預かった人の金で商売する、そこには限度というもんがあるはずやろ。日本大丈夫か? | ナニワの激オコおばちゃん(ミラーサイト)

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わたし、大阪のおばちゃん。私は今、怒ってるねん。世の中、おかしなことだらけや。

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こちらは上記のミラーサイトです。

 

自転車小


 

 半島には関わったらあかん、と私は毎日のように書いてますが(笑)、『脱亜論』を書いた福沢諭吉さんにしたって、もともとは一生懸命、朝鮮人を助けようとしてはったわけですね。朝鮮独立のために頑張ってた金玉均を物心両面で支援してたのに、彼が清朝におびき寄せられてむごたらしく処刑されたことに絶望して、清も朝鮮も、もうあかん、と思いはったそうですね。

 

 その福沢諭吉が著した本の中で、まさしく今の日本にはびこるグローバリズム全盛の風潮がおかしい、と言える内容が書かれていることを、今日の「新」経世済民新聞で、小浜逸郎さんが紹介してくれてはります。題して「安倍政権崩壊近し」。うーむ、ちょっと刺激的なタイトルですね(笑)。

 

 <福沢諭吉は140年前に、次の四点を強調しています(『民間経済録二編』ほか)。>

 として、紹介してはるうちの2点目は

 <②銀行に最第一の禁物は、投機の商売、これなり。(金融機関は、市場の資金の預かり・貸出業務に徹するべきで、投機に手を出してはならない)>

 そして4点目は

 <④国事の大なるものはこれを人民個々の私に委ねるよりも、政府の公に握る方、経済の為に便利なるもの少なからず。(公共的な事業は、私企業に任せるよりも、政府が握った方が、国民生活に役立つものが多い)>

 

 明治時代に既に、今で言う新自由主義的なグローバリストの政策はあかん、と見抜いてはったんですね。小浜さんは書いています。

 <もともと国家の適切な関与なしに、国民経済がうまく行くはずがありません。しかし日本政府も野党も、長期的、総合的な視野を喪失し、国をコントロールすることができず、国民はバラバラにその場の利益追求に走るだけとなりました。>

 <結果的に、貧富の格差が急激に開いてしまったのです。>と。

 

  そして、

 <厄介なのは、彼の時代と違って、現在の先進国では産業資本を主体とする実体経済への関心が衰え、金融資産や株主配当だけで巨富をかせぐ金融資本主義が異様に肥大していることです。そうして、それが自由に世界を飛び回っているのです。>

 

 私らが普通に考えても、自分は何も生産せず、人から預かったお金で何十倍も何百倍も稼ぐ、なんて「おかしい!」と素朴に思いますね。それがまるで賢いエリートは儲けて当然、みたいな風潮がずっと続いてるように思えます。一方で、かろうじて日本には、汗を流して働くことを良しとする気風がまだ残ってるようにも思います。

 

 休日には外食することが多いのですが、給仕する女の子に対しても、例えばお茶を注ぎに来た時に「ありがとう」と軽く頭を下げるのは、世界中で日本人だけとちゃいますか?子供の頃に習うた西洋料理のマナーやと、ナイフ、スプーンを落としたら、絶対にそれを自分で拾たらあかんのですね。その違和感。

 

 まあ日本以外の全世界では、もともと奴隷がおって、お金を持ってる奴が絶対エラい、ということやったから、そんな人間社会は結局、最後は争い合うしかないんでしょうね。

 えらい話が飛びましたが、福沢諭吉さんは日本人社会の本質、特質をちゃんとわかってはったわけですね。まだまだ勉強せなあかんな。

 


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