おっはモーニング。フランです。


ご無沙汰してます。


2021年にして遂にスラムダンクを読み始めました。まだ4巻です。流川くんかっこいい。




テーマは「春〜出会いと別れ〜」



今回のブログリレーが始まってから、ぼんやり出会いと別れについて考えていたのでつらつら思うところを書きます。良ければお付き合いください。



出会いって何なんでしょう。人や作品との出会いはよく言及されますが、未知の事象や情報・物体・感情との対峙すべてを出会いと呼ぶとすれば、それはもう無数な気がします。



最近の出会い。

初めて行った下北沢の若者の服のサイズ感、奮発して買ったシュウウエムラのアイシャドウパレットのきらめき、三鷹から新宿までって中央特快乗れば15分なんだ、バイト帰りのコンビニの吸引力、ひとり映画でMサイズのポップコーン食べ切るのってギリだな、ずっと好きじゃなかったけどAマッソってめちゃくちゃ面白いじゃん関西弁移らないように気をつけよ、フォローリクエストを送ってきた元彼のインスタアカウントあんたってSNSやらない人やったやんか!、エセ関西弁しんど、最初で最後のスワンボート、へえ又吉って三鷹に住んでたんだ、大学の春休みって死ぬ程長いんだなとりあえず寝よ、女芸人という言葉に引っかかるようになった自分、Uber eatsって便利すぎ、雨に唄えばのタップダンス、岸本佐知子の紡ぐ言葉たち。邂逅。エンカウンター。



気づきって出会いかもしれない、出会いがもたらすのが気づきなのかな、感情は一期一会かもしれないね。自分って出会いによって変わっていってるのかな、それは進化か退化か、分かんないや。などと。



出会いってなんだろうって考えていて腑に落ちたことがあったので書きます。YouTubeにてフワちゃんのサブチャンネルの動画(https://youtu.be/rYrQGG63ZU8)を見ていた時のこと。


コメント欄の一番上に「フワちゃんに出会ってから、可愛いものを愛おしく思う時間が圧倒的に長くなりました。」との書き込み。


うわー!!!!出会いってこういう事じゃーーん!!って心の中で小躍りしました。


フワちゃんってすぐ「なにこれえ、かあいぃ〜!(訳:これは何ですか、愛らしいですね)」って言うんですよ。「可愛い〜!」がもはや相槌と化したJ◯とは違って、彼女は心から感動していることを視聴者に伝えるような言い方をするんです。確かに彼女を見ていると、その価値観というか気持ちの揺れ方って自分にも伝播してきて、フワちゃんとは関係ない場面で、例えば友達の付けてるピアスとかをよく似合ってて素敵、可愛いねって言えるようになったりするんだよなあと思いました。かあいぃ〜!と言えるキャラに私はなれなかった。無念。来世はフワちゃんみたいになりたい。インフルエンサーとのエンカウンター。



翻りまして。

別れって少ない気がする。

私には意識しづらいだけなのでしょうか。



先週、ペットのメダカが死にました。昨年の夏、私と共に上京してきた2匹のメダカのうちの一匹が。別れ。永遠の別れ。死は間違いなく別れですね。じゃあ血の通った人間同士の別れって何なんですかね。物理的な距離?心理的な距離?前者ってことにしておいた方が環境に責任を押し付けることが出来るので楽だなあと感じてしまいます。情けない。




再会は出会いに包含されているのでしょうか。再会⊂出会い?私は出会いよりも再会というシチュエーションの方が滾ります。



最近の再会。

15年ぶりに復活したゴリエちゃん、1年間音信不通だった友人からのLINE13歳の時好きだった人の好みに合わせて聴いたセカオワが有線から流れてきた、帰省してもやっぱり私の地元には何もないねでも地元愛は絶対ある方だな、録画して繰り返し見ていた少年倶楽部の違法アップロード、おばあちゃんの作る味噌汁の味、はるな愛のエアあやや。




再会は自分を半強制的に昔へと引き連れて行きますね。走馬灯かと思うもん。危ない危ない、生きてて良かった。


過去は美化してなんぼだと思ってるから再会が好きなのかもしれません。キラキラ。




書きたいこと書いてたら長くなっちゃいました。すみません。私はインフルエンサーではないのでお許しください。自分にとってのインフルエンサーって誰だろうって考えると結構面白いかも。



小学生の頃、友達の字が無意識に私の字に似てきたと言われたとき、なんかうれしかったなあ。キラキラキラ。美化の魔法。



こんなご時世ですし、普段は気にしないレベルの出会いに目を向けてみてもいいんじゃないかな〜なんて。網目を細かくすれば色々引っ掛かるものですね。



読んでくれた方ありがとうございます。


またお会いしましょう〜ほなまたイルカ



フラン・ミナミ