年始早々2024年1月1日5:00に

読売新聞の臓器移植見送り、東大・京大・東北大で昨年60件超…提供集中で「対応できる限界超え」という記事が飛び込んできて、

医師や医療者の移植手術に対する体制が不足気味なので、

脳死者から臓器提供されたとしても見送らざるを得ない状況があった

ということに、非常に残念な気持ちを抱きました。

 
この報道を受けて、1月10日に東大付属病院の看護部が
臓器移植に関する報道について」というお知らせを出しています。
 
看護の部門の人達が不十分な働きだったから
お断りせざるを得ない状況になっていたとは、
私はちっとも思っていません。
 

読売新聞の報道を読んだ時、

私には「病院の体制や看護体制が不十分であったために、

救えるはずの命が救えなかった」とは思えませんでした。

がっかりはしましたが、病院側が悪いとは思えませんでした。

それよりも、医療者の皆さんに高負荷がかかっているのではないか?

医療者の皆さんがちゃんと振休とかもらって、

心身を休める時間が取れているのか勝手に心配してしまいました。

助けることができるはずなのに、

それをできなかったことがどれだけ医療者たちが辛かったことか!

 

読売新聞で言及されていた病院は、

心臓移植だけの病院ではありません。

東大、京大、東北大は

肺、肝臓(生体移植も)、腎臓(生体移植も)、

病院によっては小腸、脾臓、膵臓の移植も手掛けています。

複数の臓器の提供が同じタイミングで舞い込んだ時、

どう人員を確保して臓器移植をすすめていくのか?

とても難しい判断をしながら、すすめていってくれているのだろうと思っています。

 

昨年12月にWeb視聴させてもらった

中日新聞社主催の12月3日シンポジウム「名古屋で学ぶ 心不全と最新医療」開催報告のパネルディスカッションの「患者が負担する費用について」の部分を読むと、

通常の外科手術に比べて移植手術をするためには

臓器摘出側の医療チームと臓器移植側の医療チームと

医療者が2倍必要であることがわかります。

 

臓器提供の意思がドナーさんやドナーさん家族にあったとしても、

人手が足りなかったら移植手術を断念せざるを得なくなってしまうことも

あり得る状況なのだろうと、あのシンポジウムを視聴した時に感じました。

 

移植に必要な費用の話題の際に、

①移植する側の病院の医療者チームが提供者の病院へ出向いて摘出手術、

②移植手術予定者と共に病院で待機して、臓器を受け取って手術する医療者チーム、

その2チームがあってこそ、成り立つのが移植手術、

①を担当した医療者チームの出張費と

臓器持ち帰りのための運搬費

(心臓の虚血時間は全臓器の中で一番短く4時間ほど。

迅速な運搬が必須)が

臓器移植にかかる費用(純粋な医療費以外の)であると

名大のシンポジウムでは話していたと記憶しています。

 

突発事項、突発手術ができるようにするために

病院側が余剰な人員を持っておくことは大事だとは思っていますし、

病院でもそういう突発事項対応人員を用意していることだろうと思っていますが、

病院だってそれなりの利益、黒字を出さないことには

経営していけないことだとも思います。

病院経営が成り立たなければその診療科は撤退するだろうし、

病院がそこそこ黒字で、

そこからきちんと医療スタッフたちに給与支払えていなければ、

優秀な医療者が流出して行ってしまうと思います。

 

私の連れ合いの場合は、

普段の外来でお会いする医療スタッフがほぼ同じメンバーなので、

「え?この人達、ちゃんと有給休暇とか取れてる?

ちゃんと連れ合いの外来じゃない日に休んでいるんですよね?ね?

働き過ぎで、疲労蓄積して、

私の連れ合いの診察や治療に差し障るのは嫌だからね?!」と思うことが

しばしばです。

そのように[固定メンバーで回している]のが、

私の連れ合いの関わっている病院の、

循環器内科×心臓外科の状況だと感じています。

その[固定メンバー]の中の誰か一人医療人が欠けたら回らなくなる世界に、

私の連れ合いは依存しているんだと思っています。

 

医療者も人間、病院から出たら

彼ら彼女らにも家族がいたり、大切な人がいて、

その人たちと過ごす時間だって必要だと思います。

我も人なり、彼も人なり。

医療の人だって、患者側である私と同じ一人の人。

休息も必要だし、食事も必要だし、

仕事以外の時間が必要だし、

仕事で疲れた心身を癒してくれる時間が必要なのだと思っています。

医療の人はおそらく非医療者である私よりも心身が強いように訓練されていて、

非医療者の私よりもかなり賢くて能力があるスーパーマンかもしれないけれど、

でもやはり神様ではないんです。

何を言っても何をしてもびくともしない強靭な肉体を伴うAIや

アンドロイドや機械ではないのです、

人なんです。

 

[固定メンバー]が疲弊するような働き方はしてほしくない!

(そうなってしまったら私の連れ合いの今後に不利益が生じるじゃないか!という

きわめて自己中心的な欲求からそう思うのですが)

でも、一体何をどうしたら[固定メンバー]が疲弊しないような

移植医療にできるのだろう?それが皆目わかりません。

医療人の労働環境改善にどうやったら協力できるのか?

でも医療人が休みをもらうことによって、患者側に立っている自分に不利益が…

たとえば主治医が不在時に連れ合いが重篤な状況に陥ったらどうするの?

…という

自己中心的なことも考えてしまいます。

 

もうずっと、その辺りのことを悶々と考えてしまい、

私個人は、移植医療が普及しますように、進みますようにとは、

患者家族でありながらも声に出すことができません。

 

 

 

 

願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道