数日前から新型コロナウイルスの報道から
ソーシャル・ディスタンシングしています。
 
私は一般人で医療資格のない人間なので、
報道を見たとしても、医療に貢献できる働きができるわけでもないし、
自分の力が及ばないことをクヨクヨ考えて暗い気持ちになっても
時間がもったいないし、
他人の不適切な行動にいちいち憤りを感じているのも疲れるし。
 
感染予防のための、マスク、手洗い、三密回避を徹底することと、
救急医療のお世話にならないように
・餅などの詰まりやすいものを食べる時はよく噛んで食べる
・怪我しないように注意深く行動する(歩く、荷物を持ち上げる)
・酒は適度に(って、最近は私は全く飲んでいませんが)
などを、今までと同じように、少しだけ丁寧に気を付けるだけです。
 
情報取り込みをシャットアウトしていても、
センセーショナルなCovid-19の報道は入ってきてしまうので
気が滅入りますが…
 
そういう時に「今は耐えよう、頑張ろう」っていうのは、
違うと思うのです。
いつまで耐えればよいのかわからない状況では、
最初の1か月くらいはおとなしくしていられるけれど、
それ以降は耐えられなくなるんですよ。
 
例えがCovid-19ではなくて、
[親が死にかけた状況を経験した十代の人]なのだけれど、
うちの思春鬼(子)が最初に親の急性期(大変な時)では
文武両道のものすごく優等生として過ごしていた(我慢が暴走:過剰適応)んですよね。
でも親の命が助かって、ほっとしてプッツンで、
今や不登校ですよ…
 
私はね、この「我慢していた」ってのがまずいと思うのです。
我慢って自分の中の「余裕度」を削ってくるおこないじゃないですか。
だんだん苦しくなってくる。
あるいは、我慢の先には耐えに耐えて溜った分の発散が必要になってしまう。
 
我慢ではなくて、
この大変な時期を自分の工夫でどう楽しく過ごすか?の
アイディア・コンペなんですよ。
臨時休業期間中、星野源の「うちで踊ろう」をはじめとして
適度な発散、ガス抜きができる試みがあの時にはたくさん出ましたよね?
あのような楽しみながら「嵐が去るのを待とう」っていう態度を示す人が
多かったことって、素晴らしいことなんですよ。
あの時のことを思い出して、
あの時のアイディアをもう一度楽しんでみるもよし。
 
あるいは、「我慢して、特別なことをする」のではなく
「通常の日常よりも、より丁寧に生活する」試行期間中と考えておくのです。
日常生活の1アクションとして習慣づけて、
意識しなくてもできるように溶け込ませる方向で行動するの。
歯磨きの習慣みたいに習慣づいてしまえば、
歯磨きしない方が気持ち悪いじゃないですか。
 
そういう、私も習慣づけに苦労することは多いけれど、
「良い習慣を身につけたら、人間はレベルが上がる」と思っています。
(習慣づけに苦労しているのは、コロナ太りしたので、痩せる習慣を身につけようと
若い女性の知人から紹介された腹筋アプリGohobeeをDLしたのに
45日目で飽きて止まってしまったこと…とか。
敗因はわかっています、課金せずに無料で楽しもうと思ったら、
無料会員で貰えるご褒美をほぼ貰いつくしてしまったから飽きたのですT‗T)
 
普段通りをより丁寧に、
小さくてもそれを重ねていく。
そうやって良い習慣を作っていく。
 
Baby steps to giant strides(意訳:小さな一歩一歩が大きな一歩に繋がる)
と言ってました。いい言葉だなあ…漫画の中には真実が落ちている。
 
緊急事態宣言だろうが、なんだろうが、
私ができることは
「我慢せずに」「特別なことをせずに」「普段通りをより丁寧に」なのです。
 
…ふふふ、私の連れ合いなんて、
シャワー浴前のVADのコネクターのカバーリング、
より丁寧に、より短時間でできるようになったよ。
あれこれ工夫しながらコツコツ積み重ねた結果の賜物!
このコネクターへの防水処置も、
今や特別なことではなく、普段通りのプロセスのひとつに落とし込まれた習慣です。
 
 
 
願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道