世の中の多くの女の人って、自分を知ってもらい、相手を知りたいと思う人が多いんじゃないかと思う。
男性はどうだろう。
知りたい、という欲求はあるだろうな。(でも聞かなくても、求めなくても、女の人は良くしゃべる。)
女の気持ちがわからない男は、女を落とせない。だから、好きな女がものになるまでは必死で女の気持ちを知ろうともするだろうし。
私の独断と偏見かもしれないけど、女の気持ちを知るのはともかく・・・・自分の考えやその時の感情を好んで伝えようとする人は、
あまりいない気がする。
(但し、仕事だったら別。一生懸命マネジメントする。)
それは、女性という生きものが、もちろん、感情を表現することを必要と感じている、だから、頼まれてなくても伝える。
と同時に、
感情を伝えることと、愚痴や嫌味、小言を言うことを混同していると言うこともあるかもしれない。
そうするど男性は面倒になってしまうんじゃないかと思う。
普段から、そうだと・・・・・・・・・・・たまに愚痴や小言ではない、
本当に大事なことを伝えたいと思った時まで、聞いてもらえなくなったりする。
耳では聞いてもらえても、・・・・・・・・・・・・・・・・・・心で聴いて貰えているのか、私達にはわからない。
・・・事が多い。
きっと世の中には私のような奥さんじゃなく、立派な奥様もたくさんいて、そんな奥様達には縁のない悩みかもしれないけど。
自らが招いた状況だったとしても、
そういう対応を男性から受けることで、『自分が蔑ろにされている』と思う人も少なくないと私は思う。
(愛情の伝え方を間違うと淋しい思いをするのは間違いなく自分だ。)
少なからずそんな思いを心の端っこに、女性はみんな持っていて・・・・
カサカサとかさぶたになりながらも、その存在はゆるがないものだったりする。
かさぶたになるのは、治癒しかけているからで、
そこに相手を信じたい気持ちがあるからこそ、かさぶたになるのだ。
信じられない状況だったら、傷はいつまでもぐじゅぐじゅと痛み、・・・・・・・化膿してしまったりもする。
それどころか・・・時折そこに、塩を擦り込まれたりもするのだ。
それでも、女は恋をして・・・・・男の気持ちを知りたがるんだ。
私の中で相手に対する愛情って言うものは、
どういう表現になるのだろうか、改めて考えてみた。
私は昔から、愛することは、許すことだと考えてきた。
もちろん、ただやみくもに許すのではなく、
相手の心情や態度、二人の関係を前向きに再構築できるかどうか、が許す基準になることは言うまでもない。
仮に前向きに再構築できると言う前提でも、
そこにはおもしろくない自分や傷ついた自分、悲しみを味わう自分を押さえて相手を受け入れると言う痛みがともなう。
自らの痛みを犠牲にして、相手を許すのだから、愛情だと私は思う。
そして思った。
それを含めて、愛情とは何か。
そういうのも含めて、相手に絶対的信頼を与えることではないかと。
絶対的信頼っていうと、うそっぽいかもしれないけど。
何があっても見捨てられることも見捨てることもないと思えるくらいに相手の気持ちを感じられること。
相手を信じられること。
「ありのままの自分を受け入れてくれないなんて!」
と女は嘆き、そのスタンスをまっこうから否定するくせに、
それが原因で自信がもてなかったりする。
いつか捨てられたり、浮気されたりするんじゃないかと、漠然と不安になったりする。
男は・・・・彼ちゃんはどう思ってるんだろう。
隙あらば若い男をつまみ食いしたり、彼ちゃんに隠して財産を作るんじゃないか(お金は全て任されてます)と
心配したりするのだろうか。
そして、私がそうであるように、そんなあらぬ不安を持ってしまう自分を責めたり、後悔したり、申し訳なく思ったりするのだろうか。
それとも、そんなことを微塵も思わないくらい、私を信じてくれているのだろうか・・・・・・。
そんな風に思ってもらえる位の愛を伝えられてるだろうか。
かさぶたはいつまでもいつまでも、女の心に傷となってのこなって残り続け・・・・
代謝がわるくて、もうできない年齢になると・・・・
きれいに消える。
お互いにしわしわになって、やっとそのかさぶたは作られることはなくなって・・・・・・・・
穏やかな生活が・・・・・
やってくるのだろうか。
昨日、私はかさぶたがはがれたんだ。
「おれ、いい旦那でしょ(´∀`*)」
の言葉を思い起こして、ブログにかいて、
私が旦那ちゃんを愛する気持ちが、ちゃんと旦那ちゃんに伝わって・・・・・
「通じたんだ・・・・・・・・・・・・・」
って気づけた。
心のつかえがとれたんだ。
それは、彼ちゃんが悪いとか・・・・・そういう事ではなくて、私(女)の治ることのない、かさぶたが、はがれたんだ。
だから、彼ちゃんの胸に抱(いだ)かれて、
100%の安心を感じたから、
涙がたくさん出たんだ。
通じるっていいな。
通じるって幸せだな。
って言う、幸せを感じた涙。
また、気を抜けばすぐに出来てしまうかさぶただって、わかってる。
なんだか、こう、女の性みたいなかさぶた。
だけど、
昨日の涙は、母親に抱かれるみたいに、100%不安がなかったから、ほっとして出た涙だった。
今日、考えて出た答え。
あったかかった。
ちょっとマスターベーションに近い・・・文章だから、意味わかんないかもしれないです、ごめんなさい。
お読みいただきありがとうございます(・∀・)
男性はどうだろう。
知りたい、という欲求はあるだろうな。(でも聞かなくても、求めなくても、女の人は良くしゃべる。)
女の気持ちがわからない男は、女を落とせない。だから、好きな女がものになるまでは必死で女の気持ちを知ろうともするだろうし。
私の独断と偏見かもしれないけど、女の気持ちを知るのはともかく・・・・自分の考えやその時の感情を好んで伝えようとする人は、
あまりいない気がする。
(但し、仕事だったら別。一生懸命マネジメントする。)
それは、女性という生きものが、もちろん、感情を表現することを必要と感じている、だから、頼まれてなくても伝える。
と同時に、
感情を伝えることと、愚痴や嫌味、小言を言うことを混同していると言うこともあるかもしれない。
そうするど男性は面倒になってしまうんじゃないかと思う。
普段から、そうだと・・・・・・・・・・・たまに愚痴や小言ではない、
本当に大事なことを伝えたいと思った時まで、聞いてもらえなくなったりする。
耳では聞いてもらえても、・・・・・・・・・・・・・・・・・・心で聴いて貰えているのか、私達にはわからない。
・・・事が多い。
きっと世の中には私のような奥さんじゃなく、立派な奥様もたくさんいて、そんな奥様達には縁のない悩みかもしれないけど。
自らが招いた状況だったとしても、
そういう対応を男性から受けることで、『自分が蔑ろにされている』と思う人も少なくないと私は思う。
(愛情の伝え方を間違うと淋しい思いをするのは間違いなく自分だ。)
少なからずそんな思いを心の端っこに、女性はみんな持っていて・・・・
カサカサとかさぶたになりながらも、その存在はゆるがないものだったりする。
かさぶたになるのは、治癒しかけているからで、
そこに相手を信じたい気持ちがあるからこそ、かさぶたになるのだ。
信じられない状況だったら、傷はいつまでもぐじゅぐじゅと痛み、・・・・・・・化膿してしまったりもする。
それどころか・・・時折そこに、塩を擦り込まれたりもするのだ。
それでも、女は恋をして・・・・・男の気持ちを知りたがるんだ。
私の中で相手に対する愛情って言うものは、
どういう表現になるのだろうか、改めて考えてみた。
私は昔から、愛することは、許すことだと考えてきた。
もちろん、ただやみくもに許すのではなく、
相手の心情や態度、二人の関係を前向きに再構築できるかどうか、が許す基準になることは言うまでもない。
仮に前向きに再構築できると言う前提でも、
そこにはおもしろくない自分や傷ついた自分、悲しみを味わう自分を押さえて相手を受け入れると言う痛みがともなう。
自らの痛みを犠牲にして、相手を許すのだから、愛情だと私は思う。
そして思った。
それを含めて、愛情とは何か。
そういうのも含めて、相手に絶対的信頼を与えることではないかと。
絶対的信頼っていうと、うそっぽいかもしれないけど。
何があっても見捨てられることも見捨てることもないと思えるくらいに相手の気持ちを感じられること。
相手を信じられること。
「ありのままの自分を受け入れてくれないなんて!」
と女は嘆き、そのスタンスをまっこうから否定するくせに、
それが原因で自信がもてなかったりする。
いつか捨てられたり、浮気されたりするんじゃないかと、漠然と不安になったりする。
男は・・・・彼ちゃんはどう思ってるんだろう。
隙あらば若い男をつまみ食いしたり、彼ちゃんに隠して財産を作るんじゃないか(お金は全て任されてます)と
心配したりするのだろうか。
そして、私がそうであるように、そんなあらぬ不安を持ってしまう自分を責めたり、後悔したり、申し訳なく思ったりするのだろうか。
それとも、そんなことを微塵も思わないくらい、私を信じてくれているのだろうか・・・・・・。
そんな風に思ってもらえる位の愛を伝えられてるだろうか。
かさぶたはいつまでもいつまでも、女の心に傷となってのこなって残り続け・・・・
代謝がわるくて、もうできない年齢になると・・・・
きれいに消える。
お互いにしわしわになって、やっとそのかさぶたは作られることはなくなって・・・・・・・・
穏やかな生活が・・・・・
やってくるのだろうか。
昨日、私はかさぶたがはがれたんだ。
「おれ、いい旦那でしょ(´∀`*)」
の言葉を思い起こして、ブログにかいて、
私が旦那ちゃんを愛する気持ちが、ちゃんと旦那ちゃんに伝わって・・・・・
「通じたんだ・・・・・・・・・・・・・」
って気づけた。
心のつかえがとれたんだ。
それは、彼ちゃんが悪いとか・・・・・そういう事ではなくて、私(女)の治ることのない、かさぶたが、はがれたんだ。
だから、彼ちゃんの胸に抱(いだ)かれて、
100%の安心を感じたから、
涙がたくさん出たんだ。
通じるっていいな。
通じるって幸せだな。
って言う、幸せを感じた涙。
また、気を抜けばすぐに出来てしまうかさぶただって、わかってる。
なんだか、こう、女の性みたいなかさぶた。
だけど、
昨日の涙は、母親に抱かれるみたいに、100%不安がなかったから、ほっとして出た涙だった。
今日、考えて出た答え。
あったかかった。
ちょっとマスターベーションに近い・・・文章だから、意味わかんないかもしれないです、ごめんなさい。
お読みいただきありがとうございます(・∀・)