我が子の学習障がいの話しをすると、時折、「それって個性じゃないの~」と言われることがあります。

きっと、「障がい」ではなくて個性的で素晴らしい一面を持っている。と感じてくださっているのだと思います。ありがたいです。私もそう思います。

長男はお勉強はすこぶる苦手ですが、イラストや油絵を描きますし、技術の造作物も上手に作ります。パソコンも見よう見真似で自分がやりたいことはできるようになりました。小学校の高学年の頃から本人曰く「小説を書いている」そうです。

日本の教育システムが、画一的なカリキュラムを押し付けるものでなく、得意分野を伸ばすものであれば、彼は「障がい」という診断を受けることはなかったかもしれません。

でも、現状はそうではありません。

小学校の頃は、遠足など行事があると苦手な作文を書かなければいけないし、漢字テスト・音読や、本人が恐怖を感じてしまう体育の実技テスト。言葉の発達が遅いので友達との会話にもついていくのが大変。
もちろん、彼ができないことに手助けしてくれる級友はいました。
それでも、彼にとってクラスでの生活は不安でストレスの多いものでした。

そんなとき、「発達障がい」という診断名があれば、先生に対してみんなと同じ指導をしないで欲しい、支援学級の先生に任せてくれ、とお願いすることができました。

学校に行きたがらなかったとき、作文が書けなくて担任の先生に放課後追いかけられたとき、支援級の先生の存在が彼を救ってくれました。支援級の存在がなければ、不登校になっていたかもしれません。彼にとって支援級の存在はそれほど大きいものでした。

もちろん、私も「障がい」という言葉は嫌いです。

でも現状の画一的な教育システムから彼らを救うためには、「発達障がい」という診断名が役に立つのです。

そんな理由で、私はこれからも「我が子には『学習障がい』『発達障がい』があります」とお伝えします。

彼らには素晴らしい能力があって、それを伸ばせば社会で存分に輝くことができるってことを知ってもらえるまでラブラブ