こんにちは!

劇団東京ドラマハウス劇団員、高橋綾です。


今回は、6月の安兵衛寄席に向けて、知っておくと楽しい、落語のお話を5回に分けて書いていきたいと思います。


3回目の今日は、江戸庶民の住まい、長屋のお話です。


『粗忽長屋』のタイトルにもある、長屋。

セリフの中でも「あっしがひとっ走りうちへ戻って、同じ長屋だからね、本人に教えてやりやすよ」などと出てきます。


江戸時代の長屋は、細長いひとつの木造住宅を、内部を簡単な壁で仕切って、いくつかの住まいにしたものです。



現代の感覚で近いのは、平屋のアパートでしょうか。

一棟に入居していた世帯は、5~12戸ほど。

大工や植木、簪などの職人さんや、商人などの一般庶民が、お互いに助け合って生活していました。


当時、人口100万人、世界一の人口密集都市であった江戸の、その約半数が町人でした。

にもかかわらず、土地の8~9割ちょっとを侍や寺社が使っていて、町人が住む為の土地はわずか1割にも満たなかったそうです。

そこで発展したのが、集合住宅「長屋」だったというわけ。



一部屋のスタンダードは「九尺二間」間口九尺(約2、7m)に、奥行き二間(約3、6m)の、およそ六畳ひと間のお部屋。

そのうち玄関とキッチンにあたる土間が一畳半なので、一段上がった居住スペースは何と四畳半!

押し入れもありませんでした。

でも、当時は持っている着物も少なかったので、それで事足りたのだそうです。

今でいうと、ミニマムな暮らし、なんでしょうか。


そして、お気付きの方もいらっしゃるかと思うのですが、このお部屋…

風呂・トイレ無し!

それどころか、水道も無し!!

お風呂は、近くの銭湯へおでかけ。

トイレ、水道は長屋共用でした。




そして、当時の水道は井戸。

しかし、江戸は海の埋め立て地なので、地面を掘っても出るのは塩水です。

そこで、別の水源から、水道管(樋/とい)を地中に通して、各井戸まで運びました。


井戸は、真下に大きな穴を掘って、その水道水を貯めておく貯水槽のような役割をしています。

そこから水を汲み上げて、野菜を洗ったり、洗濯をしたりしていたんですね。

これらの井戸には、長屋中の人が集まるので、ご近所同士の会話も弾みます。

「井戸端会議」という言葉は、ここから生まれました。


ちなみに、トイレはもちろん水洗なんてありませんから、排せつ物が溜まっていきます。

しかし、それは大切な畑の肥料!

長屋の世話役である、大家さんが代表して、近郊の農家に売っていました。



さて、数ある長屋の中で、いろいろあって「粗忽者」ばかりが残ってしまった長屋がありました。

落語『粗忽長屋』は、そんな長屋に住む、熊五郎と八五郎の二人が主人公。


「粗忽者」とは、おっちょこちょいとか、そそっかしい、物の道理が分からない人、忘れん坊な人のこと。

そそっかしくて、おっちょこちょい、ちょっと思い込みの激しい、熊さんと、

忘れん坊で、おっとりで、同じような思い込みの激しい、ハさんが、

一体「何」を「何」と思い込んでしまうのでしょうか。


お後は、観てのお楽しみ( *´艸`)


また来週の更新を、お待ちくださいませ。

m(。-ω-。)m

ここまでのお相手は、高橋綾でした。