私は若い頃から、漠然とした「結婚」にあこがれたことはありませんでした。
結婚をしたら、きっと幸せになれる:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
・・・・・なんて、思ったこともないし。
結婚をするなら、そのための体力づくりをしなければ、と思っていた。
結婚は、持久戦だ。
漠然と。
それは、父と母や祖母と祖父や、周りの夫婦を見ていて・・・・・
なんとなく感じていったものなんだろうと思う。
仲良く見えても、幸せそうに見えても。
そんなに甘いものではない、と思っていた。
可愛くない18歳だ(笑)。
結婚は、
『墓場』かもしれない。
それは今現在、結婚をしてみて、そうではなかったってことがわかったわけですが。
甘くないって事は間違いではなかった。
スタート地点が墓場で本当に良かったと思っています(笑)。
墓場だと思って生きてきて、そうでもなかったと思えてるって事は、
どんどんたくさんの幸せを感じていけるのですからね。
期待値が大きいと落胆が激しいのは当然のことですから。
あっ!!!
ちなみに誤解のないように。
私は相手が誰であろうと、結婚=墓場
だと思っていましたのであしからず。
墓場という事場を選ぶと少々語弊があるとは思うのですが。
結婚は、自分の自由をあきらめることだと思っていたんですね。
だから、結婚は自由と引き換え。
東京に出てきて、仕事をして、やりがいとそれに見合ったお金を手にして、
自立した生活を味わい始めると。
その生活を失うのは、怖いというか不便だなぁとかんじて・・・
しり込みするようになっていました。
私は結婚式、というものに独特な憧れはなかったけど、
たくさんに人を呼んで楽しい時間を過ごしたいなと思っていました。
「てんの結婚式によんでね。」
「スピーチしたるで」
「歌ったるわ~」
「テンさんの結婚式、いきたいっす」
などなどのお言葉にどこか応えたい、自分がいたのかも。
なんか、言葉がおかしいと思うんですが。
「応えたい」
が一番私の気持ちにしっくりくる気がします。もしくは「もてなさせて欲しい」。
大好きな人たちと、馬鹿みたいなお祭り騒ぎしたかったんだろうなぁ。
でも、結婚式というのは、
自立を意味するものなので、自分の力(お金)で挙げられなければ意味のないもの。
そういう思いも、永く自分の中にありました。
ゴールデンウィークに、親族だけで簡単な式をする事になり。
先日まで悩んでいたことがありましたが、
やっと決心したので載せます。
けじめみたいなものですね。
この内掛け・・・が、
着たかった、けど、やめました。
ので、この素敵な感じを、
選んだ私を褒めてください(笑)。


その昔。
結婚は墓場だと。
自分の時間(はあんまりなかったけど)好きな仕事と、お金と自由を持ってたその頃から、
墓場だと思っていながら、こんな花嫁衣裳を着たいと、
何かのカタログで(パリコレ系の)、オーガンジーの内掛けを見かけ、
「素敵~~~~!!!!」
ずっとあこがれていました。
普通は、ウエディングドレスにあこがれるのが普通なんでしょうけど(笑)。
私ってば変わり者????
34歳の今なら、年齢的なものもあって・・・とも思えるけど、
25歳前後のウェディグドレスが似合うお年頃の頃から、着物だったのですねぇ。
着物屋の血が騒ぐのでしょうかね(笑)。
*祖母は着物の営業ウーマン(いまだ現役)です。
結婚式は白無垢に売ることに決めました。
結婚式でさえ、今の私では身分不相応だと感じているのに、
内掛けにこだわるなんておかしい、と思う気持ち・・・・と
相反する寂しい気持ち。
でも一生に一回なんだから、という魔法の言葉。
この言葉いい始めるときりがないんですよね。
招待状1つでも、こだわりたくなっちゃって、だめでした(笑)。
だから、自分で見ないで彼ちゃんに決めてもらいました。
先の生活、もしも子供を授かったら、って思うと、
もちろん、彼ちゃんは着たらいいといってくれます。
でも後の生活を考えると、一生に一回の結婚式・・・・でも、
支払いはきっと長くかかる。
今より支払い増やすとやりくりしんどいのは自分だからなぁ~と(笑)。
かといって、自分達以外の人からのお金に頼るのは嫌だ。
結婚式がしたくて、彼ちゃんと結婚するわけじゃないんだし、・・・・・うん。
生活を大事にすべきだ、と思いました。
なので、せめて私の着たかった花嫁衣裳を、
ブログで披露させてもらいましたのでみてやって下さい(´∀`*)
お読みいただきありがとうございます(・∀・)