またまた、引き続き。

『肩をすくめるアトラス』を絡めて。


ジョン・ゴールドって誰?


というスラングが頻繁に出る。というか、寧ろこのスラングがこの作品の全てを語る。


ジョン・ゴールドって誰もよく知らないんですよ。

知らないけど、なんか大陸発見した人らしいよ、とか、よくわからないけど偉業を成した人らしいよ。と、作中で語られる。

一方で、事実や根拠のない不確かな情報に世間が肯定否定を通して踊らされている姿を痛烈に批判しているワードでもあると思う。


今日偶々、ふとやるせない気分、何だか自分の力ではどうしようもできない、大きな力に抗えない自分の無力さに肩をすくめたくなる気分を味わった。


その時に、この『ジョン・ゴールドって誰?』

の意味が何となく繋がった気がする。


毎月必ずメンタルが異常に落ちる期間がある。

その時は、必ず無力さ空虚さと共に、現実と理想で葛藤する。


得体の知れない不安ややるせ無さを凌駕する得体の知れない新たな発見や希望が欲しい。


ただ前に進むことだけが求められていて、留まることも後退することも出来ずにいる。


人は進み続けて移ろう世界を貫通する他ないのだろうか。


苦労は買ってでもしろ。

幸せは苦労して得られる。

という言葉がある。


前者の意見には肯定する。

けれど、幸せになるために苦労する必要はないと思う。

これは、私見だ。


過去苦労して来た経験や思い出が結果として、

今の自分自身の現実を形づくり、

その現実に対して、不満もなく欲もなく、

ただこれで良いな。

と、そう思えたなら幸せに近い。


そもそも幸せは、状態のことを指すのでは?

幸せな状態、状況を自分の行動や心遣いで、創り出していきます。

が、幸せにする。ということで。

幸せになる。のは、受け手や当人の動作関係なく、状態な訳で。

幸せで在る。というのが、幸せという状態を維持する為の動作(行動思考目標)をブレンドしたもの。


まあ、多分先人達は長年の経験から、

酸いも甘いも経験して山あり谷ありな所謂、苦労という労力を費やすほど、幸せで在る為のハードルが低くなるよー。って伝えたかったのかな。

幸せを大層仰々しく敬わなくてもすぐ近くにあるもので、それを感知するセンサーを磨くのが、『苦労』って言う言葉に凝縮されてるのかな。

なんて。


やるせ無い気分になった理由が、朝駅中で走るスーツを着た年配の男性を見たから。

朝、よく成人した【大人】が走る光景を見る。多分、大体の人は走ったことがあるやつ。


ふと、その光景を見て、走るという行為について考えた。

子ども達は、ただ目的無く走る時もある。

ただ走る感覚が楽し気だったり無邪気にダッシュする。体を動かしたいのだろう。


やがて大人になると目的の為に走る。

もはやそれは、意思関係なく、走らなきゃ間に合わないから走る。


自発的に走ってはいるが、前者は本能のまま。

後者は、本能を理性で抑え無理やり走らされている。そう。されている。

何に?目的に。

目的、目標が無いと走らない。

いつから目的や目標が主人になってしまったのか。

目的や目標に隷属してしまうのか。


目的や目標は、ツールで良いんだろうな。





結論、私が言いたいのは

目的や目標、夢を持つことを押し付けない方がうまくいく。

成り行きに任せる他ない部分もあるんだから。

だからこれが肩をすくめたくなる要因だったりもする。


夢とか目標は、掲げないで自他で語る、語り合うくらいがちょうど良いのかな。なんて。