みなさん制作さんのブログ読みましたか? フォントサイズも行間の幅も丁寧に手入れされていてとても読みやすい。なるほどね、ブログってこういうことね、と思いました。かっこいい。わたしはああはやれませんからね。文章の暴力ですからね。読みにくいですから、ごめんね。

 

 

 

 脚本家の萌葱もかです。

 

 極論脚本なんてその気になれば誰でも書けるのだからセクションブログとしての体裁なぞ保たなくてもいいか、と思っていたのですが、稽古帰りの東西線でちょうど居合わせたネギな人と孤独な人にそれを言ったとき

 

「ん?笑」「 ……ん?笑」

 

みたいな反応がかえってきたので(うそですよ~)ちょっとだけそれっぽい顔をしてしたためようと思います。ここから先は私個人の思想の垂れ流しです。すみません。

 

 

ブログの表題は作品タイトルの没案 サムネイルはたそがれ演出家

 

 表現という行為の必要性について、よく考えます。

 

 思考するという行為はきっとおそらくヒトのDNAに染み付いて仕方ないプロセスだとして、表現するという行為──それのかたちを探す、襞をふちどる、想いをのせて、言葉で切り抜いて頭蓋の外側へ放り投げるという行為は、まだ自らで生殺与奪の権を手繰っていられるものであると私は言い切りたい。

 私にとって、自分自身が生きている意味、それを続けていく意味、価値のようなものが現代社会では見えにくいのです。全身鏡が見当たらないのだと思います。たまに見かけても、見えた、と自覚した刹那おまけ程度に余白を埋めるだけしか相乗り出来ていない外界の存在に気が付いて、いや、見えなっ!!と思って、じゃあわかんないじゃん、自分も、と目をそらしてしまう。

 だからきっと私は自分の手のうちから価値を作り出したくて、表して現わして、ちゃんと視界に映してあげて、そうやって瞬間的にでも安心しながら生きていけたらなぁとぼんやり思っています。

 

 だけど一方で、自分の創作物に自身の価値を託すというのは、精神衛生上かなり危険な行為であるのは間違いなくて。自分の創作は既にある、なにかの模倣、もしくはそれ未満に過ぎないのではないかと考えてしまったことはありませんか? 私はそれでしぬほど病んできました。私のやっていることに意味なんてあるのか、いやないか、意味なんてないか、それもそれで一興か、あ、いま私「意味の無さ」をコンテンツ化した、そうでもして意義が欲しいか、そうだよねそこは比較的ブルーオーシャンだもんねぇ、わんちゃんあるかもだもんねぇ。高校時代はほとんどそんなことしか考えていなかったかもしれません。嘲笑が怖くて口にはできていませんでした。愛おしいね。

 

 模倣云々への恐怖心というのが消えたことはないけれど、木霊に入れてもらってから、自分でも信じられないほど薄まってきていることを最近自覚しました。思い浮かぶ理由のひとつとしては、好きな人が加速度的にできていっていること。ここでいう好き、というのは、「この人のことすごく好きだ」という気持ちを認識することとそのタイミングの状況がおのずと向上心、ひいては自尊心につながるというか、あ、まってだめかもこの話。私の性格の終わりようが露呈する気がする。割愛!

 まあなんていうか、私はこういうのを好けるんだな、そして今幸運にも接せれてるんだな、て感じる瞬間ってしあわせだよねというようなことです。はい。


 どうせこんなブログ読まれてないだろうから言ってしまうのですが、私ははるなたかほさん縁単願で木霊に入団したような不純な動機の持ち主なので、そこから好きな人が増えていってしあわせだぁなんていいのけているのはいかにも私だなという感じはしています。(最近私のことをラッパーと呼んでくるようになって、初めて敵意が芽生えました。今回のブログであまりにも書くことが思いつかなかったら「はるなさんの魅力」みたいに小学生の自由研究ちっくにして嫌がらせしようかと思っていた。佳作は堅い。)

 

 模倣への解釈が変わった理由のもうひとつとしては、木霊の新訓を見て、身体、というものへの解像度が高まったことだと思います。端的に言えば、脚本が担ってしまう言葉やシチュエーションが陳腐でなにかの模倣に過ぎないとしても、それを役者の身体が取り込んで、消化し昇華させて放出したら、役者個人の肉体が付随している限りそれは模倣(ルビはコピー)にとどまらないのではないかということです。もちろんそう言い張るためには技術が必要で、言葉を体内に溶かせる役者、口腔内で転がしておける役者さんは本当にすごい。尊敬の念。(だからピーターのセリフが最後まで書けなかった。嫉妬で気が狂いそうでした。ちゃんと張り合えていますか?)

 

 すごい役者さんたちに見合う脚本を書きたい。最近はずっとそればっかりです。高めていきたいし、あわよくば高めてほしい。木霊という場所はそれがし易いところだと感じます。素敵な人たちが集まって、趣深い(思ってますよ)アトリエがあって。幸せだなと思います。ここに居て良いよって言ってもらえるのはとても幸せで、幸せで、幸せだと言えるようになったのもまたこの上なく幸なことだなと思っています。



 

 長くなってしまったのでそろそろ締めます。雑ですみません。木霊、いいところなので、是非来てね~。楽屋で7ヶ所、蚊に刺された。こんなところ二度と居たくない。




劇団木霊2024年本公演

『飛行』


主宰・演出|ひラのカほ

主宰補佐|西岡優成

脚本|萌葱もか


日時|

5月23日(木)19:00〜

5月24日(金)19:00〜

5月25日(土)13:00〜/18:00〜

5月26日(日)13:00〜/18:00〜


料金|無料(フリーカンパ制)


会場|早稲田大学大隈講堂裏 劇団木霊アトリエ


特設Webサイト|https://hikou2024.studio.site


お問い合わせ|gekidankodama.2024.05@gmail.com




主宰・演出|ひラのカほ

主宰補佐|西岡優成

脚本|萌葱もか


出演|あべこ うりのつる 神崎玲那 須貝文音 乘峯志保 春名高歩 町田悠介


企画監査|工藤英翔


稽古場代役|赤城奈佑


演出補佐|翠 きよすけ 桑原杏弥 兼生 鈴木萌花 栖田ひまり 創 


舞台監督|佐野史奈

舞台監督補佐|赤城奈佑 酒井悠真


音響・音響操作|らノ

音響プラン|琇

音響補佐|遠藤大希 鯉 ホシダマサオミ 鳥塚隼人[早稲⽥⼤学演劇研究会]

楽曲|ホシダマサオミ


照明 |桑原杏弥

照明操作|林怜奈

照明補佐|翠 木下みのり こむぎ 唯乃マド 傍見秋 まさはる


舞台美術|こむぎ

舞台美術補佐|酒井悠真 創 傍見秋 本庄史奈 まさはる


衣装|栖田ひまり

衣装プラン協力|タベイコウダイ

衣装補佐|北澤栞 タベイコウダイ トラツグミ


制作|はな

制作補佐|阿部綾 遠藤大希 木下みのり タベイコウダイ 本庄史奈


宣伝美術 |園部綾香

宣伝美術補佐|工藤英翔 唯乃マド 林怜奈


web|北澤栞

web補佐|工藤英翔


撮影|唯乃マド