hiroのブログ

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図書館で勤務。子育て、生き方など、こころ動いた本などを紹介します。

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『ママたちが非常事態!?』

NHKスペシャル取材班

 

「ママたちへ。子育てがつらいのは、決してあなたのせいではありません」

 

という言葉から始まるこの番組の取材裏や情報がのった一冊の本です。

 

ディレクターの小林欧子さんは子育て中の母でもあります。

彼女がこの番組を作りたいと書いた企画書の冒頭にあった衝撃的な文言があったそうだ。

 

「世の男たちよ!闘う運命に生まれたのは、あなたたちだけではない。

家に帰れば、床に散らばる夕飯の残骸、寝室から聞こえるこの絶叫と妻の鬼のような恫喝

「なんなんだよ。家にいる時くらいゆっくり休ませてくれよ・・・」そうはいかない。

これからじっくり説明しよう。

あなたの子が「生物史上、最も育てづらい生命体」であり、

あなたの妻がどんな過酷な戦いに身を置いてきたのかを。」

 

この本は「子育てを科学で読み解いた」ものです。

非常に興味深く、非常にわかりやすく、納得し、そして今こそできることが解明されているのです。

 

まずは「母になるということ」の科学的な解明

それは「母になるとスーパーウーマン」になることだという。

MRIの検査によると、女性は出産して母になることで脳の30か所以上が肥大する。

 

10人の赤ちゃんの泣き声の中からわが子の泣き声を見つける実験。

脳の中ではわが子の泣き声の時だけ全く違う部分が赤くなっている。

「愛しさや愛着をつかさどる部分」が赤くなるのだ。

 

授乳の時などに大量に分泌されるという「オキシトシン」というホルモン

「オキシトシン」は子育てホルモン

オキシトシンホルモンにもし意思があるならば、

それは私たちに、わが子を無事に育て上げさせようとすることです。

 

陣痛を起こしてわが子をこの世に送り出し、お乳を出させる。

父母が子どもをちゃんと育て上げるように、わが子への深い愛情を持たせる。

さらに父母のきずなを深めることで、協力して育児を行っていくようにさせている。

 

 

このオキシトシンは男女とも子育ての経験を通して多く分泌するようになる。

オキシトシンは、子どもやさらにパートナーに対して愛情を感じさせる働きがある一方で、

子供に危害を与えたり、子育てを邪魔しようとするものに対しては、攻撃性を増す。

 

母親がパートナーである男性を「子育ての邪魔をしている」と感じた場合、イライラ感が増すのはこのせいでもある。

 

スーパーウーマンになった女性の脳とパートナーの脳は全く違うので、

同じように子供の泣き声を聞いても反応が全く違う。

自分と同じように反応することを求めても無理がある。

 

では、パートナーにできることは?

男性の脳も子育てをすることで子どもに対する愛着などの父性のスイッチが入る。

またとりとめのない会話こそ、母親をリラックスさせるための父親の重要な役割。

 

オキシトシンが分泌されるとわが子への愛情が深まったり、目を合わせたり、触れあったりする愛着行動が増えます。

また、目を合わせたり、触れあったりという愛着行動を起こすことで、Soの刺激でオキシトシンの分泌が増えてくる。

私たち自身の行動によってオキシトシンを増やすことができる。

つまり、自分の脳の反応や行動を変えていける可能性があるということ。

 

 

「なぜ子育てに孤独や不安をかんじるのか」

人間と最もよく似ているチンパンジーと最も古い人間の子育てをしているといわれているアフリカのバカ族の違いを調査。

チンパンジーは母が子どもを一時も離さず一人で六年間育てる。つまり六年間は子どもを生まない。

人間は、非常に弱い動物だったため、たくさん子どもを生む必要があった。

バカ族では、大人なら誰の子でも世話をするという「共同養育」の形が自然になっている、

赤ちゃんが泣けばお乳が出る女性が誰でもいって乳を上げる。

歩けるようになれば母のもとを離れて誰のところでもいく。

 

動物の中で、「他のものに子どもを預ける」ということができるのは人間だけ

相手を深く信頼しないとできない。それには相手を知るコミュニケーションが必要。

 

「共同養育」をさせるため、一人での子育てに不安や恐怖を感じさせるように母としての体の仕組みがあるのではないか。

 

共同養育を求める母の体の本能と、現代の社会の孤独な子育て。そのギャップの苦しみこそが今の母親たちの子育ての苦しみではないか」

 

「なぜうまく育てられないの?」

★夜泣き

胎児は3040分ほどの間隔の浅い眠りと深い眠りを繰り返し、その間に起きている。

実際、夜に起きていることの方が多い。

それは、昼は母親が起きて活動していることで、体内の酸素を多く使う。

母親が眠っている夜の方が胎児が酸素をたくさん使えるため。

これは胎児が効率よく、母親に負担をかけないための仕組み。

 

「人間の赤ちゃんは脳が未熟な状態で生まれてくる」

大人の三分の一。それを十年少しで三倍にしなければならない。

脳が未熟であるがゆえに、基本的な体の機能も未熟

夜泣きもその一つである。

 

★人見知り

実験の結果、人見知りしない赤ちゃんがずっとお母さんの顔しか見ていないのに対し、

人見知りの赤ちゃんはお母さんの顔を見る時間と同じくらいほかの人の顔を見ている。

つまり、ほかの人に興味がわいて、観察しているということ。

一般的に野生動物は目を合わせることは、相手に対する威嚇や攻撃を意味するので、それ以外は目を合わせない。

赤ちゃんもまた目を合わせられると脳に、恐怖や緊張がわきあがる。

そばにいても、目を合わせないことで徐々に慣れていく。

 

★いやいや期

実験の結果、いやいや期の子どもは、欲求を生み出す脳の深い部分は発達していても、前頭前野の抑制部分が未発達であるため、沸き起こる欲求を抑えられない。

 

2010年の研究論文。

「幼少期の抑制機能を調べれば、将来の財産や健康、犯罪率まで予測できる」というもの。

抑制機能は単に我慢をする機能ではない。何かを実現するために目先の欲求を我慢する機能、目標を成し遂げるために努力する機能である」

 

しかし、叱られて我慢させられているとき、脳の中では恐怖の中枢が激しく反応している。その恐怖で無理やり抑え込んでいるのに過ぎない。自主的に我慢しなければ、抑制機能は働かない

 

事前に話をし、理解させ、抑制するということを何度も訓練することでできるようになる。

 

 

つまり「人間の子どもが育てにくいのは仕方のないこと」

共同養育という仕組みはこうした育てにくい宿命を負った子どもをみんなで育てるための仕組みでもあったのではないでしょうか

 

 

『「鬼畜」の家』わが子を殺す親たち 石井光太
 
ノンフィクションを中心に執筆活動を行っている石井光太氏の著書。
 
ふう・・・・・
最後まで読み切れるのか不安。(+_+)
 
まずは厚木市幼児餓死白骨化事件
 
記憶にあるだろうか・・厚木のアパートで父親と二人で暮らしていた理玖くんが餓死し、白骨の状態で発見された事件。
 
一日中ドライバーとして働いていた父親が、理玖くんを目張りした和室に閉じ込め「食事セット」とするパン1個、おにぎり1個、ペットボトルを置いたまま数日帰らない状態が数年続き
彼女ができた父親が全く帰らなくなり、寒い日、ウジがわくようなおむつ一枚とTシャツ一枚で部屋で亡くなっていた。
 
恐ろしいのはそれを発見した後も、父親はアパートを借りつづけ、理玖くんが見つかったのはなんとその後7年。。。
 
息子の死を知っている父親は一度玄関の外におにぎりと水をそなえただけだったという。
 
何のために生まれてきたのか・・
ろくに生活に必要なしつけもされなかった彼は、しゃべることも、食事を自分でとることもできなかったという。
 
この本では、石井氏がそこにかかわる両親の三代前にまでさかのぼり、原因を探る。
 
この父親は三人兄弟の長男。自分の母親は統合失調症を発症し、特に火に執着し、部屋に何本ものロウソクをつけ、「悪魔がくる」と騒ぎ続けていたそうだ。幻覚が見えていたのだろう。
仕事ばかりでほとんど帰ってこない父親だったので、そんな母親を一日見ていなければいけない少年時代の彼の苦労を思う。
そして「嫌なことは忘れる」こと、そして「あるものをただ受け入れる」ということを学んだという。
 
法廷に立った彼も、実際自分に有利な事実でさえ「忘れた」と証言。本当に記憶をなくしているかのようだったという。
そして理玖君の子育てについても「自分はちゃんとご飯も上げて、体も拭いて、遊んで、面倒をみていた」といいはる。
 
ご飯は数日に一度の食事セット
水道、電気、ガスが止められている部屋ではもちろん入浴などできず、体を数日に一回拭くだけ。
ゴミにまみれて足の踏み場のない部屋
電気の代わりの懐中電灯。
一週間に一度目の前の公園に連れていくこと。
遊びは・・・彼の持ってくるエロ漫画の本を破いて紙ふぶきにして遊ぶこと。。。
 
母親は、20歳で出産。当初は頑張って育児をしていたものの、やはり自分優先で、そのうち、風俗で一日勤務、早朝はコンビニでバイト。理玖君は風俗嬢の子どもたちが何十人もただ寝かされているだけという無認可の保育室に預けられるか、家に一人でおかされていた。そして、ある日突然家をでてそのままになる。
 
この母親は、箱根の老舗旅館の娘だが、父親が女性と失踪。その後母親は異常なまでに教育熱心になり、お嬢様学校に入学するも、本来勉強の好きでなかった彼女は母親といつも衝突していた。
家は山の中。彼女にとっての逃げ場はなかった。
そんな彼女を母親は拒絶。
彼女も、激しい性格の上、うそをつく、攻撃するなど問題行動が多くなったという。
 
その老舗旅館を創業した彼女の祖父もあちこちに子どもを生ませるような人で、そのために一族を巻き込む大きな問題も起きていたという。
 
人の育ちの環境が大きく影響することは言わずもだが
失われ行くものは「信頼」や「愛情」だけではなく
人間として当たり前に生活することのすべて
 
例えば
普通はゴミだらけの部屋に住み続けたり
暗い中で生活したり
お風呂も入らない状態を気持ち悪いと思うはず
 
が、彼らは二人とも、普通に仕事をし、一見普通の人であったにもかかわらず
その「当たり前の生活」ができなかった。
「欠けてしまった」のはどこからなのか。。
 
今でも彼は法廷で
「自分はちゃんと育てていた」と信じており
「それより、自分が懲役16年で、なんであの女がのうのうと暮らしているのか!!」とその怒りが収まらないらしい
 
理玖君は・・・
極度の栄養失調で、骨も半分の厚さ、多分動き回ることはできなかったのだろうと思われる
多分、脳の動きも正常ではなくなり、何かを考えることすらできなかったのかもしれない
じっと
敷かれっぱなしの布団に座り、
糞尿もそのまま、誰も語りかけてくれず、寒いことも、お腹がすくことも、当たり前になり・・
たまに帰ってくる父親を笑顔で迎えていたという
 
本当に
子どもは親を選んで生まれてくるといえるのですか?
 
私は
子どもは神様からの。。社会からの。。預かりものだと思っています。
いつか、神様に、社会に帰すために
大切に育てなければと。
だから、
ダメな親だったら、かわりにその社会が何とかするのが当たり前だと。
 
この母親を知る風俗仲間の女性は「やばいと思った。理玖君がかわいそうだと思った」
そう。そう思っていた人はいるはず。
なぜ
助けられなかったのか・・
 
理玖君はそんな両親や社会への怒りも恨みも抱かずに
ただ神様のもとに帰っていったのかな。。
 
命と引き換えに
私たちに知らせたかったことがあるはず
 

 

ぼくはここにいるよ。。。

「イライラ、ぶつぶつと暴走する考え事、それが元凶です」

 

多くの人が考えることが得意です。しかし仏道の立場からはそれでは死んでいるも同然です。

 

考え事は現実でも事実でもない。妄想の世界。その中に常に心を引きこもらせているのなら生きていないも同然」

 

「無知な心がふらふらとさまよう迷いゆえに、欲望が発生し、暴走して満たされない時、心は怒りに染まるのです」

 

小さな子供は体がとても正直。

ほしいものが手に入らなかったとき、胸が張り裂けそうになり、嗚咽がこみ上げてきて、精神的な苦痛となり、幼児を泣き叫ばせる。

しかし多くは大人になるにつれその感じを抑圧し、体の苦しみに鈍感になり平気な振りができるようになっていく。

もしこれに敏感であれば「欲望を抱くことが自分に与えるダメージ」を感じ取れる。

鈍感になったことで欲望に流されるママになってします。

 

 

 

欲望のエネルギーが生み出す煩悩のうちで厄介なのが「見(しゅかん)」

自らの意見、自説にしがみつき執着してしまう煩悩。

 

「仏道では、人間は何かを感じた瞬間に『自分の感じていることは正しい、間違っていない』と思いこむ習性を持っていると考えます

 

自分がつまらないと感じたものはつまらない。自分がそう感じたんだからほかの人たちもつまらないと感じるべきだ。と思う。

感じたことを共有したい、わかってもらいたいという衝動の裏の要素

◎相手を染め上げようとする占領欲求

◎誰か孤独な私を理解して受け止めてくれないかという寂しさ。

 

「意見の牢獄」に閉じ込められている限り他人とわかりあうことは不可能。

 

正しいことが好き。正しくなければ我慢できない。というのはある種の病気のようなもの。

 

たいていの人は欲望で動いているのであって

「正しさ」で動いているわけではない。

相手に働きかけるとするならば、「批判」によってではなく、相手の欲望は何なのかを読み取ったうえで、その欲望に沿う選択肢を提示してあげるのが賢明。

 

多くの人がムッとしないで怒りたくはないと思っている。にもかかわらずやめられないのは

「怒りの感情は電気ショックのような強い刺激を心に与えるから」

怒りにおぼれているとその間、以前感じていたもろもろの嫌なことやストレスが麻痺する。

 

ムカッとするのは「自分が不当に扱われた」と感じる気持ち

根底にあるのは「自分のことを愛してくれない」という怒り。

 

人間というのは「自分の煩悩は大好きだけれど、他人の煩悩は大嫌い」というわがままで迷惑なプログラムに操られています。

考えてみれば他人の欲望とは自分から何かを奪うわけですから当然と言えば当然です。

 

 

人間は、入ってくる情報をそのままではなく余計なものを加えてしまう。

例えれば、脳内には出版社の編集部があって、

外で取材した情報をもとに、勝手に編集して出版し続けているようなもの。

 

取材してきたもの→自分のかつての記憶の型にはめて切り詰める→悲喜劇の刺激に単純化する→その刺激の反応として「欲望・怒り・迷い」のストーリーに仕立て上げ印刷出版している。

 

「仏道では、心とは対象への反応である」

できるだけ心を脳に引きこもらせず、身体感覚や五感の中にとどめておくこと。

それが情報処理の空周りをさせずにストレスから解放される秘訣。

 

「空」の境地を味わうために

自分の手の感触に心をぴったりと寄り添わせてみる

手は、今ここにある。

体は今ここにある。

こんな体温で、息を吸っている。

その呼吸は深いか浅いか

 

そうやって心を体に一致させていくことで、頭の雑念が静まっていく。

すぐに他の雑念に引き込まれるかもしれません。

でもそれに気づいた瞬間、また繰り返し体に意識を集中させる。

その繰り返し。

 

心をコントロールできるようになっていく

 

現代社会では誰もがむかついています。

誰もが、友人や家族や同僚を味方として感じるよりも

攻撃する相手、競争により蹴落とさなければならない相手として感じているようです。

怒りのエネルギーにより攻撃しながら生活することの最大の不幸は

どこにいても自らの居場所を実感できなくなるということです。

居場所を感じるとは怒りの毒素が消えてリラックスできているときのみ得られる幸福感なのです。

 

 

相手の発する言葉を「怒り」でとらえるのではなく

「単なる音」としてとらえる。

不当に扱われたことに腹がたったときは

自分の体に心を沿わせてみる。

今自分は「ムッとした」ということだけを切り取る

みんなが同じように反応するわけではない

過去の自分の記憶が、その情報を怒りに変えるストーリーに書き替えている

 

なによりも

醜い、自分だけを主張するそういう自分にならないために。

自分を傷つけ、苦しまないために。