戦争と国際銀行家との関係性

 

 

利益と支配のための
次の道具は戦争だ

 

1913年に連邦準備制度の開始以来
いくつかの戦争が行われた
第一次、二次世界大戦、べトナム戦争

 

第一次世界大戦

1914年、イギリスとドイツを中心とした
ヨーロッパ戦争が始まった
アメリカはこの戦争とは関わりを持ちたくなかった

 

ウィルソン大統領も中立を宣言した
しかし裏では
米国政権は戦争に参加するための言い訳を探していた

 

国務長官ウィリアム・ジェニングスが観察を記している

 

『大規模の銀行は
莫大な利益を得られる
世界大戦に入ることであり
大変な関心を示している』

 

国が連邦準備銀行から利息付で
もっとお金を借りなければならないからである

 

ウッドロー・ウィルソンのトップ顧問
コロネル・エドワード・ハウスは
戦争を欲しがっていた国際銀行家たちと
親密な関係性を持っていた

どのようにアメリカを戦争に巻き込めるかについて
ウィルソンの顧問としての
コロネル・ハウスと英国外相の
エドワード・グレー卿の会話が記録されている

 

グレー卿
『もしドイツがアメリカ人の乗客を乗せた船を
沈めたらアメリカ人はどうするだろうか?』
ハウス
『なげきの炎がアメリカ中に起こる
それは我々を戦争に巻き込むのに十分なものだ』

 

1915年5月7日
グレー卿によって
ルシタニア号はドイツの軍事艦艇が駐在する
水域にに故意的に送られたのだ
ドイツは当然撃退し1200人の犠牲者を出した

 

駐米ドイツ大使館がニューヨークタイムズに広告を出し
人々にもしルシタニア号に搭乗したなら自己責任に
基づく行動であり戦争地帯を通過するアメリカから
イギリスに航行する船は破壊に値すると事前に伝えていた

 

警告むなしくグレー卿の目論見は実現する

第一次世界大戦は32万人のアメリカ人の死者を出した
JDロックフェラーはこの戦争で2億ドル儲けた
国際銀行家らの利益を更に増やしていた
戦争にかかった300億ドルの費用を政府が
利息付で連邦準備銀行から借りたことを勘定に
いれないのであれば

 

第二次世界大戦
1941年12月7日
真珠湾攻撃

 

ルーズベルトは
18歳から銀行業に従事
彼のおじのフレドリックは最初の連邦準備理事会に所属
国際銀行家たちの利益と彼らの参戦意欲に
とても関心が強かった

 

既にご覧になったとおり
国際銀行家たちにとって戦争ほど儲かることはない

 

ルーズベルトの国防長官
ヘンリー・スティムソンが
1941年11月25日に記した日記

 

『問題は我々がどのように彼らを操って

最初の一撃をさせるかにある
この一撃を日本人にさせるのが一番望ましい
そうすれば誰が攻撃者であるかについての
疑問が残らないから』

 

ルーズベルトは
日本への石油輸出を停止
アメリカにあった日本の全資産を凍結
公開的に中国国民党に金を貸し
イギリスに軍事支援を供給した
両国とも日本の戦争相手だった

 

この行為は国際戦争協定に
明らかに違反するものであった

オーストラリアからの攻撃3日前の通達も無視
期待通りの真珠湾攻撃が実現されたのだ

 

2400人の犠牲を得た

ナチスドイツは2つの組織から支援されていた

 

IGファルベン
ドイツ84%の爆発物と強制収容所で
何百万の殺害に使われた
ZyklonBと呼ばれる毒ガスも製造していた
IGファルベンのパートナーたちの1つは
JDロックフェラーの
アメリカにあるスタンダード石油だった

 

ドイツ空軍はロックフェラーの石油会社が製造した
特別な添加物を含む燃料なしでは操作できなかった

 

ドイツによるロンドン爆撃は
ロックフェラーの石油会社がIGファルベンに
2000万ドル分の石油を売ったことから可能になった

アメリカ企業がどのように第二次世界大戦の
両方の側を援助したかを示す小さなポイントだ

 

もう1つの組織はニューヨークUBCである
ヒトラーの政治資金を援助し
戦時中の物資援助に加え
ナチス資金洗浄のための銀行でもあった

 

最終的にこの銀行が貴重保管室に
ナチスの何百万ドルもの資金を持っていたことが
発覚している

 

ニューヨークUBCは敵国通商法に違反した事で
差し押さえを食らっている

ニューヨークUBCの副頭取は誰かをあたってみると
プレスコット・ブッシュの祖父だった

 

次にベトナム戦争
1964年にアメリカが北ベトナムに宣戦布告

 

駆逐艦がトンキン湾で
北ベトナムのPT船に攻撃されたことから始まった
驚くべきことに後にこれは捏造であったことが判明

前国務長官のロバート・マクナマラが数年後
間違いであったと言い、複数の役人も証言したが
引き返すことはなかった

 

リンドン・ジョンソン大統領が1966年10月
ソビエト集団の国々に対する貿易制限を解除
彼らが北ベトナムに対する戦争調達の80%に上る

 

供給を提供していたことを知りながら
やがて、ロックフェラー関係勢力がソビエト連邦にあった
北ベトナムに送る軍備用品を製造する工場に対して
資金を援助した

 

ところがこの戦闘の両側への援助が
コインの一面に過ぎなかった

 

1985年に交戦規定が機密扱いから解除
北ベトナムの対飛行体ミサイルシステムが
運転可能であると確認が取れるまで
攻撃してはならない
ラオスやカンボジアの国境を一度越えた敵を
追撃してはならない
それから何よりも明確なのは最も重要な
戦略的標的に対しては軍事高官の許可なしでは
攻撃してはならない

 

課せられたこれらの制限のみならず
北ベトナムはこれらの制限項目を知らされ
米軍のこうしたルールを元に
彼らが全体の戦略を構成できたのだ

 

これが戦争が延々と続いた理由だ

利益のための戦争は
5万8000人のアメリカ人
300万人のベトナム人の死者を出した