作・助演です。新歓公演「明日、家に帰ったら」終演しました。

今回は家族のお話を書きました。なんで家族のお話を書いたのかについてお話しします。

「血の繋がり」という言葉はしばしば「親子愛」とか「絆」的な良い感じの文脈で使われますけど、呪いの側面がめちゃめちゃ強いと思います。理不尽に与えられて、絶対に断ち切ることの出来ないものとしてある。

母親の話をすれば、僕は小さい頃から、母親のことが好きじゃなかった。ヒス持ちだし弁当作らないし。「ママが自分の子供を大事にするのって、考えてみたら当たり前だよね。ママにとって、子供って、自分を絶対に必要としてくれる存在なわけで、ママにとってもそれは同じで、そりゃ可愛いし大事にするに決まってるよね。なんで母性って、あんなに美しいものみたいに扱われるんだろう」みたいなことを母親に話した記憶があります。本人は「何を当たり前のこと言ってんだ」みたいな反応だった気がします。
思春期の頃も、なんで俺はこの家に生まれてきたんだろうってずっと思ってて、早く家から出たがってて、俺が変なやつなのは、変な家、変な親のもとに生まれてきたせいだ、もっと普通に生まれたかったって思ってました。けど俺みたいな人はきっと珍しくないし、「不幸な家に生まれてきたから俺の人生ハードモード」みたいなセリフ、実際はみんな一度は言ってますよね。
要するに何が言いたいかというと、家族って実のところそんな良いもんじゃなくねってことです。映画なんか観て、やっぱりフィクションはいいなあって気分で帰宅して、おかえりって感じで目の前に現れる家族、少なくとも僕にとっては、辛い現実に引き戻してくれる存在でした。

「ファミリー・ツリー」っていう映画があります。ハワイに住む一家のお話なんですけど、とても良いのでおススメです。このことだけでもこの記事を読んで覚えてください。

何が良いかというと、ラストシーンが素晴らしいんです。(以下若干ネタバレ)母親の浮気相手を見つけ、母親に別れを告げ、母親の骨を海に流し、諸々を終えた姉妹と父が、帰宅し、居間でソファに座って、テレビを見ている。3人で、市販のコーンフレークみたいなものを不味そうに食べながら、会話もなくただつまんなそうにぼーっとテレビを見ている。それだけ。それでエンドロール。親子の葛藤を解消した後の、不良娘の照れ臭そうな「明日は晩御飯用意しといてよ」とか頑固親父のぶっきらぼうな「彼氏また連れてこいよ」とかそういうの一切なし。3人がむすっとした顔で、同時に安らかな顔で、大きめのソファに、言葉もなく、触れ合いもなく、一枚の毛布の下に収まって空間と時間を共有している。

親子であることの悲劇が、どこまで言っても救いようもなく悲劇で、それが裏返せば喜劇だよねっていうことを、その映像は語ってる気がしたんです。娘(父親)のこと全然分からんけど、まあそういうもんだよなって諦める、というか諦めざるを得ない、だって家族なんだから、家族であることをやめることはできないんだから、そういう冷たく割り切ったような答えが、かえってすごく暖かいものに感じることもあるよねって語ってる気がしたんです。

映画レビューサイトになりそうなのでこの辺でやめときます。要するに、そういうのがやりたいなあという心持ちでこの脚本を書いていたということです。

本題おわり。

終演後に、観に来てくれた友人の「うん!良かった!」て顔を見るのが一番幸せな瞬間なんですけど、今回は、ていうか今回も、「うん!」て感じの顔と「んー」て感じの顔と、両方見られました。まだまだ技術は足りないけど、自分のやりたいことが伝わる程度には、基本的なことはおさえられつつあるのかな、自分的には。少なくとも「うん!」て顔が見られただけよかったです。それだけでこれからも頑張れます。
誰が観ても面白い作品を作るのは不可能に近いんだろうけど、それでも目指したい領域です。

観に来てくれた人、本当にありがとう。

おわり。