1月2日、
大山・善法寺へ初詣に父と母を誘い、4人で行ってきました。
お線香を100円で買って、
煙を浴びて・・・・・
すると、母が白い紙袋を渡してきました。
「プレッシャーにはならないでね、プレッシャーをかけるつもりじゃないのよ」
子宝のお守りでした。
・・・・・(笑)。
母が、私が苦しんでいる思いや悩みを知らないはずもなく、
それでも何か力になりたいという気持ちで買ってくれたことは、100も承知。
体自体に問題はなく
あとは、神様の思うところとなれば、頼みの綱はまさに神頼み・・・・(笑)。
私も買おうかな~と思っていたところでしたから、ありがたかったのに・・・。
母心遣いがありがたいと思いました。
子供ができない事を悩んでいるのか
気にしてないのか、
そんなの話をしてみなければわからないし、
新婚さんには、「子供は?」というのは、挨拶のようなものなんだと思います。
だから、特に深く突っ込まれれば、子供ができないと言うかもしれないけど
(自らする話でもないと思うのですが)
突っ込まれても、突っ込まれなくても、言われるとやっぱり気になりますよね。
久しぶりに会った、母方の祖母は、
なんというか、まぁ、もともと周りの空気を読むのが得意ではありませんが、
「妹のてん妹は、年子で3人産んだのに・・・・・・てんは、負けたわね。」
勝ち負け?の評価を受けました。
しかも、それを2回も3回も言うので
さすがに嫌になって、
その場を去ろうとしたのですが、
ちょうど2階から降りてきた母に、
「あなたのお母さんは本当にデリカシーがないよね」
と言ってしまいました。
ああ、大人げない・・・・(ノ_-。)
実は昨晩、
同じように食事の席で、子供のことを言われて
「ばぁちゃん、その問題はすごくデリケートなの、頑張っててもできないんだから、あんまり触れないで(笑)」
とやんわり、くぎを刺したのですが、
まぁ、やんわり言われて気付ける人ではないので、
同じことを繰り返してしまったわけですね。
私の母は烈火のごとく怒りはじめました。
「昨日もてんに言われてたじゃないの!!!どうしてそういうことを言うの!!!」
珍しく、怒鳴りつけていました。
ばぁちゃんは、人が何を言われたら傷つくのか、わからない人です。
悪気はないんです。
でも、そこに、私を傷つけてやりたいという思いがあってしたことではありません。
大切なのは、そこです。本来であれば、
「ばぁちゃん、私は傷ついたよ」
と伝えるだけで、いいのだと思うのですが、
泣きそうで言えなくて、母にあたってしまいました。
かわりに母が怒ることになったのですが。
自分の両親とのコミュニケーションと、それ以外の人とのコミュニケーションとでは、
まったく感じ方も違えば、接し方も違う。
結婚をしたことで、
生まれ育ってきた家族以外とのお付き合いの中から、
私自身も色んなことを学ぶんだな、と気づきました。
先日、何気ないパパの一言が、私の中で引っかかっていて、悲しい気持ちになりました。
でも、パパは、私を悲しませようと思っていったわけではもちろんないです。
パパは、私の事もとても可愛がってくれるし、優しくしてくれる。
私の考え方ひとつで、その関係を壊すことも、続けることもできる。
怒りや悲しみのままに心を表すことはできても、
だした感情を取り消すことは容易ではありません。
あの時と同じかな・・・・
そう思ったら、すっともやもやが消えて、
ばあちゃんを許す(という言葉自体語弊があるかもしれないけど)事が出来、
優しい言葉をかけることが出来ました。
祖母の言葉で私が傷つき、その姿を見ている母が心を痛める。
誰も、喜ばない事ですから。
私が、キチンとできれば済むことです。
本当はもっと早い段階でできるのがよかったけど。
「負け」
っていう言葉は、私自身に何の価値もないような劣等感を感じさせてしまうものだった・・・・・。
でも、憎むべきは選ばれた言葉ではないと。
私が考えるべきは、
相手の思いや心だと。
祖母が、私を悲しませたがっているのかどうか?
そんな事はわかりきったこと。
伝えることや、伝え方を間違ってしまっただけ。
だから、そういうことを、そういう伝え方をされるとつらいという事を、
私は発信することが、仲良く時間を過ごすカギなのだと思います。
それでも、まだ同じことを繰り返すのなら、
悪意があることを疑わなければならないですが。
でも、小さなころから可愛がってくれた祖母です。
そんなわけはありません。
感情を衝動的にあらわにする前に、
もっと思慮深い行動がとれる人間になりたいです。
今年は・・・・。
大山・善法寺へ初詣に父と母を誘い、4人で行ってきました。
お線香を100円で買って、
煙を浴びて・・・・・
すると、母が白い紙袋を渡してきました。
「プレッシャーにはならないでね、プレッシャーをかけるつもりじゃないのよ」
子宝のお守りでした。
・・・・・(笑)。
母が、私が苦しんでいる思いや悩みを知らないはずもなく、
それでも何か力になりたいという気持ちで買ってくれたことは、100も承知。
体自体に問題はなく
あとは、神様の思うところとなれば、頼みの綱はまさに神頼み・・・・(笑)。
私も買おうかな~と思っていたところでしたから、ありがたかったのに・・・。
母心遣いがありがたいと思いました。
子供ができない事を悩んでいるのか
気にしてないのか、
そんなの話をしてみなければわからないし、
新婚さんには、「子供は?」というのは、挨拶のようなものなんだと思います。
だから、特に深く突っ込まれれば、子供ができないと言うかもしれないけど
(自らする話でもないと思うのですが)
突っ込まれても、突っ込まれなくても、言われるとやっぱり気になりますよね。
久しぶりに会った、母方の祖母は、
なんというか、まぁ、もともと周りの空気を読むのが得意ではありませんが、
「妹のてん妹は、年子で3人産んだのに・・・・・・てんは、負けたわね。」
勝ち負け?の評価を受けました。
しかも、それを2回も3回も言うので
さすがに嫌になって、
その場を去ろうとしたのですが、
ちょうど2階から降りてきた母に、
「あなたのお母さんは本当にデリカシーがないよね」
と言ってしまいました。
ああ、大人げない・・・・(ノ_-。)
実は昨晩、
同じように食事の席で、子供のことを言われて
「ばぁちゃん、その問題はすごくデリケートなの、頑張っててもできないんだから、あんまり触れないで(笑)」
とやんわり、くぎを刺したのですが、
まぁ、やんわり言われて気付ける人ではないので、
同じことを繰り返してしまったわけですね。
私の母は烈火のごとく怒りはじめました。
「昨日もてんに言われてたじゃないの!!!どうしてそういうことを言うの!!!」
珍しく、怒鳴りつけていました。
ばぁちゃんは、人が何を言われたら傷つくのか、わからない人です。
悪気はないんです。
でも、そこに、私を傷つけてやりたいという思いがあってしたことではありません。
大切なのは、そこです。本来であれば、
「ばぁちゃん、私は傷ついたよ」
と伝えるだけで、いいのだと思うのですが、
泣きそうで言えなくて、母にあたってしまいました。
かわりに母が怒ることになったのですが。
自分の両親とのコミュニケーションと、それ以外の人とのコミュニケーションとでは、
まったく感じ方も違えば、接し方も違う。
結婚をしたことで、
生まれ育ってきた家族以外とのお付き合いの中から、
私自身も色んなことを学ぶんだな、と気づきました。
先日、何気ないパパの一言が、私の中で引っかかっていて、悲しい気持ちになりました。
でも、パパは、私を悲しませようと思っていったわけではもちろんないです。
パパは、私の事もとても可愛がってくれるし、優しくしてくれる。
私の考え方ひとつで、その関係を壊すことも、続けることもできる。
怒りや悲しみのままに心を表すことはできても、
だした感情を取り消すことは容易ではありません。
あの時と同じかな・・・・
そう思ったら、すっともやもやが消えて、
ばあちゃんを許す(という言葉自体語弊があるかもしれないけど)事が出来、
優しい言葉をかけることが出来ました。
祖母の言葉で私が傷つき、その姿を見ている母が心を痛める。
誰も、喜ばない事ですから。
私が、キチンとできれば済むことです。
本当はもっと早い段階でできるのがよかったけど。
「負け」
っていう言葉は、私自身に何の価値もないような劣等感を感じさせてしまうものだった・・・・・。
でも、憎むべきは選ばれた言葉ではないと。
私が考えるべきは、
相手の思いや心だと。
祖母が、私を悲しませたがっているのかどうか?
そんな事はわかりきったこと。
伝えることや、伝え方を間違ってしまっただけ。
だから、そういうことを、そういう伝え方をされるとつらいという事を、
私は発信することが、仲良く時間を過ごすカギなのだと思います。
それでも、まだ同じことを繰り返すのなら、
悪意があることを疑わなければならないですが。
でも、小さなころから可愛がってくれた祖母です。
そんなわけはありません。
感情を衝動的にあらわにする前に、
もっと思慮深い行動がとれる人間になりたいです。
今年は・・・・。