1を聞いて10を知る。


難しい。

1を聞いて10を知り、20を実践できる人になりたい。


1から10まですべて説明したがる人が苦手。

1から10まですべて説明して、論破した気分で満足する人が苦手。

3ぐらいまで言って、少し待ってみればいいのに。

あるいは9をほのめかして、10を引き出してくれる人と一緒に居たい。

人にはその人に合った導き方がある。

9を聞いて10が見える場合、1から8を説明されるのはただの苦痛。

そこが理解できない人と一緒にいるのも、もはや苦痛。

1から10まで0.1刻みで説明してくる人が苦手。

1から10まで0.1刻みで説明して、結局自分が全部作業したがる人が苦手。

10までわかってるとは言わないけど、5以上わかってるつもりなんだ。ちょっと、見ててくれないかな。

それはサポートじゃなくてもはや邪魔。

やりたくないのに、自分がやらなきゃダメなんだこいつらって目で見て、

じっとしていられないどころか黙ってすらいられない人。

ただの無能。

その行動では、人は育たないでしょう。そりゃぁ、いつまでたってもあなたが必要なままですよ。

やりたいならやればいいけど。なら、やりたいと言って他の人を堂々と押しのけてみてよ。

え~また?とか、結局おれがやるんじゃん!とか文句言うくらいならそこで休んでればいいじゃない。

そりゃぁ手間は遠回りで、作業も遅いかもしれないよ。

でも、遠回りして、焦ったり後悔したりして、いずれは自分でできるようになるんじゃないかな。

逆にいえば、一回でも自分で焦って行動を起こさなければ自分でできるようになんて絶対にならない。

手順がすべて見えてるから焦るんでしょう。そこであなたが動いちゃ、永遠にあの子は焦らないのよ。

焦らせて、後悔させて、自分なりの手法で目的作らせて達成させて、

それでもどこか抜けていたらそこでやっとあなたの出番。違う?


サポートとしゃしゃりは違う。

しゃしゃりは、的確なサポートの照れ隠しだからかわいいの。

あなたの言うしゃしゃりは自己満足の自慢にしか聞こえない。

独りよがりの苦労話は何も面白くない。


苛立ちはいつの間にか腹立ちになっていた。大人になると、絶対正しいと思っても言えない弊害が見えてくる。

もどかしい。肝に銘じて、せめて反面教師に。

家庭がおかしい

誰かがストレスを解放する場なら
それを受け止める人にとってはそこは解放できる場にはならない



「外では人の迷惑にならないようにしましょうね
 全部お母さんが吸収してあげるから」
そう言われて、そうしているつもりだった
でも
「全部全部吸収してあげる」
これが罠


全部全部吸収してあげる、と言っている自分
全部全部吸収してあげている自分
それらに満足したいだけだったんじゃないだろうか
いつからか無意識に
全部全部吸収させてあげなきゃいけない
全部全部吸収している気分にして満足させてあげなきゃいけない
義務感が生まれてしまっていたんじゃないだろうか
娘が大事なんじゃないのかもしれない
「人から褒められる娘」というステータスがほしかったのかもしれない
子供が好きなんじゃないのかもしれない
「子供を愛している自分」というアイデンティティがほしかっただけなのかもしれない
外から共通認識を得ることでしかその姿を保てないなら
「誰からも羨まれる幸せな家庭」なんて最初から存在しない
誰かのために練り上げられた、一人のためだけの大きな虚構でしかなかったのかもしれない
住みたかったのは「中にいて幸せな家庭」
用意されていたのは「外から定義されて幸せとされる家庭」
幸せという評価は付随すればこそのもの
いまあるのは、幸せという定義であり彼女の存在意義であり私のロールプレイ
意識もないまま用意された席に座りお好みの行動を選んで彼女の唯一の居場所を作るパーツになりきる
一度でも周りを見渡してはいけなかった

そこにあるのは本当はただの虚無だった
提供するだけで自分には何も残らない
人類がみな友達だなんて誰が言った
状況も状態も感情も人も何も誰とも共有できないのに
結局は自分でどうにかするしかないとはよく言ったもの
精神はもちろんのこと体という入れ物が別で言葉を使う生き物ならば
誰とも何でも何か一つでも共にすることなんてできない
怖くて怖くてさみしくて仕方がなくて突然襲いくる孤独の感覚に震えが止まらない


ここに私が存在することが嘘ならば早くその事実を知りたい

ピルを飲むことにした。
完全に安定とはいえない生理周期、重い生理痛、PMS。
放っておいても良くはならないようだし。


「いいと思いますよ~。避妊にもなりますしね。自分の体は自分で守らなくっちゃ」
「次の生理がくるまで毎日不安でしょ」
少し言いづらい、でもピルを飲もうかと考えた一番の理由をあっさり言い当てられた。
あっけらかんと仕事をこなしていく女医さん。女性がいるところを選んでよかったと思った。



ピルを飲もうか考えている、と告げたとき。
怒ったような困ったような顔をして、しばらくして少し悲しげな、思いつめた表情へと変化した。
表情の変化の理由が分からなかった。
ゆっくりゆっくり時間をかけて、思ったことを伝えてくれた。
ピルを飲むようになったら、いよいよ生でしたくなって、気持ちに負けてしまうかもしれない。
行動にはうつさなくても、生でしたいと暗に言ってしまうかもしれない。
ある程度予想していた言葉だった。
文字ベースでものを考える私にとって、ゆっくりとでも明文化して伝えてくれるのは、すごくありがたい。
ただ、実際に聞くとまたがっかりしたのだろう。そのあと自分が何て返したのか覚えていない。


おまえがおもうほどおれはつよくないんだ。よわいんだ。


苦しそうに言った声を覚えている。



最初に婦人科に行ってから一週間。一回目は相談と検査だったが、今回は処方してもらった。
婦人科に行くのは精神的に疲労する。
検査が怖かったこと。ピルを飲むのが怖いこと。
結論は変わらない。
ふとした瞬間に、生理がくるか心配する、不安に苛まれるのにも、もううんざりしてしまった。
理論的に考えれば、間違いなく飲むことを選ぶ。
でも、やっぱりちょっと怖い。
体は平均的に健康で、薬を飲んだことがないわけでは全くないけれど、
月のものを左右する薬。
風邪薬とは飲む気持ちが違ってしまっている。
いろんな資料を探した。ネットの感想や医療本も読んだ。数値的データも見た。
納得する材料は十分揃っている。納得はできる。理論的には、だから、飲むという結論は変わらない。
でも怖いのは怖いんだ。やっぱり。


飲んで体が安定すれば慣れるのだろうか。