今回、一番見たかった車・・・

1976 ♯51 コジマ KE007 長谷見 昌弘

コジマ・KE007 (Kojima KE007) は、コジマエンジニアリングが設計・製造したフォーミュラ1カー1976年富士スピードウェイで開催されたF1世界選手権イン・ジャパンに参戦した。

その後、マシンはヒーローズレーシングを経て転売を繰り返し、長く行方不明となっていた。
1997年9月、広島県レストアショップ「banfan」を経営していた栃林昭二が、愛媛県松山市のタイヤ店の駐車場に放置されているKE007を発見。車体の劣化は激しく、KE009用のセンターカウルを被され、エンジンはFRP製のダミーに換えられていた。

ウィキペディアより引用

以前このブログ書いた、タイヤショップの庭先で偶然見つけたシートに包まれて放置されていたマシンそのものです。

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この、左フロントのサスペンションが折れなければ・・・
幻のポールポジション・・・

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ウィキペディアより引用

金曜午前の第1セッションで長谷見は徐々にペースを上げ、全体の4番手タイムとなる1分13秒88を記録。セッティングが確認できたので、走行を途中で切り上げる余裕もみせた。無名地元チームの快走はにわかに注目され、セッション終了後には急遽記者会見が行われた。

午後の第2セッションでは予選用スーパーソフトタイヤを装着。マリオ・アンドレッティロータス)、ジェームス・ハントマクラーレン)、ニキ・ラウダフェラーリ)の3名をマークし、彼らのスリップストリームを利用してポールポジションを目指す作戦を採った。長谷見はタイミングを見計らってコースインし、ホームストレートでアンドレッティ、ヘアピン立ち上がりでハントのスリップストリームに入るという理想的なアタックラップをものにする。長谷見はのちに「もう、後にも先にもない完璧なスリップだった」と語っている。
チームの手動計測では、コース中間部のヘアピン通過時点のタイムは午前よりも1秒以上速く[、1分12秒台突入は確実視された。しかし、ホームストレートへ向かう最終コーナーを高速旋回中、突然左フロントがガクッと落ちるような衝撃を受け、操縦不能となってアウト側のタイヤバリアに激突した。長谷見は当時の記憶からクラッシュ時の速度を250km/hと見積もっている。奇跡的にドライバーは無傷で済んだが、マシンは左フロント周囲を大破した。
コジマはスペアカーを持っていなかったため、第2セッションの残りと翌日の第3セッションは不出走となった。それでも第1セッションで残したタイムにより、日本勢最高の10番グリッドを獲得した。ポールポジションタイムはアンドレッティが第3セッションで記録した1分12秒77だった。


つづく


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