最近「発達障がい」とは個性なのではないか?

「発達障がい」と診断されることを「レッテルを貼られてしまう」

とFBの書き込みを読んで、ちょっと考え混んでいます。

まず、個性ではないか?

という問いに対しては、そう、その通りだと思う。
でも、そのことと
「発達障がい」という診断を避け、受けるべき支援を受けさせずに大人になることは全く別の問題だと思うのです。

「発達障がい」は現代でのくくり。しかも日本という国での。

現代人がそっくり戦国時代にタイムスリップしたら?
「発達障がい」がある人の方が、生き抜く力があるのでは?

文字がない時代や識字率が引くかった時代。
口伝だけで知識を得ていた時代も「発達障がい」の方に軍配が上がりそう。

なんてこと考えちゃいます。

要するに、時代が要求しているか?多数派か?
ってことです。

一昔前(ふた昔?)は、就職試験でコミュニケーション能力なんて問われることはなかった。
バブル入社組だって、今の就職戦線は勝ち抜けない。

世の中が必要とする人材が変化していて、「発達障がい」は取り残されている状況。

「発達障がい」は強い個性ではあるけれど、現代社会や学校を生き抜くためには、支援が必要だ。

私はそうゆう考えでいます。
だから、「発達障がい」なんてものはない!
とまやかしのようなことを言われると悲しくなります。

じゃあ、当事者の苦しみを誰が救うの?

就職試験どころか、アルバイトすら雇ってもらえない。
コミュニケーションがとれず退職せざるを得ない。そこで初めて自らが発達障がいだと判明。
自分の生きにくさの原因がわからず、うつや引きこもりに。

そんな苦しみを味わっている人たちがいることを知ってもらえたら、
「個性」
という言葉一つで片づけられない問題だと感じてもらえるかしら。

「レッテル」についてはまた今度。

こっちは、とても危険な思想があるように思います。
発している人たちは気がついていないようですが。。。

この問題になるとマジになってしまい、語気が荒くなってしまっていたらごめんなさい~~あせる
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