竹鶴政孝さんのお話し…その6 | Bar Gemstone

竹鶴政孝さんのお話し…その6

皆様、こんにちはニコニコ

今日も竹鶴さんのお話し。
大正13年11月11日、日本初のウイスキー蒸留所山崎工場が誕生します。

鳥井さんと竹鶴さんを悩ませたのは酒税の問題でした。当時の酒税はできた酒に一石いくらと課税する造石税。ウイスキーは倉庫で寝かせているうちに蒸発などによる欠減分がでるため竹鶴さんは税務監督局に通い続け、出荷の時に課税する庫出(くらだし)税方式が採用されることになった。

昭和4年4月、日本初の本格ウイスキー「サントリー白札」が発売されました。太陽をイメージした赤玉(サン)と鳥井(トリイ)から命名。
しかし、サントリー白札は売れなかった。高価なうえ、燻したスコッチウイスキー独特のスモーキーフレーバーは焦げ臭いと不評だった。
鳥井さんから、日本人の好みにあった味にするよう求められたが竹鶴さんはあくまで、スコットランドと同じ製法の本物にこだわった。すでに10年の契約期間は過ぎていた竹鶴さんは身を退く決意をする。

昭和9年3月1日付けで寿屋を退社した竹鶴さんは、まもなく40歳を迎えようとしていた。彼は迷っている時間はなかった。
東京から汽車と連絡船を乗り継いで30時間、祈願の北海道余市町に工場建設を決めまる。良質な水に加え麦芽を乾燥させるためのピート(泥炭)が取れ、りんごの産地でもあったのでまずはリンゴジュースで食いつなげられると。
そう決めた竹鶴さんは社名を「大日本果汁株式会社」とし昭和9年、初めて自分の会社を設立した。資金はわずか10万円。山崎工場の20分の1だった。

続く

高野