2026年3月11日。

東日本大震災から15年。

 

毎年この3月11日が今とこれからを見直す日となっています。

それにしても、これ程までに世界が危機にあり、日本のこれからが危うくなってる時はないかもしれません。本当に危機を感じています。

 

どちらにしても、”国家”という一部の権力者による取り決めにより戦争は起こされ、結局被害を被るのは”国民”という構図はこの近代から全く変わりません。

 

戦中、戦後の学者にこのことを評して”国家は悪”とはっきり示されている方がおりました。この”国家=悪”の対極にあるのが生命を生み出し、育んでいく意味での”家庭”です。すべての政治経済の根幹にあるのが”家庭”であり、それを学術用語では”生産”というと言います。”生産”なくして国家は成り立たないのです。

 

今、ニュースになるあらゆることがこの”国家”主体となっており、その国家の動きによる犠牲者は”誰”ということなく、数字で”何名”と簡単に表現されるこのおかしさ。

 

本来”家庭”において使われることのない用語によって、生命中心である”家庭”がどんどん機関化しており、そういう言葉遣いによっていわゆる疎外状況がどんどん進んでいる、そのことすら気づかない現代である今。

 

”アテンションエコノミー”といわれる人の注意を引くことでお金にしていく仕組みはさらに進み、とにかくノイズだらけの社会になっている今です。

 

今必要なのはちょっとした”静寂”かもしれません。

世界も社会も交感神経が働きすぎてる興奮型になっており、これでは今の時代生きてるだけで、休まることはないといえます。

 

だからこそ、本当に休まるところ、そういう関係性が必要になっています。

自分にとっての”静寂”の場、時を見つけること。

そうすることで交感神経優位から副交感神経優位への転換によって、ようやく現実が、真実が、落ち着いてはっきりわかり、これから何を大事にしていけばいいのかわかるようになっていく。

 

おそらく”国家”主導によって世界は良くなったことはなく、いつの時代も個人を起点とした”家庭”という存在がお互いを助け合って、生き延びてきた歴史の方が真実ではないだろうか。

 

ただ”国家”主導によって築かれ、震災(もしくは人災とも)によって破壊されてしまった原発のようなものは、”国家”によって処理してもらうよりない、しかし、その”国家”が処理するその作業そのものは”個人”を起点とした”一人一人”が為していくのであり、だからこそ、”家庭”を最も大事にしなくてはいけないということ、このことを今一度認識しておきたいと思います。

 

 

東日本大震災から15年という歳月。

2026年になってから起きてる様々なこと。

全てを踏まえて、今こそ、”生命”中心の世界をつくっていくことを誓う今日3月11日です。

 

合掌。(弟玄)

 

 

 

 

 



9/28の原口ホールでのライブのリハーサル。

ニューメンバーの厳しい視線を感じながらのリハーサルは順調ですw

今日2025年、3月11日で東日本大震災から14年が経ちます。


今ほど世界が本当に変わろうとしている時はないと感じています。今までの秩序が根底から崩れていってます。しかも具体的に変わっていっている。


日本国内よりもそれは世界で顕著です。世界の動きに少し遅れて日本は追随するパターンが多いので、いずれ世界と同じ動きになっていくでしょう。


東日本大震災で明らかとなったのはこの国の体制です。昨年元旦に起きた能登半島地震は、状態が全く変わってないことを明らかにしました。結局行き着くところは、どうやったらこの国は本当に変わるのかという問いです。


結局行き着くのは、自分自身が変わるよりないということ。自己の在り方、内面が外的環境を作るのだから、自分自身の不満、疑問、問いを一つ一つ整理し、問題を認識しながらもどうやったら先を作れるのか考え、動き続けるよりありません。新しい状況こそが、問題を解決するのです。


生きてる人の在り方こそが、亡くなられた多くの魂に影響し、在り方が未来創造的であるなら、魂は報われていく、そういう話を聴きました。納得します。


毎年、この東日本大震災の日に、生きる指針を見直し、新たな気持ちでスタートする。そういう大事な日の今日です。


奇しくも自分自身にとって、今まで漠然としていたことをよりハッキリさせるためのプロセスとその機会を今日3月11日に出会いました。人生ひっくり返る程の発見となるか、自己を新たに知る機会となるか、はたまた結局何でもないのか。これはこれから明らかになっていく事です。


本当に新たな始まりへ。

3月11日。

合掌。(弟玄)