うまく言えませんが、障がいのある子を養育していると、たまに聞きます。

「障がい者というものに触れたいので、うちの子に勉強させてください」

とか言ってくる方。



ここまで露骨じゃなくても、「障がい者」という生き物が珍しいのか、親が子に「ほら、見てみなさい(学びなさい)」などとけしかけることも、ちらほらあるようです。


うちも外出先で一回されたかな。

申し訳ないですと頭を下げて逃げましたが…。

少し思い出したので、思ったことのメモです。



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講演などして啓蒙に励んでいる障がい者の方などは、もしかしたら「自分にはどんどん話しかけてください」とウェルカムかもしれません。


でも、私と子はなんてことない一般人です。


「おたくの障害児を、うちの健常児の社会勉強のために触れ合わせてください」という申し出は【警戒すべきもの】という認識です。




だって、意味わからんもん。

ウェルカムな人もいるかもだけど、「私」はあんまり許容できないし、理解もできない。




私も子どもも「人」です。

どこの子かもわからない子供のためのおもちゃでも、本でもないんですよね。


わー、障害児だ!生きてる!どんな風に歩くのかな?どんな風にしゃべるのかな?😆じゃないんですよ。




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内心でなら、「障がい児ってこんな感じなのね」とか勉強になるな~とか好きに思っててくださって結構なんですが、

わざわざ「私たちの利になってください」「私たちはあなた方を利用します」という旨を宣言されると、なんともいえない居心地の悪さです。


そのお勉強ありきでないと、うちが道具にならないと、やりとりできないのですか?という気持ちというか。なんというか。



キッズスペースなどで普通にやりとりしたあと、帰り際に「障がい児と触れあったことがなかったので、世界が広がりました」「勉強になりました」など、あいさつや雑談のなかで言われるなら、全然、全く気にしないです。


「そうでしたか、こちらこそ粗相していないか不安でしたが、そう言っていただけると安心します。遊んでくださってありがとうございました」などと普通~に返せます。

むしろありがたいですもの。



でも、「勉強のために遊んでやってください」と近づいてくるのは、人として違うでしょう。

このニュアンス、うまく伝えられなくてかなり歯がゆいのですが…文才がなくて悔しいばかりです😞



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どの「人」にも、不動の価値があります。命は等しく尊いものなので。


だから、例えば

「お前はうちの子にとって有益だ」

「お前はうちの子にとって悪影響だ」

などと、長男の周囲にいる子どもをふるいにかけたくはないですね😞

一言で言うと、そういうことをするのは「卑しい」と感じます。




もちろん、人にも相性があるし、幼児ならトラブルもあるでしょうから、仲良くなれる子、そうでない子といるのは当たり前です。



それとは別に、よその子をさも「うちの子の教材」のように扱うのは、とても尊大で、デリカシーがない行為だなと感じます。


親の、こういった人を品定めする行為は子どもがよく見てますしね。


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命に上も下もない、と思ってます。

だから、上から目線で「お前は俺の教材だ」「教材としてでなら話してやっても良い」と言われると、怒りや虚しさが込み上げます。



我々は対等ですよ。

生きるために支援は必要かもしれないけど、じつは同じ人間なんです。お忘れですか?と。




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されて傷つくことは誰にもしてはいけない。


我が子たちにもぜひ守ってもらいたいものです🌱