長男の好きな人について、前に記事を書きました。

そこでも触れましたが、長男は自分に真っ正面から向き合ってくれる人が大好きです。

その人が厳しい、甘いに関係なく、「僕という存在に立ち止まってくれる」人、「僕を諦めないでくれる」人が、大好きなのです。


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よく、

自閉症は人の気持ちや空気がわからない

自閉スペクトラムは自分の世界から出てこない

ASDはコミュニケーションがとれない

などと見聞きしますが、

個人によってこれらの特性の出方はまちまちではないでしょうか💫


例えば、自閉っこを育てている親御さんには心当たりがあると思いますが、彼らはよく親のイライラや不安を察知しますよね🥴

感染しやすいとでもいいましょうか…


人との関わりにおいて安心感が欲しい、不安は取り除いてほしい、というのは特性のあるなしに関わらず、人として誰もが持つ気持ちなのではないかなぁ、と思うのです。

そして、特性があっても、この人は自分にとって真摯かどうか、と他人をシビアに観察していると思います。健常者と同じように。


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ちょっと話を大きくしてしまいましたが、我が家の話題に戻りますと、

長男はだいぶ遅まきながら語彙爆発中で、ピーチクパーチク喋りたいお年頃。


面白かったこと、今テレビに写っていたことなどを中心に、たくさん話しかけてきてくれます。

癇癪のときは気持ちがうまく伝えられないものの、持っている言葉で、あるいはかけてほしい言葉で、あるいは頭突きや蹴りといった行動で気持ちを表します。

※自傷や他害については、言葉に置き換える訓練中です…。


どのパターンでも、やはり「うん、今はこうあうことがあったんだね」「こういう気持ちなんだね」と話したことをそのまま受け取ってやるのが長男にとっては大事なんだなと。


癇癪も、「う"ー」みたいな本人が半泣きで不快そうにしている、不安定になりかけている段階で「嫌なんだよね、わかるよ」「他のがいいよね~そうだよね」などと理解してやると、そこから悪化せずすんなり落ち着くことが多いのです。


「なに言ってるかわからん!うるさい!」とこっちがイライラしたり、丸め込もうとすると、大癇癪や自傷に激化してしまう。

「気持ちをわかってよ」というSOSに受け皿がないと本人も暴れるしかないのかな、と。


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話をすることは好きになったが、まだまだ伝える力、発音が拙い長男です。

小集団の療育園では、話を聞いてくれる、待ってくれる、受け止めてくれる先生を見極めているそうです。


「わからないからじゃあね」と去っていく

「よくわかんないけど、とりあえずプログラムやろうね」と話を聞かずに丸め込もうとする

そんな大人よりは(療育園にはそんな先生はいません。あくまで例えです💦)、

傾聴のポーズをとってくれる、伝わってるよと示してくれる大人に話をしたいんでしょう。

当たり前ですよね。


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問題は幼稚園。こちらは大集団になりますから、先生をずっと拘束はできません。

無理ない範囲で話を聞いてやってくださいと思いつつ、日頃からの様子を私から先生に伝えるといった工夫は必要になりますし、あと長男本人がどれだけ大集団という場に慣れるかも肝でしょう。

親子でがんばる所が多いですが、なんとか乗り越えたいです🥴



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長男と接することで私も育ったのか、頭ごなしに叱るとか、こちらの都合を押し付けることはほぼなくなりました。

「まず相手の言い分を最後まで聞く」が身に付いたのかなと。


人という生き物は皆、産まれながらに孤独ですし、死ぬときも一人です。

だからこそ、言葉(や身振り手振り)を尽くして人と繋がろうとするのではないでしょうか。

特性があろうがなかろうが、「気の合う人、気の合う場」「楽しいところ」を見極める力はおそらくあって、我々健常者も特性のある方々から比較され、取捨選択される立場になりうるということ。

ここはイーブンなんだと忘れずにいたいです。