佐藤優式受験勉強(7) | 『月刊日本』編集部ブログ

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文法の基礎的なところを叩きこんでも、英文が読めなければ得点につながりません。

最近の入試英文読解問題は、30年ほど前の、比較的短いけれどもパズル読解のような複雑難解な英文を詠む能力よりは、さほど難しくはないものの、語数は多く、英文の論旨をつかむことに重きを置いています。

旺文社『標準英文問題精講』とかで、バーナード・ショーの英文に触れて青春時代を送った方には想像できないと思いますが、現在の入試英文は社会的要請を反映して、「味わい深く奥ゆかしい英文を味わう能力ではなくて、濁流のように押し寄せてくる莫大な英文を次々に処理する能力」を求めているのでしょう。

それは時代の要請であり必然なので構わないのですが、T君については、状況がちと違います。とにかく合格せよが至上命題ですが、さらにその先、「味わい深く奥ゆかしい」神学の英文、ひいてはドイツ文を読解できる能力の基礎をここでつけなければなりません。

実際、現代の大学受験生は、バートランド・ラッセルに慣れ親しんだ1980年頃の受験生とは英語に関する認識が完全に断絶しているはずです。「ディスコースマーカー」に注目し、とにかく早くその英文のイイタイコトをおさえるというのが現代の入試英語で、それは時代の要請ですし、そういう手っ取り早い能力も必要です。

ですから、ここ以降の記述は、手っ取り早く世間で要求されている英語力をつけたい方には参考にはなりません。

 予備校講師は、入試というハードルを、ギリギリでもいいから、とにかく超えさせる、そのためには邪道も魔道も平気で教えます。ですが、その後(大学入学後)については、まったく責任を負いません。「てめえに邪道を教えられたために俺の人生は狂ってしまった」と文句を言われても、「大学に入るという目的のためだけに邪道をお前は求めて、それを教えただけだが、教える前に、後はどうなっても知らんぞといったはずだ」となってしまうのです。

しかし、今回は「その後」、まで考えなければなりません。

T君が神学書を英文やドイツ語で読めるためには、現代的入試対策では駄目で、1980年台式の、パスルのような英文解釈、もっと言えば、「日本人が英文を読むとはどういうことか」まで遡らなければなりません。

そこで取り上げたのが、伊藤和夫『ビジュアル英文解釈』(駿台文庫、二冊)です。
80年代頃に大学受験した方は、研究社の『英文解釈教室』をご存知でしょう。

駿台で教鞭を振るった伊藤和夫氏については、毀誉褒貶もあります。
東大西洋哲学科出身の伊藤氏は、「日本語という言語構造で思索する日本人が、根本的に異なる言語構造を持つ英語を読むということはどういうことか」と根源的に考え込みます。
とはいえ、受験生には「とにかく点数をとれるテクニックを教えろ」と言う人間もいますから、そういう人にとっては「日本人が英語を読むとはどういうことか」と考えこむ伊藤氏の議論は迂遠でいたずらに難解なだけでしょう。
しかし、「その後」まで、考えると、すなわち、大学入学後、他の言語を学ぶ基礎を考えると、伊藤氏の思索は十分に負う価値があります。

ただし、伊藤和夫も『英文解釈教室』が、現代の受験生には難しいほど、日本人の知的体力が堕ちてしまったことを晩年に理解したらしく、駿台文庫から『ビジュアル英文解釈』を著しました。

次回に、『ビジュアル英文解釈」の使い方について書きます。(SO)