ー 福島・・・「憐み・正論」という名の暴力 ーの記事 | 太陽と月のしずく

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あまやどりの店主 アリアこと 阿部直海のつぶやきブログです。

共感するブログの記事と出会いましたので、紹介します。

鈴木啓介 フラワーオブライフ日記より

※ 今回の記事は非常に誤解を招きやすい内容になっています。
  まず自分の考えをハッキリさせておきますが、僕は原発は絶対反対だし、放射能
の危険性も充分理解しています。
  その上で、書いていることですので最後まで読んで頂ければ幸いです。

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昨日、お陰様で初の福島モノリスワークを無事に終えて帰ってきました。
    
今回、僕が福島から帰ってきて思うことは、『必要以上に福島をカッコ(「」)付き
で見て欲しくない』ということです。
現地の空は青く澄んでいましたし、小さなビストロやカフェがひしめく駅前の活気も
他の都市と変わりはありませんでした。
     
震災後、NETの世界では科学的データをもとに「フクシマ」を特別視し、現地の方
々の生活や心情を考慮せずに
軽々しく、「可哀そう」とか、「危険」とか、「避難したほうがいい」とか、各自の
思うがままに発信されているように思います。
   
しかしそれは現地の人を傷つける、「憐み・正論」という名の暴力になっている場合
が多々あるのではないかと僕は思うのです。
 
想像してみてください。
もしも自分の生まれ育った故郷が、世界中から 「あの地域」 と、カッコ付きで「
憐み」という、裏に差別が潜む見方をされたり、危険視されたり、敬遠され続けたら
どんな気持ちになるでしょう?

  
僕だったら、そんな『カッコ付きの感情』は持って欲しくないし、『カッコ付きの憐
み』であればお断りします。
何故なら、震災があろうが無かろうが、「自分は自分のまま」で揺らぎはしていない
からです。
  
確かに、だからと言って放射能について科学的事実が変わるものではありません。
「『ただちに』影響は無い」というその 『ただちに』 は 『この先も』 を意味
するものではないし
震災後変えられた日本の基準値が海外の基準値とかけ離れているという事実も曲げよ
うがありません。
  
しかし、政府ではない一般の立場の私たちがこの福島に出来ることは、
興奮して必要以上に騒ぎたてたり敬遠することではなく、
科学的事実は別として、自分の故郷と同じように福島を尊重し、日本を愛することだ
と思うのです。

現地では パン屋さん、歯医者さん、美容室、蕎麦屋さん、学習塾・・・etc
故郷を愛する人たち、またその地に顧客がいて離れられない人たちが、それぞれの人
生を、そして私たちと同じ日常を精一杯生きておられます。

正論として、「避難するほうがいい」と言うのは簡単です。
現地会社で重要なポストにいる人、経済的にままならない人、動けない親の介護があ
る人・・・
いざ自分にこの災難が降りかかってきても、動けない人は沢山いるし、この不況で新
しい仕事はそう見つからないでしょう。
また、故郷を捨てた方々の心痛についても、その当事者でないとこれは分からない痛
さだと思います。
  
だから震災と原発で傷ついている人たちを、これ以上不用意な言葉で傷つけないでい
ただきたいのです。
(繰り返しますが科学的事実を発言たり事実の隠ぺいを突いたりしてはいけないと言
っているのではなくて、相手の心情を思い測る気持ちを持って欲しいと言っています
。)
   


「東京は福島から250Kmも離れているから大丈夫」と、世界に向けて演説した人
がいるそうですが、
この演説を聞いて、「自分は福島でなくて良かった」 と思う日本人は皆無であると
僕は思いたいです。
  

福島の痛みは、広島・長崎同様、私たち日本人全員の痛みです。
  
今回の税制改正といい、TPPと言い、秘密保全法案と言い、今の日本(米も)は、
人間や環境への愛を欠いた闇の勢力が、欲を貪るその姿を露骨に現し始めているよう
に思います。

逆に言うと、闇が露骨になればなるほど、愛を持った人の目覚めが促進される時代に
なってきたと言うことです。
 


闇になびくか?
闇に負けない愛を持つか?

愛は闇に負けない強さを持っていますが、
同時に人を思いやる優しさも持っているはずです。
 

全ての魂が正念場を迎えつつあるように思います。

福島で食べたご飯(お米)はとてもおいしかったし、今が旬の梨もすごく甘かったで
す。
それは逆境にめげない勇気が詰まった味でした。
日本人である私たちは福島を見捨てず、共に生きていく決意が必要だと思うのです。


※当ブログは転載自由です

鈴木啓介 フラワーオブライフ日記 http://ameblo.jp/blessthechildren/


上記の内容とは、少し視点を変えて
原子力・ウランなどの「悪いもの」について
ある人が言っていた言葉が心に残って消えない言葉があります。
「ウランさん あなたは、ただあなたであるだけなのに、我々人類が悪者にしてしま
ってごめんなさい」と、原子力や原爆の元になっているウランに、謝っている人がい
ました。

この思いが、最近何となく 少しかもしれませんが、わかるような気がしていました

そしたら、西嶋さんが、こんな詩を書かれていました。

もしも気持ちがあったなら…
もしもずっと
でられないところに閉じ込められて
ずっとずっと働くばかりで
ずっと命じられて
ずっと見張られて
ずっと避けられていたとしたら
とても辛いと思う…

わたしたちが
生命と認めているのは
まだまだせいぜい人間や、ほ乳類や、植物や、菌類や、魚類や、は虫類など…

でももしも…
もしも原子力や放射能にこころがあったなら
もしも生命だったなら
きっと辛いと思う…

波が波として
風が風として
太陽が太陽として
あるがままに生きているなかで
その力を借りて生まれてくるエネルギーがあったなら
わたしは
とっても嬉しくなれると思う…
思い返せば私は
原子力発電が大好きな人に まだ逢ったことがない…

閉じ込められている放射能の
ないかもしれないけれど、
あるかもしれない心を
もしかしたら
どこかで
感じ取っているのかな…なんて
考え過ぎだろうか…
原子力や放射能が
ほっとできる状態に戻すことは
できないのだろうか…
そうできたら、
私たちのこころも
ほっとしないだろうか…

ほっとできることって
きっと何にも代え難く
幸せだと思う…
2011年03月28日(月)23時36分

この詩に、とても共感しています。