小学校時代からの戦友がとうとういなくなるぞよ。
最後の砦だった桑田さんと川相さん。
桑田さんはユニフォームを着る可能性があるが、
川相さんにはとうとうその時がきたか。


3年前ジャイアンツで引退試合を行ったが、
原監督辞任とともに引退を撤回してドラゴンズで現役続行。
落合中日がこの3年で素晴らしい成績を上げたのも、
じぃーこと川相さんがいたことも少なからず影響してるじゃろう。


村田チュ―さんと同様に高校からドラフトで下位指名ながら、
叩き上げの代表格。
スターの中にこういう泥臭い選手達がいたからこそ、
巨人軍も常に優勝争いができるチームだったと思う。


もう20年近く前?河埜和正選手の後のショートのポジションが決まらなかった。
岡崎、勝呂、鴻野淳基で争っていたが、この3人を押しのけ、
バントもうまい繋ぎ役、安定した守備という武器を作り上げ
勝ち取った。
正直、その当時は、24年も選手生活を送るなんて想いもしなかったぞよ。

来季は中日でコーチに就くが、巨人軍の伝統と魂を持った貴重な人材だけに
早いカムバックを心から願う。


私個人の川相選手、思い出シーン BEST3

1位 どの試合でもなく。初球をきっちり決めるバント。ファウルで粘る。選球眼よし。
   (9回同点、2死満塁で私が監督なら川相さんを代打に送っていたと思います。)


2位 89年、日本シリーズ  第何戦だか忘れましたが、ヒーローインタビューのお立ち台で自分

   の子どもの名前を叫んだこと。


3位 87年、日本シリーズ第6戦 西武・工藤公康から打った左中間2塁打。
  (この試合で西武が日本一になるのですが、当時、若手の川相選手の会心の当たりにビック

  リ,背番号も66番だったなぁ。。


まだ日本シリーズが残っていますが、いい花道にして欲しいですね


最後に川相選手のG時代の応援歌を!


それ守備は華麗な川相

それ根性もあるぜ

それ燃えろチャンスだぜ

ヒットマン川相