相続 | hitori tabi

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~ ひとり旅 ~


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「相続」という言葉は一般的に、資産や負債の承継を意味する。
資産はもちろん金銭や土地などの動産・不動産のことを示し、負債は借金を示している。
相続によって冨を得る人がいる。
相続によって破滅する人がいる。
そして、わたしには相続についての良いイメージがまったくない。
いずれにせよ、相続は一つの大きな変化であることは確かだと思う。

相続するのは資産・負債にとどまらない。
仮に、形のないもの、例えば精神、思想や思考もまた相続されるものの一つとしてみる。
法律概念を取り払い、この言葉を使うのならば、この言葉から現れるイメージはガラッと変わる。
言葉は法律の囲いから開放され、対象範囲は無限に拡がる。
思想や思考の相続。
精神の相続。
形のないものの相続。
ある人から相続した思想や思考。
ある作品から相続した思想や思考。
ある本から相続した思想や思考。

相続人を選ばないこの相続は、時間にも囚われない。
太古から相続を受けることもあるし、昨日から相続を受けることもある。
でもそこに、人と人との何かの繋がりのようなものを含んでいないと相続っぽく感じないので、人から受け取るものを「相続」と勝手に定義してみる。
そうすると、わたしはたくさんの人から様々なものを相続していることに気づく。
もちろん、絵や文が好きだというのは祖父から父へ、父からわたしへ相続されているし、もっと範囲を拡げると出会った人々や画集で出会った画家、本で出会った作家、そういう様々な人から何かしらの相続を受けている気がする。
そういう意味での相続は、日常的に行われているものなのかもしれない。

相続を受けた形を自分なりにのもに変化させ、自分なりのものにできればいいのだが。。
新たなものは突然生まれるのではなくて、そうやって繰り返す相続を発端とした変化の中から異変的に生まれるものである気もする。
自分一人で実現したように見え、実は自分一人では実現できないものであるようにも思う。
わたしは相続財産を持っていないので相続する側になるかどうかはわからないが、一つのものは単体でそこにあるのではなく、根本的にはやはり様々な繋がりの結果としてそこにあるもののように感じる。
ふと思った、本当にきままな話である。