桑田さんが昨日、ファンフェスタで巨人軍に別れを告げた。
「桑田真澄の野球は心の野球。」
泣かせてくれる言葉じゃないか!
報知に掲載されている手記 には、なおも桑田さんらしい?言葉があった。
以下掲載文
スポーツは素晴らしいコミュニケーションツールなんです。スポーツ、音楽、言語。3つのいずれかがあれば、米国だってキューバだって中国だって、どこの国の人とも心を開き、分かり合える。言葉を交わさなくても、野球を通じて尊敬の念が芽生えたりもする。僕が向こうのチームで仲間に好かれたら「日本人って、いいヤツもいるんだな」と家族や友人に伝えるでしょう。そうやって輪が広がっていけば、戦争なんて起こらない。僕が野球を続ける究極の目的は「世界平和」なんです。
現役選手でここまで考えて野球をしていることには、驚かされる。
私の知り合いの元プロ野球選手 も同じ考えを持っていらっしゃる。
このコメントを見てビックリじゃた。
あらためてG党としてこの21年間の活躍に感謝してるぞよ。
投げるだけではなく、華麗なフィールディング、右方向へのバッティングや全力疾走。
全てに全力で魅了してくれたプロ中のプロを感じた選手。
巨人軍のユニフォームを脱ぐことは、本当に寂しい限りじゃが、
夢のメジャーでの舞台に上がって欲しい。
贔屓目でなく、メジャーで投げることができれば個人的に二桁勝てる投手と信じている。
外角に広いストライクゾーンにシュートと制球力の良さを持つ桑田さんの復活は、
今のメジャーという土壌が合うと思っていた。
日本で活躍してない投手がメジャーでダメなわけじゃない。
そういう意味では、200勝を目指すには、国内よりメジャーしかないと思っていた。
むしろ松坂や井川とは違い、メジャーでの登板機会を得るまでが大変だと思うが、
きっと乗り越えてくれるはずじゃよ。
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最後にわたしが見てきた高校時代からの桑田さんの思い出シーン。
・衝撃の池田高校戦。投げては完封、打っては水野から特大ホームラン
私もまだ小学4年生。池田の勝利を疑っていなかったが、
1年生・桑田にディープインパクトを初めて覚えた瞬間でしたな。
・2年生春の選抜・天理戦でのトリプルプレー
無死1.2塁のピンチで投前での小飛球をダイビングキャッチし、三重殺。
素早い反射神経に驚き仰天。そして人生初めてトリプルプレーを見た瞬間だった。
95年右ひじを故障する要因となったダイビングキャッチも同じような打球だった。
ある解説者は「怪我をするような無理なプレーをするな」と仰る方もおられたが、
高校時代から変わらずの全力プレーじゃよ。
初の生桑田さん観戦。でもこの試合では清原の3本塁打に度肝を抜かれたぞよ。
・プロ2年目の5月大洋戦。
2度目の生桑田さん観戦。9回2死まで無失点の奪三振ショーに痺れましたなー。
・1990年の試合前打撃練習。
当時東京ドームで夏のアルバイトをしていた私。投手陣の打撃練習を見ていてビックリ。
斉藤、槙原、水野、宮本らがポンポンとスタンドへ打球を打ち込む中、
桑田さんは。。。
そうですバントから始まり、その後最後まで徹底的な右打ちの練習です。
しっかりと実践を意識した練習を行っておりましたな。
・1994年の10・8での胴上げ投手
最後の大きなカーブで小森を空振り三振のシーンはもちろん。
その前に折れたバットが飛んできながらも捌いたピッチャーゴロ。
フィールディングの良い桑田さんならではでした!
・2000年ON決戦となった日本シリーズ、第2戦での敗戦処理。
8対3と試合が決した8回から登板。村田真との見事な呼吸で6者をパーフェクト。
1球1球に意図がある見ていて、とても勉強になるマウンドでしたなー。
その後の巨人4連勝はこの投球があったからと私は思う。
・2002年横浜戦での代打桑田。初級三遊間を破りバスター成功。
この試合を生観戦。延長10回表、無死1塁で代打桑田。
若大将よここはバスターで行ってほしいなと思っていたら、
その通りに。最高の瞬間でしたな。
まだまだ挙げたら切がないけど、今度はメジャーの舞台で
記憶に残るシーンを創って欲しいぞよ。
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桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう
