んでしまったのかもしれない。
金が価値観の最上位においてしまって、大事な魂が失われていってしまったのかもしれません。結局、震災の復興事業というのも、魂なき、箱モノだけで体裁を繕ってしまったものに溢れてしまっている。そこで生活する人たちにとって本当に助けになること、そして共に歩むこと、そういったことをもっと中心に据えていけなかったのだろうか。
変なものに慣らされてしまうと、本当に助けになること、そういった活動をしている人たちですら怪しく見えてきてしまうという皮肉なことが起きてしまっている。
この12年。
いろんなことがハッキリしてしまったともいえる12年。
しかし、それでも捨てたもんじゃないというのもこの国の不思議。
困難・艱難の際には必ず救世主のように民衆を引っ張っていくリーダーが現れてきたというのもこの国の古代からの歴史。
もっとも悪い状況だからこそ、もっとも力のある、希望を与えてくれるリーダーが実は育っている、そういった可能性は必ずあると信じます。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくっているのである。」
これは三島由紀夫さんの『文化防衛論』のあとがきに記された言葉です。この文章は昭和44年に書かれたものです。今の時を考えると本当に日本は無くなってしまうかどうかの瀬戸際に来ていると感じます。
日本が日本としてもう一度目を覚ますこと。魂の目覚めのためには何が必要なのでしょう。それはとにかく忘れてはいけないことは忘れないこと。東日本大震災が起きた今日という日を忘れてはいけないということ。さらに昨日の3月10日は東京大空襲の日でもあり、この3月10日と11日で歴史的には多くの日本人が亡くなられた日でもあるのです。
まだトンネルからは抜け出てない、まだ出口は遠い、そう感じます。
でも確実に育っている希望の光はあるとも感じています。
それが何なのかは一人ひとりの内面、魂にあり、そこに火が灯るかどうかなのかもしれません。
東日本大震災から12年。
今日という日をしかと胸に、私は今日、自分にとって最も大事な催しに参加して、追悼とそして未来への道標をしっかりと見据えてきたいとおもいます。
合掌。
(弟玄)



