同志たちとの会合に出かけたものの、まだ誰も到着していなかったので一旦は池田屋を離れたがゆえに命拾いした、と自ら語っていた桂小五郎。
維新三傑とまで称された男の、数々の修羅場での慎重ぶりや運の強さを、後世の人々は、
「逃げの小五郎」
とよんだのだそうですが、「ピンチはチャンス」をいつもピンチにリセットしているだけの「逃げの一郎」の場合は歴史に名前が残るのだろうか。
キース・リチャーズやキヨシローの背中だけを見ているわけにもいかないので、どこまでもヒタスラにカッコ悪いオジサンの姿 を見せられるのも、未来のある青少年の情操教育には必要なのかも知れません。

